16:呼ばれぬ来客

「ジョジュ様を挑発するために、わざわざご足労なさったのですか?」


 フローラが私を守るように前へ出て、ヴィオラに向かって言葉を投げた。


「まあ、使用人風情が口を挟むなど生意気な。私は、ジョジュ様に話をしていますのよ。それとも、次期王妃のそばにいて、自分の身分が上がったと勘違いしていらっしゃるのかしら?みすぼらしいメイドは下がっておいでなさい!」


 非常に侮蔑的な発言だった。

 そのようなことを言われてしまったら、フローラは顔を赤くして、黙るしかない。


 アナスタシア達の言葉は厳しく鋭利な刃物のような発言をすることはあるが、どこかに愛はこもっている。


 しかし、ヴィオラの発言に関しては、相手を傷つけてやろうという意思しか見えない。


 私のことについても、わざわざ傷つけに来たのだろう。

 公の場でエミリオンの妻として扱われる私の全てが気に入らないのだ。


「フローラ。アナスタシア様を呼んできてちょうだい」


 私はフローラに小さな声で耳打ちすると、彼女は頭を下げてその場をあとにした。


 今、この女性を一人で対処しようとしてはいけない。

 私の全身がそう告げていた。

 きっと、私の言葉の一言一言について揚げ足をとって、あることないこと周囲の貴族達に吹聴していくつもりかもしれない。


「分かりました。お話をおうかがいいたしますが、先ほどのような発言はお控えいただけますか?」


「先ほどの発言ってどういった意味ですの?」


「フローラのことをみすぼらしいメイドと言いました。そういった発言はお控えくださいと申し上げたのです」


「本当のことを言って何がいけないのかしら?貴族は貴族。使用人は使用人よ。それとも、まさかあなたのような噂のある方が、人間は全て平等だなんて偽善者のようなことをおっしゃるおつもり?」


 挑発だとわかっている。

 私を怒らせようとしているのだ。

 そもそも、晩餐会の席でわざわざドレスを合わせてくるような女性だ。

 私に対して、思いやる気持ちなど持ち合わせているはずがない。


「同じことを、陛下の前でも申し上げていただけるのでしたら、あなたの非を撤回します」


 ヴィオラの頬がピクリと動いた。


「エミリオンはあなたを愛していないのよ。それなのに、あなたの言葉を信じるのかしら?」


「時と場合によっては信じていただけると思っておりますわ」


「祖国では誰もあなたの話を信じなかったようじゃない」


「陛下は冷静に物事を判断できるお方であると信じておりますから」


 パン!と音が鳴り響いた。


 頬を叩かれたのだ。


「あなたは、エミリオンに相応しくないわ。私は、サドルノフ公爵の娘なのよ。この国の事業の中心は私たち一家が握っている。あなたは、他国の王女とはいえ、国を追い出された身よね?この国で価値などあるのかしら。みんな噂しているわ。とんでもない女が送られてきたってね。あなたが女王になることなんか誰も望んでいないのよ」


 肩で息をしながらヴィオラは叩いた方の手を震わせている。

 顔は怒りで真っ赤になっていた。


 きっと、この言葉がロニーノ王国へ来た私への本音なのだ。

 荷物が燃やされたり、ガルスニエルへ私の噂を流したりされたのも、根底にこの考えがあったからだ。


 アナスタシア達の教育がなかったら、ヴィオラの言葉にいちいち悩んで傷ついていただろう。


「サドルノフ公爵の一人お嬢様がこんなところで何をなさっているのかしら?」


 フローラに連れて来られたアナスタシアが、大階段の上から玄関にいる私たちを見下ろした。


「アナスタシア公様。お久しぶりでございます」


 慌てたように深く頭を下げて挨拶をするヴィオラに「何をなさっているのかしら?と尋ねているのです」とアナスタシアは、普段とつとめて変わらない口調で言った。


「陛下より、ジョジュ妃殿下に伝言がありましたので、お伝えしておりました」


「そう。では、ここで言ってみてちょうだい」


「いえ。もう伝えましたので、私は失礼いたしますわ」


 私を睨みつけた後、ヴィオラは離宮を後にした。


 まだ、エミリオンからの伝言を、ヴィオラから受け取っていない。

 もしかしなくても、エミリオンから伝言があるというのは、彼女の嘘なのかもしれなかった。


「あなた、ヴィオラ・サドルノフを味方につけなさい」


 ヴィオラが馬車に乗り込み離宮から離れたのを見届けた後、開口一番にアナスタシアが真剣な表情を浮かべて言った。


「味方、ですか?」


「不満気ね。エミリオンのことを好きな女が気に食わないのかしら?」


「い、いえ。そういうわけでは……」


「貴族であることに誇りを持って、王妃になるべく育てられていた彼女が、あのようなはしたない真似までするなんて……。政略結婚であなたとの婚姻が優先され、彼女との婚約が破棄されたことが、相当きているようね。厄介なことに、彼女の父や兄は、路線拡大の重要人物。国内での力をどんどんつければ、正妻の座でなくてもエミリオンの隣に押し入り、あなたがドルマン王国で受けたような被害をあなたの子供やあなたにする可能性だって視野に入れなくてはなりませんよ」


