第2章:愛のない結婚式
4:純白の王女
晩餐会の夜から結婚式当日まで、私は熱を出してしまい、エミリオンと会うことはなかったが、おかげで、少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
発熱している間、フローラが、熱心に私の看病をしてくれた。
フローラには、成人越えしている二人の息子がおり、若い頃旦那を戦争で失ってから、女手ひとつで子供たちを育ててきたそうだ。
エミリオンの祖母、つまりは二代前の女王の代からメイドの仕事をしており、「今ではすっかりメイドの中でも立場が上になってしまったんですよ」と照れたように微笑む彼女は、私には絶対手に入れられない何かを持っていた。
「趣味は、観劇ですの。コルク夫人の一生という劇なんですけれど、よろしければ今度冊子をお持ちしますね。おすすめです」
私の背中を温かいタオルで拭きながら、あまりにも熱心に「コルク夫人の一生」という劇について語っているので、物語のあらすじを尋ねたことがあった。
一人の女性が好きな男のためにお金を費やし、捨てられて、復讐を誓うというかなりドロドロした内容の劇のようだ。
「今の時代は、女も強く生きなくてはと、この劇を見て誓いましたのよ」
正直興味は湧かなかったが、そういった自分に良い影響を与えてくれる何かに出会えたことは羨ましいと感じた。
フローラは、自分のことは話すが、私にドルマン王国での出来事を無理に尋ねてきたりはしなかった。
それが心地よい部分もあり、歯痒い部分でもあったが、噂が広がっていると聞いたところで、私にできることはない。
彼女は私に気を遣ってか、エミリオンの話もしてこなかった。
***
結婚式当日の朝、私は純白のドレスの裾を手で弄びながら、人前に出なくてはならないことを覚悟しなければならなかった。
シルクでできた純白のドレスには、一粒一粒ビーズが刺繍されている。
私の身体のラインにピッタリ沿ったデザインだが、いったいいつ作ったのだろう。
瞳の色とお揃いの大きなエメラルドを小粒のダイヤモンドで縁取ったイアリングは、今後も公的な場所で使っていこうと思えるくらいには気に入った。
フローラが全て準備を終えて「少々お待ちください」と部屋で一人になった時だった。
「失礼します。ジョジュ王女」
部屋のドアがノックされて「どうぞ」と返事をすると、そこには綺麗に着飾ったドレスを身にまとった親子が立っていた。
見た目が非常に似ている母と娘だった。
栗色の癖毛を母は一つにまとめ、娘は三つ編みにしてまとめており、茶色の瞳を囲む長いまつげはまる人形のようだ。
「お初にお目にかかります。マリアンヌ・オルテルと申します。こちらは、娘のアルム。結婚式でお手伝いをさせていただきます」
マリアンヌは、人当たりの良い笑みを浮かべて、旦那はオルテル公爵で国王のサポートを普段していると語った。
晩餐会の時のことを思い出し「オルテル公爵の奥さまだったのですね。どうぞよろしくお願いします」と言えるくらいには、私に余裕は残っていたようだった。
国から事実上追放された私に介添人がいないことから、エミリオンが手配してくれたとのことらしい。
エミリオンという言葉を聞いて、心臓が一度だけ跳ねたが、マリアンヌは気がついていないようだった。
フローラは貴族の一員ではないので、結婚式場外までしか私と一緒にいることはできないらしい。
本当は、初対面の人間よりも少しだけ面識のあるフローラの方が安心できたが、マリアンヌにも貴族の面目というものがあるのだろう。
このような機会を与えていただいて光栄ですと何度も繰り返すくらいなのだから、国外追放された王女と言えども美味しい役割であることは間違いないようだ。
「ほら、アルムご挨拶なさい」
「はじめまして。王女様。アルム・オルテルと申します。花嫁サポート頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
まだ十歳くらいだろうか。
