30:イリナティス公

 当日、白い毛皮のついた真っ赤な長いマントをはおるとことで、結局、戴冠式のドレスは、アルムが選んだものを採用することにした。


 雪が描かれた黄金色の刺繍がのった乳白色のドレスは、私の髪の毛や瞳の色によく映えた。


 アナスタシアたちからもらったエメラルドの髪飾りや結婚式つけていたエメラルドのイアリングによく合いそうな、エメラルドとパールのネックレスも一緒に購入し、ドレスと合わせて戴冠式につけていくつもりだ。


 ヴィオラとマリアンヌが選んでくれたドレスは、舞踏会や外交をする時のパーティーなどで着る約束をした。


 エミリオンは、少し部屋に来るのが遅くなると連絡を受けていたので、久々に部屋で一人きりの時間を過ごしている。


 部屋の外には衛兵が待機しており、誰かが来たとしても決まった人間以外は入ることができないといった決まりを作ったので、先日のように勝手に連行されることはないだろう。


 少し窮屈ではあるが、まだあの時の恐怖が残っている私にとってはありがたい決まりであった。


 戴冠式で受け取る王冠の儀式は、エミリオンの祖母である先々代の女王が担当することになっている。

 今まで顔を合わせたことがない方に会うのは、やはり緊張するものだ。


 彼女の使用人をしていたことがあるフローラ曰く、どうやらエミリオンの両親、つまりは彼女の息子夫婦である国王と王妃が事故にあってから、公の場所に出てくるのは初めてのことらしい。


 現役時代は、アナスタシアたちを中心とする宮廷の女性をまとめ上げ、絶対的な権力を持ちながら、夫である故ミハイル王のことを支え続けたと言われる方であるそうだ。


 偉大な元王妃から王冠を授かるというのだから、私が受け取っても良いのだろうかと思ってしまう卑屈な精神がむくむくと湧き上がってくる。


 本当はダメだとわかっていたが、どうしても心の中にある弱さを誰かと一緒にいることで払拭したくなって、私はタペストリーの裏から部屋を抜け出し、エミリオンが部屋来るまでの間、イリーナがいるかもしれない温室へと向かった。


 地下の温室に行くと、イリーナは小さな暖炉のそばで本を読んでいた。

 久しぶりに会えたことが嬉しくて、はしたないことであると承知しながらも私は小走りで彼女の元へ駆け寄っていく。


「あら、いけない人ね。ここへは来てはいけないと国王から命令を受けているのではないですか?」


 気配を感じ取ったらしい。

 イリーナは読んでいた本を一度閉じて、私の方へと顔を向けた。


「明日、大仕事があるので不安になってしまって……」


「そうですか。では、少しこちらにお掛けなさい」


 小さな椅子を差し出され、私はイリーナの隣に座った。


「あの……先日は、アナスタシア様方をご紹介していただきまして、ありがとうございました」


「あら?なんのことかしら?」


 本のページをめくりながら、イリーナはとぼけた表情を浮かべた。


「昔からこの場所で、身分を名乗るのは禁止にしているの。ありのままの自分になるのもたまには必要ですからね」と言われたことを思い出して、私は話題を変えた。


「読んでいらしてる本は……」


 イリーナの持っている本の背表紙に目を向けると「滅国の姫君にアマレの花束を」と書かれている。

 ロマンス小説だろうか。


「昔よく読んでいた本よ。海を越えた土地に住んでいるギルダ・フェリモースという友人が書いた本なの。もうずいぶんと会えていないわね」


「どのような話なのですか?」


「滅亡した国の王女が、命からがら逃げ延びてた先で、恋に落ちる物語よ。ロマンス小説のわりに冒険活劇が多くてね」


 楽しそうに話をするイリーナに、私はニコニコと話を聞いた。


「よかったら貸すわよ」


「よろしいのですか?」


「私は、この物語、暗記してしまうほど読み込んでいますから」


 受け取った古い書物を大事に抱きしめていると「そろそろ戻った方がいいのではありませんか?今、あなたがいなくなるだけで、城は大騒ぎになります」とイリーナに注意されてしまった。