 それだけ言うと、アナスタシアは私の前から離れていった。


 あとは自分で考えなさいということだ。


 ヴィオラ・サドルノフ。

 彼女が自分の味方になっている姿は、想像もつかなかった。


 ***


 その夜、エミリオンが私の様子を見にテオフィロス城へとやってきた。

 来客の多い一日中だと思いながら、私は客間に通されたエミリオンのところへ向かう。


 お茶を飲みながら、気難しい表情を浮かべているエミリオンに向かって「大変お待たせいたしました」と声をかけると、手で座るように指し示された。


 久々に会うエミリオンは少しやつれたように感じた。

 もしかしたら、昼間のことをヴィオラがエミリオンに対して大騒ぎしたのかもしれない。


 そう思ったが、彼が何か口に出すまで黙っておこうと決めて、エミリオンの出方を待った。

 彼女とエミリオンの距離感について、私は知らないことが多すぎるからだ。

 余計なことを言いすぎて、自分の立場を危うくすることは避けたかった。


「舞踏会の準備は順調か?」


「ええ。客人リストは大体覚えております」


「そうか……」


 会話終了。

 たったこれだけの会話でエミリオンは満足気な表情を浮かべてお茶を飲んでいる。


 言葉が足りないタイプの人間だということは理解しているが、さすがにこれだけの会話で「本日はご足労いただきましてありがとうございます」と別れを告げるわけにもいかない。

 私は、どうにか会話を続けようと努力をすることにした。


「ガルスニエル王子は、頑張っておりますよ。昨夜、ロニーノ王国の地図と名産を全て覚えたと教えてくれました」


 本当は「あの挑発してくるババアどもを見返してやるから覚えた。今から暗唱するので、義姉上付き合ってください」と夜中まで彼の暗唱に付き合ったのだが、細かい話は言わなくてもいいだろう。


 エミリオンはカップをソーサーの上に置いたあと、私の方をじっと見つめて「弟の件だが、礼を言わねばと思っていた」と言った。


「私は、何もしておりませんよ」


 突然のエミリオンの謝礼に戸惑って、私は首を横に振った。

 ガルスニエルに対して唯一したことといえば、いたずらがすぎると叱り飛ばしたくらいだ。


 そのあと懲りずに私の部屋へやってきて一緒に食事をしたり、離宮に来てからもアナスタシア達の厳しい教育についてお互い励ましあって(時折、ガルスニエルの口から、彼女達へのとんでもない悪口が出てくるので、ヒヤヒヤすることもあるが)いるくらいで礼を言われるようなことは何もしていない。

 むしろ、ガルスニエルがいることによって、離宮での生活を乗り越えられていることが多いくらいだ。


「いつもそうやってお人好しなのか?」


 エミリオンが柔らかい表情を浮かべて、クスリと笑った。

 その表情がいつもと違うので、私はどうすればいいのか分からずに戸惑ってしまう。


「お人好しではありません」


「そういえば、泣き虫だったな」


 散々エミリオンの前で泣き喚いたあの夜のことを指しているのだとわかって「陛下。からかっていらっしゃるのですね」と私は眉を顰めた。


「これ以上、嫌われる前に帰るとしよう」


 未だ楽しそうな笑みを浮かべながら、席を立ち帰ろうとするエミリオンに「そういえば、昼間、伝言を誰かに頼まれましたか?」とあえてヴィオラの名前は出さずに尋ねた。


「いいや。伝言は誰にも頼んでいない」


「そうですか」


 今後、本当にヴィオラを私の方へ取り込まなくてはならないのであれば、エミリオンを巻き込んで、彼女を刺激してはいけないような気がした。


「サドルノフ公爵令嬢の件だが、もう少し彼女が落ち着くまで待ってくれないか。君には迷惑をかける」


 まるで私の心を読んだかのようなエミリオンの発言に、私は驚いて彼の方を見た。


「えっと……」


「私は、側室を持たない。それだけは伝えておく」


 エミリオンは部屋の外に立っている従者に馬車を回すよう指示を出した。

 部屋を出ていく彼の背中を見ながら「エミリオン王の名誉のために言っておくけれど、あの子はそこまで馬鹿ではないわよ」と温室で言われたイリーナの言葉が脳裏に浮かんだ。


 エミリオンは、わかってくれていた。

 それだけで、少しだけ気持ちが軽くなった。


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