【コミカライズ連載記念SS】『氷の王は、追放された敵国の王女を花嫁にする』後半
ジョジュ・ヒッテーヌが開催した舞踏会には、様々な顔ぶれが揃っていた。大叔母たちから贈られたらしい瞳と同じ色の髪飾りをつけた彼女は、溌剌とした笑顔で舞踏会を切り盛りしている。
普段は反抗的な弟のガルスニエルも、彼女の側で楽しそうにしているのを見て、どうしてか胸が締め付けられるような気持ちになった。
形ばかりの妻に『愛を求めるな』と言い放ってしまったことへの後悔が、胸の中をじわじわと浸食していく。
「陛下、少しお時間をいただけないでしょうか?」
舞踏会が終盤に差し掛かった時、ヴィオラから申し出があった。
本来であればこのような時にと思ったのだが、デニスとの会話の件もあり「私も伝えることがある」と了承した。
彼女からの話は、おおかた予想通りだった。
デニスにも伝えた通り、妻は一人しか迎える気はないと彼女に告げた。
もうこの国は、ドルマン王国の手を借りなくてもやっていけるではないか。といったヴィオラの訴えに、私は「サドルノフ公爵令嬢」と声をかけることしかできなかった。
鉄鋼事業を強引に拡大しているロニーノ王国は、未だ隣国の支援を得てして動いている。
彼女の言い分も分からなくはない。
しかし、肝心な時に話が合わないというのは、私にとって致命的だった。
彼女と結婚していたとしても、同じ方向を向いて国を治めることは難しかっただろうなと思うばかりである。
「いやです……私は、あの人なんかよりずっと……あなたを」
「二度は言わない。その手を離してくれないか?」
自分で想像していたよりも冷たい声が出てしまった時「いやあ、きっついね。悲惨までの、失恋現場」と聞き慣れた男の声が聞こえた。
「……デニス。いつから見ていた」
そう言いつつ振り返り、嬉しさを隠しきれていないデニスの隣にいる彼女の姿を見つけた。
「けっこう序盤からかな。君の妻もバッチリ見ていたよ。夫の浮気現場未遂」
デニスの言葉に、彼女が戸惑ったような表情を浮かべてこちらに視線を向けてくるのを感じて、ひどくいたたまれない気持ちになった。
はっきりとヴィオラには断りの言葉をかけたが、彼女が主催した舞踏会で他の女性と二人きりになってしまっているのは事実だ。
「最初から? ずっと見て、私の無様な姿を見て楽しんでいらしたのね……」
「楽しんでいたわけではないわ」
彼女の表情が、ヴィオラの言葉で一瞬にして強張る。小さな唇をキュッと結んでヴィオラの癇癪に耐えているようだ。
いつもそうやって我慢していたのだろうか。私に報告して、処罰してもらおうとせずに、自分で相手の感情を受け止めていたのだろうか。
「嘘よ! 惨めな私を見て楽しんでいたんだわ!」
言いがかりにもほどがある。フローラの『このままでは、ジョジュ様に危害を加えることもあるかもしれません』といった言葉も間違いではないようだ。
この状況を放置していれば、彼女が戴冠式を迎えた後も、私の見えないところで婦人たちの嫌がらせを受け続ける可能性が高い。
ドルマン王国から事実上の追放を受け、ロニーノ王国で後ろ盾のない彼女にとって、今守ることができるのは祖母と私だけだ。
これ以上ヴィオラが言いがかりをつけるようであれば、処罰を言い渡す必要があると口を開こうとした時だった。
「ああ、楽しんでいたさ。破談になったとはいえ、曲がりなりにも王族に入ろうとしていた女が……」
勘の鋭い男だ。私の考えに、デニスは気がついたらしい。
その後、デニスは本当に幼い頃から好意を持っているのだろうかと疑いたくなるほど、ヴィオラに厳しい言葉を捲し立てる。そうやって、私の前であえて攻撃をすることで、守っているつもりなのは分かった。
やり過ぎだが。
「もうやめろ。これ以上話をややこしくするな」
処罰を与えようとしていた人間が言える台詞ではないが、デニスの秘めた恋心に免じて私は口を挟んだ。
「君がそうやって中途半端に優しいから、彼女は諦めきれないんだろう? だから分からせてやっているのさ。もう望みはないってね」
デニスの言葉に、ヴィオラの眉間のシワがより深く刻まれる。そうやって幼い頃から犬猿の仲になってしまったことに、デニスは気がついているのだろうか。
守られたなど微塵も気がついていないヴィオラは、泣きながら去って行ってしまった。そして、デニスは役目を果たしたとばかりに満足気な様子で彼女を追いかけて行く。
ようやく落ち着いたとため息をつき、未だ戸惑ったような表情を浮かべる彼女に自分の側にいるようにと声をかけた。この後のことは、嫌な予感しかしないが、デニスがどうにかするだろう。