母に促されて、天使のようなほほ笑を浮かべたあと、アルムは私に向かって頭を下げた。
「アルムは、エミリオン国王の弟君であります、ガルスニエル王子の婚約者ですので、今後王女様とは懇意になっていくと思います。どうぞかわいがってやってくださいまし」
エミリオンに弟がいたのは、事前に渡された最低限の資料の中で把握していたが、ここに来るまでいろいろなことがあったのですっかり忘れていた。
まだ姿を見たことはないが、結婚式では見ることができるのだろうか。
「え、ええ。よろしく」と私がアルムに向かって手をおずおずと差し出すと、小さな手はしっかりと握手を握り返してきた。
***
結婚式は、これでもかというほど盛大に開催された。
重たい鐘の音がずっと鳴り響いている。
白い教会の中に敷かれた真っ赤なビロードの絨毯の上を、ガラスの瓶に入っているキャンドルに灯された火がゆらゆらと揺れている。
何十列とある十数人がけの長椅子には、人がぎっしりと詰めかけて座っていた。
私の隣をマリアンヌ公爵夫人が歩き、十メートルはあるであろう長いベールをアルムがそっと持ち上げてついてくる。
拍手が鳴り止まない中、私は祭壇の上で待っている夫となる男をじっと見つめたあと、壁に括り付けられている少女の像に視線を移した。
サイアと呼ばれる神様の像だ。
ロニーノ王国ではこのサイアに全てを祈る。
ここまで来たのであれば、腹を括るしかない。
私は、祖国にいる母を思い浮かべた。
新しい、主人となるサイアよ。
もう泣くのは終わりにします。
お母様が無事でいられるよう、私はこの国でやっていくことを誓います。
「まあ、国王陛下。今日は一段とご立派ですてきですわ。王女様とピッタリです」
マリアンヌのよくわからないお世辞を曖昧に受け取ったあと、私はエミリオンの前に立った。
祭壇の段差は、夫となる者が妻になる者の手を引いてあげなければならないという決まりがあるらしい。
ドルマン王国にも、誓いのキスをする前に、一度赤い酒を飲んでからという決まり(お互いの血を混ぜ家族になるという意味を持つ気持ちの悪い風習だ)があったので、素直に受け入れた。
白い軍服に身を包んだエミリオンは、まだ少し怖いといった印象は拭えなかったが、マリアンヌの言葉通り立派な王には見えた。
「王女様。国王の手を取ってください」
マリアンヌに耳打ちされて、私は慌てて、差し伸べられたエミリオンの手を取った。
大きな手の内は、マメがたくさんできて固くなっていた。
剣術など、ずっと鍛錬してきたような男の手だった。
傷ひとつない私の小さな手は、あっさりと包み込まれ、祭壇の上に持ち上げられた。
ニコリともしない赤い目をした銀髪の男は、「これは政略結婚だ。だから、私に愛を求めるな。私もそういうものは、求めない」と隣に立った私に、小さな声で言い放った。
言われることは覚悟していたので、私は揺らがなかった。
むしろ、陰でコソコソ言われるより、面と向かって言ってくれたエミリオンは、正直な人間だという感想すら抱いた。
「……わかりました」
駄々をこねることなく即答した私に、エミリオンは少しばかり目を見開いていたが、すぐに表情を戻した。
「ここで暮らしやすいようには手配する。だから、君も女王らしく振る舞ってくれ」
国外追放されるような悪姫は、足を引っ張ることなく大人しく役割を果たせという注意喚起らしい。
言われなくても、大人しくしているつもりだ。
もうあんな目にあうのは懲り懲りなのだから。
誰も信用しないし、誰にも心は開かない。
もちろん、この目の前の男にも。
「それでは、ロニーノ王国の繁栄を祈って、誓いのキスを」
エミリオンの大きな手が私の頬に触れる。
愛を求めるなと言う割に、いたわるような優しい手つきだった。
私は、瞳を閉じた。
冷酷無慈悲で残虐だと言われる男の唇は、あたたかく柔らかかった。
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