第7章:犬ぞりレース

20:訓練

「えっと、では、犬ぞりについて説明いたしますね」


 よく晴れた冬の昼間のことだった。


 キラキラと太陽に反射する雪の上で、犬ぞりについてゴルヴァンから説明を受ける私の両隣には、厚着をしているアルムとガルスニエルがちょこんと座っている。

 ガルスニエルの愛犬であるフランは、白い息をハアハアと吐きながら嬉しそうにそりに繋がれ、ゴルヴァンに頭を撫でられていた。


 そもそもなぜ、私がゴルヴァンに犬ぞりについて習っているのかというと、発端は先日の舞踏会でのことだった。

 デニスがエミリオンに勝負を持ちかけた後、「二人の女神には、そりに乗って我々の勝敗を見守っていてほしい」と言い始めたのだ。


 雪国出身ではない私にエミリオンは「無理に犬ぞりに乗る必要はない」と言ってくれたものの、国王が出場するというのにも関わらず、女王になる私が出ないわけにはいかないと参加を決めた。


 人生初めての犬ぞりはわからないことだらけなので、犬ぞりレースの大会で何度も優勝しているらしいゴルヴァンに教えてもらうことになったのだ。


 一年の大半が雪の中で暮らさなければならない、ロニーノ王国の犬ぞりの歴史は深い。

 身体の大きな犬種が多いこともあり、荷物の運送作業などは犬たちに任せることも多かった。

 トナカイなどの動物も地域によっては使われることもあったが、首都プルぺのあった地域では大型犬の方が多かったのである。


 近年になって、雪道の整備も進み馬でも通れる道が増えたことは確かではあるものの、ロニーノ王国、特にプルぺ周辺にとって、他国よりも犬とそりは切っても切れない存在なのである。


「ゴルヴァン先生。質問です」


「どうしました。アルムお嬢様」


「こうやって繋いでしまったら、フランは苦しくないのですか?」


 そりを引くために繋がれている革製のつなぎを指差してアルムが尋ねる。


「いい質問ですね。大丈夫です。老犬になってくれば、関節など節々に痛みが走ることがあるようなのでかわいそうではありますが、フランはまだ成犬になったばかりの働き盛り。それに実際にそりを引くときには、フラン一匹ではなく、たくさんの犬で引くので苦しいことはありません」


「そうなのね……」


 アルムは納得いっていないようだったが、ガルスニエルが「フランは強いから一匹でも大丈夫だ」と胸を張ると、少女は心配そうな表情を浮かべながら白い息を吐いているフランの頭を撫でた。