「大丈夫なのでしょうか……」
散々嫌な思いをさせられたにもかかわらず、彼女は本気で他人の心配をしていた。
彼女は、王妃としての手腕はあるが、自分を二の次にして、周りを大事にしようとする癖がある。ドルマン王国では、そういった性格につけ込んで足を引っ張る者がいたのだろう。
守らなくてはならない。
王族としての誇りと気品を持ち、優しく、人のためを思える長所を持つ彼女だからこそ、素直にそう思えた。
月夜が差し込む廊下で彼女に触れたが、嫌がられなかったことに安心する。
『愛を求めるな』と言ってしまったことを撤回した。そして、彼女以外を妻にするつもりもないことを正直に伝えた。
すぐに許してもらおうとは思っていない。少しずつ、歩み寄れたらと抱きしめる力を強くした。
***
彼女が主催した舞踏会から半年、あまりにもたくさんの事件が起こった。
そして――。
「陛下?」
彼女に呼ばれて、目を開ける。少し休むつもりが、書斎の長椅子で寝てしまっていたらしい。最近忙しかったので、まともに睡眠をとっていなかったのだ。
閉めたカーテンの隙間から日差しが入り込んでいたので、朝まで眠りこけてしまったのかと慌てて起き上がる。
「ジョジュ。今、何時だ?」
「夜の八時ですわ、陛下。最近は、夜遅くまで、ずいぶんと外が明るいですね。遠くの空がほんのり赤いくらいで、日が沈むまでもう少しかかりそうです」
彼女の返事を聞いて、朝まで眠ってしまったわけではないと安心する。
一年のほとんどが冬に覆われているロニーノ王国にも、僅かながら夏の訪れがある。その期間は、太陽の滞在時間の長い白夜の季節がやってくるのだ。
まだ、たくさんの雪も残っているし、気温も低い日の方が多い。夏と呼ぶには早いが、すぐに大地に緑が生い茂る日々が来るだろう。
なので、こうやって眠ってしまうと、朝なのか夜なのか時計を見ただけでは判断しかねる時がある。
「一人で来たのか?」
書斎の中には、私と彼女しかいない。先日、命を狙われたばかりなのにもかかわらず一人で行動しているのかと、静かに尋ねた。
「今日はフローラがお休みなので、護衛の兵士が外で待ってくれています」
一人で行動している訳ではないと安心して「そうか。ところで、その書類は?」と彼女が手に持った書類に視線を向けた。
「先日参加した慈善パーティーの資料を、簡単にまとめたものになります。机の上に置いておきますので、時間のある時に、目を通してくださいますか」
「ああ、アジャンテ伯爵夫妻が開催したものか。一人で参加させてしまって申し訳なかった」
「とんでもありませんわ。その日はもともとイックル地方へ行く公務があったのですから。近頃の陛下は、とてもお忙しそうです。あまり無理なさらないでくださいね」
気遣う彼女も決して暇なわけではない。過密なスケジュールの中、少しでも私を助けようと一生懸命王妃としての役割を果たしてくれている。
「ジョジュ。あなたは、休めているのか?」
「私は大丈夫ですわ。陛下の方こそ、このようなところで寝ていたら風邪を引いてしまいます」
まるで母親のような心配の仕方をすると、心の中でくすぐったい気持ちを抱えながら、私は彼女に「ジョジュ。こちらへ」と自分の隣に座るように促した。
呼んだ瞬間、頬を染めながらおずおずと近寄ってくる。その様子がなんとも言えず可愛くて、思わず笑ってしまった。
遠慮がちに隣に座った彼女の手を取り「何か困っていることや、必要なものはないか?」と尋ねた。
ヴィオラとの一件や、彼女の命を狙った事件などもあり、顔を合わせるたびに、こまめに状況を確認するようにしている。彼女の周囲には、私の信頼できる臣下を配置し、特に問題はないと報告を受けているが、それでも直接本人に尋ねることが大事な気がして聞くようにしていた。
予算を抑えるために、宝飾類など使い回しているとのことなので、新しいドレスや宝石が必要ないかもついでに尋ねた。
「特にありませんわ。みなさんとてもよくしてくださいますから。それに、必要な物はじゅうぶんに揃っています」
自身に多くの予算をかけまいと、毎回彼女はそう答える。時々、彼女の女官や侍女たちの方が『陛下、もう少しジョジュ様に予算を割いてくださいませんか?』と申し出てくるほどだ。
本人に尋ねても今回と同じように大体断られてしまうので、彼女の周りの人間に様子を聞いて予算を増やすことが多い。
「陛下。欲しい物ではないのですが、先日公務に行っていらしたイックル地方のお土産話を聞かせていただけませんか?」