 私は彼女の注意を素直に聞いて、温室から出ていった。

 部屋へ戻ると、エミリオンはまだ来ていなかった。

 私はイリーナから借りた本を、エミリオンが到着するまで読むことにした。


***


 戴冠式には、大きな大陸の中に存在する七つの国から多くの要人がやってくる。


 ドルマン王国からは、私の父と義兄が来ると直前になって知らせがあった。

 私を祝うためでなく、次のドルマン王国の国王は義兄のアルジャンであることを主張するためだろう。

 できることなら、顔を合わせたくないが、挨拶回りがあるので一度は会わなくてはならない。


「ずっと他国を虐げ様々な人々を苦しめていたドルマン王国から追放された王女が、ロニーノ王国を世界で一番豊かにしたというストーリーは面白いと思わないか?」と言ってくれたエミリオンの言葉が、私の中に残った少しばかりの勇気に繋がっている。


 そのほかには、グランドール王国の王と王女、ノーランド王国とオーラン王国からはそれぞれ王子と補佐の役割である外部無大臣が同行していた。

 大陸の中で最も権力を持っているイタカリーナ王国からは九十歳になるダットーリオ王が参列する。


 アダブランカ王国からは、ダットーリオの孫である王子が参加するらしい。

 噂によれば、ずいぶんと前からアダブランカ王国は、ダットーリオに支配されているようだ。

 あまりいい噂はないとエミリオンから聞いた。


 式は、そのまま晩餐会に移行できるように、ニックス城にある舞踏会用の会場が使用されることになっている。


 私はアルムに選んでもらったドレスを身にまとい、エメラルドの宝石を身につけて、白い毛皮のついている真っ赤なマントをはおった。


 アルムやガルスニエルに何度も練習に付き合ってもらった絨毯の上を歩き、参列する人々の視線を感じながら王冠を持っている先々代の女王とエミリオンが立っている場所へと向かう。


 真っ直ぐ前を向いて歩いていると、エミリオンと視線があった。

 彼が静かに頷いたので、私は小さく深呼吸をして、先々代の女王の前で深く跪いた。


「主、サイアよ。また新しい君主が生まれることを、ご祝福ください」


 司祭が祝辞を読み上げて「王冠をここにジョジュ・ヒッテーヌに授けることを誓います」と私の頭に王冠を乗せよと指示を出す。


 王冠はずっしりと重かった。

 王の王冠と王妃の王冠はサイズが違うようで、王妃用の王冠の方が小さいと聞いていたが、それでも重みを感じずにはいられなかった。


「この国の繁栄をお約束下さい。ジョジュ・ヒッテーヌ」


 声を聞いて、私は目を見開いた。

 昨晩聞いた声だったからだ。


「ここに、イリナティス公よりジョジュ・ヒッテーヌに王冠が授けられました!新しい王妃の誕生に盛大な拍手をお願い申し上げます」


 会場からは盛大な拍手が送られた。


 まだ顔を上げてはいけない。

 拍手が鳴り止んでからでないと顔を上げてはいけないのだ。


 拍手が鳴り止むまでずいぶんと長く感じたが、ようやく会場が落ち着いて司祭が「ジョジュ・ヒッテーヌ王妃。顔をお上げ下さい」と言われて私は、彼女の方をじっと見つめた。


 白髪の長い髪の毛を夜会巻きでまとめ上げ、大きなダイヤモンドのイアリングが耳からはぶら下がっている。

 コバルトブルーの瞳に、鷲鼻、そして小さな口には真っ赤な口紅が塗られていた。

 肩からドレスと同色のオーガンジーのマントがついた紺色のAラインのドレスは、細身の彼女によく似合っている。


「ぼさっとせずに、前を向いてお辞儀をなさい」


 人を支配するような冷たい声に、私は慌てて前を向いてドレスの裾を持って王冠が落ちないようにお辞儀をした。

 再び盛大な拍手がなるが、私はそれどころではなかった。

 

 どこかでそんな予感はしていた。

 だが、現実となると驚きの方が隠せない。


 そこに立っていた偉大な元王妃であるイリナティス公は、紛れもなく、昨晩温室で一緒に過ごしたイリーナだったからだ。

 

 

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