「そりが二種類あるのはなぜなの?」


 私はゴルヴァンに、人が二人ほど入れる大きさのそりと、掴み立ちするのがやっとの大きさのそりを見比べて質問した。

 それぞれ木製でできているが、なぜ大きさに差があるのだろうか。


「こちらの大きな方が、ジョジュ様がお使いになられるそりでして、この小さな方が陛下たちがレースで使用されるそりになります。一度乗ってみられますか?」


 大きなそりの中には毛皮が敷き詰められており、どうやらその中に足を伸ばして座れるらしい。

 ゴルヴァンに手をとってもらいながら、そりの中に腰を下ろすと、もう一枚大きな毛皮をかけられた。


「あたたかいわ」


「ええ。たとえ、吹雪がきたとしても中に入ってしまえば問題ありません」


 ゴルヴァンの言葉を聞いて、子供たちが一緒に入りたがり、隣に割り込んできた。


「ジョジュ様、明日リハーサルするの?」


「ええ。そうよ、アルム」


「頑張ってね」


「ありがとう」


 大人と子供二人で座ると少しばかり狭いが、人が入ることでより暖を取ることができた。

 これなら犬たちに早いスピードで引っ張られても寒くないだろう。


 問題は、このそりにヴィオラと一緒に乗るということだ。


 あれから彼女は自分の部屋に引きこもっているばかりで、一向に外に出てこないと噂で聞いた。

 舞踏会の夜に、キッパリとエミリオンからフラれた後、デニスに追い討ちをかけられ、それだけでなく勝手に婚約宣言されてしまっているのだから、気持ちは分からなくもない。

 私がどうこう言えることではないが、勢いよく突っかかってきていた彼女を知っているので、自業自得とはいえ心配する気持ちもあった。


 また、アナスタシアからは味方につけておいた方がよい人物であるとアドバイスをもらっているので、できることなら彼女と和解できるならと思っている。


 しかし、今、私が彼女の屋敷に足を運んで、部屋から出てくるようにと促しても、火に油を注ぐかたちになるに違いなかった。


***


 夕方になって私は離宮へと足を運んだ。

 舞踏会の後から彼女に会っていない。

 犬ぞりレースの件やヴィオラとの関係のことも含めてアナスタシアに相談したかったのだ。


 しかし、離宮テオフィロスで私を出迎えたのは、アナスタシアではなくデニスであった。


 舞踏会ではエミリオンとヴィオラに気を取られ、あまり彼のことをよく見ていなかったが、デニスは非常に整った顔立ちの青年だ。

 焦茶色の瞳に、後ろでまとめられた肩まで伸びた髪の毛は瞳の色と同じ色だ。

 細身の体にピッタリとあった白いカメリアの刺繍が入った洋服は、彼によく似合っている。

 エミリオンが狩人的な男らしさを持っているとすれば、デニスに関しては儚い詩人のような美しさがあった。


 口がさけても言葉にするつもりはないが、ヴィオラと並んだらさぞ美しい彫刻のようなカップルになるだろう。


「ああ、妃殿下。どうなされました?こんなところまでわざわざご足労いただきまして」


「アナスタシア様とお話がしたく、お呼びいただくことは可能でしょうか?ジートキフ公」


「あいにく、祖母は今大事な会談中です。いつ終わるか分からないため、申し訳ないが日をあらためていただく方がよろしいかと思いますよ」


 人当たりのいい笑みを浮かべているが、目の奥が笑っていない。


「待つことは可能です」


「いいえ。いつ終わるか分からないので、本日は難しいかと思います」


 どうやらデニスは、私とアナスタシアを会わせたくないようだ。

 それもそうだろう。

 先日の舞踏会の後半に関しては、彼にやりたい放題されてしまった。

 結果としては、非常に盛り上がった舞踏会にはなったが、自分でイニシアチブを取れなかったことに関しては、あまり主催者としていい気分ではない。

 祖母であるアナスタシアに泣きつけば、彼がどのようなお叱りを彼女に受けるのかは一目瞭然である。


 やはり日を改めて、使者をアナスタシアに送るしかないと離宮を後にしようとした時だった。


「私でよろしければ、伝言として話をお伺いしましょうか?」とデニスが申し出てきたのだ。


「いいえ。大丈夫です」


 デニスのことが私はいまいち信用出来ずに、当たり障りのない笑みを浮かべて「ごきげんよう」と部屋を出ようとする。


「私が、なぜヴィオラ嬢に求婚したのか理解できないという表情ですね。それに、なぜこの犬ぞりレースの勝負を陛下に持ちかけたのかも」


「ええ。理解できないわ。彼女に求婚するのであれば、あのような言い方をするべきではなかったと思います」


 私は正直に答えた。


「真っ直ぐなご回答をありがとうございます。妃殿下」


 自分で尋ねてきたというのにも関わらず、随分と含みのある返事を返してくるデニスに、私は「もう行くわ」と答えた。


 夫でもなく、最近面識のできた男性と必要以上に一緒にいることはない。


「妃殿下にお願いがあります」


「……」


「当日、陛下には負けていただくようにお願いすることはできますか?」


 一体何を言い出すのかと思いきや、そんな願いを私が叶えるとでも思ったのだろうか。


「八百長に手は貸しません」


「考えてもみてください。陛下が勝てば、ヴィオラ嬢は、ますますあなたの邪魔をするのではありませんか?自分のために戦ったのだと、希望を抱きかねませんよ」


「負けることで彼女の気持ちを心配するのでしたら、あなたは勝負を仕掛けるべきではありませんでした。サドルノフ公爵令嬢に丁寧に接し、気持ちが向くまで優しく辛抱強く一緒に過ごしていればよかったと思います」


 乗り気でなかったエミリオンを無理に勝負ごとへ引っ張り出しておいて、手を抜けと裏回しをするなど随分とふざけた話だ。


「なるほど、なるほど。王宮で育ち、あのような目にあった割に妃殿下は、ロマンチストですね。それに、自分の夫が負ける姿は見たくありませんよね。考えが及ばず大変失礼いたしました。では、出口までお送りいたします」


 これ以上話はしたくないので、出ていけということか。

 私は「失礼します」と答え、屋敷を出た後にすぐ馬車へ乗り込んだ。


 昼間まであれほど晴れていたのにも関わらず、空には分厚い雲がかかり始めていた。

 

 

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