「そのような話でいいのか?」
「まだロニーノ王国の中で地方に行ったことがないので、少しでも知れたらと思いまして」
戴冠式から数ヶ月、彼女は首都プルぺ以外の土地に訪れる機会がなかった。私が外に出る時は、城を任せている時が多いので、城の外にもあまり出れていない。
嬉しそうに耳を傾ける彼女に、イックル地方の土産話をした後「あなたは、行ってみたい地域はあるのか?」と尋ねる。
「ジュンヌ地方に、先ほどお話しされていたイックル地方。それに、ビジ地方も気になります。祖国ではあまり王都から出ることがなかったので、機会があったら色々訪れてみたいです」
普段要求の少ない彼女の希望を聞いて、地方のどこかにレックス家が持っている別荘地がなかったか、考えを巡らせる。
できるなら公務で行くのではなく、個人的に連れて行ってあげたいと思った。
ドルマン王国でもほとんど王都から出ていないと言っていた。旅行の経験は、少ないのだろう。
日程の調整や旅行先の手配などもあるので、今すぐにというわけにはいかないが、全てが整い次第誘うことに決めた。
「これから長い時間、この国で過ごす。色々一緒に行こう」
「はい。楽しみにしていますね」
嬉しそうに笑顔で答える彼女にたまらなくなって、繋いでいた手の甲に口付けを落とした。
「陛下。ここは書斎ですよ。外に衛兵も待機してますし、誰かが来てしまったら……」
「書斎でなければ、いいのか?」
「それは……」
「ジョジュ。こちらへ」
先ほどとは比べ物にならないほど顔を真っ赤に染める彼女を抱きしめ、次の段階に進めようとした時だった。
「兄上! 義姉上! こんなところにいらしたのですか! もう食事を一緒に取らなくなって、一週間ですよ。いい加減に長すぎます。今夜は、アルムが一緒にいたからいいですけれど」
弟のガルスニエルが、愛犬のフランを連れてノックもせずに書斎の中へ入ってきた。
弟の後に続くよようにして、護衛のゴルヴァンが「殿下。ノックをしませんと」と苦笑いを浮かべながら続いて入ってくる。
彼女は「ごめんなさいね。ガルスニエル」と私から離れ、弟の方へと向かってしまった。
いい雰囲気のところを邪魔されたことは、非常に面白くなかった。
しかし、弟をまた放置してしまっていた罪悪感から、彼女と同じように「すまなかったな」と謝罪の言葉を述べた。
「明日の朝は、一緒に食事をとると約束してください。家族なんですから。一人は寂しいです」
ガルスニエルが、寂しかったと正直に言うようになったのは、確実に彼女の影響だ。
「明日は、必ず一緒に食べよう。仕事も、もう少しで落ち着きそうだからな」
弟の頭を撫でながら言葉をかけると「約束ですよ。義姉上もです」と彼女の方に視線を向けた。
「ええ。約束するわ。ところで、デザートはまだ残ってるかしら。もしよければ、これから三人でお茶しませんか?」
彼女の提案にガルスニエルが「いいですね。兄上はどうですか?」と尋ねてくる。
私も食事を取り損ねていたので、参加することに決めた。
「では、先に行っていますね!」
部屋に入ってきた時とは打って変わったように意気揚々と書斎を出て行くガルスニエルとフラン。扉の外から「殿下。危ないですので、走らないで……」と弟を追いかけるゴルヴァンの悲鳴が聞こえた。
「陛下」
書斎から出ていく前に、彼女が振り返り私の方を見る。
「どうした?」
何か他に用事でもあったのではないかと思い「何かあるのだったら、ガルスニエルに伝えておく」と言葉をかけようと口を開いた。
「家族って、幸せですね」
私が言う前に、彼女が噛み締めるように呟いた。
祖国で家族とそりが合わず、無実の罪を着せられた挙句追放された彼女。知らない土地に来て、夫となる私からも冷たい言葉をかけられて不安で仕方がなかったに違いない。
その彼女が、私に向かって『幸せだ』と伝えてきた事実に、胸を打たれてしまった。
「ああ、そうだな」
そっけない返事だと自分でも思った。もう少し気の利いた言葉を返せればよかったと後悔する。
しかし、彼女は気にならなかったらしい。
「早く行きましょう、陛下。ガルスニエルが待ちくたびれてしまいますわ」と珍しく彼女の方から私の手を引いた。
ガルスニエルの待つ部屋に着くまでに「あなたと家族になれて、私も幸せだ」と伝えようと決めて、私はしっかり彼女の手を握り返すのだった。
『氷の王は、追放された敵国の王女を花嫁にする』
― おわり ―
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