3:初めての晩餐会
風呂場へと案内された私は、フローラによって隅々まで洗い流された後、熱々の湯の中で冷えた身体を温め直していた。
フローラは、余計なことは一切話さずに「身体が温まる頃に、お迎えにあがります」と気を使ってくれたのか、私を一人にしてくれたのだ。
湯の中で、冷えた身体が温まるのと同時に、緊張の糸が切れ、せき止められていた涙が溢れ出して止まらなくなった。
分かっていたはずだった。
王族に生まれた時点で、私の身の回りに集まった人間たちは、利益を求めて私のそばにいたことに。
それに、王位継承権第一だった私を狙っていた者がいるといった状況を、もっと理解すべきだった。
「あの女が自分の周りを庇うようなバカで助かったけど、あの緑色のすがるような目は気持ち悪いったらありゃしなかったわ」
幼い頃からそばにいた侍女のサーシャの汽車の中で話していた言葉が、脳裏から離れない。
彼女はいつからそう思っていたのだろう。
もう二度と会うことはないはずなのに、いもしない人間の顔色をうかがうようなことを考えてしまう。
それに、ロニーノ王国の王であるエミリオンの不機嫌そうな表情。
まるで獲物でも射抜くようなあの赤い瞳が、私を有益な人間か、そうでないかを品定めされているようで、怖い。
とてもではないが、あんな恐ろしい人間とうまくやっていける気がしない。
湯船の中で動けなくなっていると「温まりましたか?」とまるで見計らっていたかのように、フローラが風呂場の中へと戻ってきた。
「あ、ええ。ありがとうございます」
溢れていた涙を見られないように、私はお湯を顔にかけて、フローラに見られないようにした。
「エミリオン坊ちゃ……国王は、怖そうに見えますけど、本当は家族想いのお優しい方なんですよ」
まるで私の心の中を読んでいたかのように、フローラは優しく微笑んで、私にバスタオルを手渡した。
私は、受け取ったバスタオルをぎゅっと握りしめて「そうなんですね……」と答えた。
「今夜の晩餐会は、ロニーノ王国の郷土料理がメインとして出るそうなので、お口に合うと嬉しいです」
フローラは、私の回答を気にするふうでもなく、他愛ない話を続けながら、私の身の回りの準備を始める。
髪の毛を乾かし、ドレスを着せて、丁寧に化粧を施していく中で、なぜ、私の付き人がフローラ一人なのか少し分かった気がした。
国外追放の判決を受けるまでは、私の周りにはサーシャの他にもいく人もメイドがいたが、他愛ない話を何気なくしながら、ここまで迅速に丁寧な作業ができる者はいなかった。
「このような感じでよろしいでしょうか?」
首元までしっかり詰まった長袖のベルベットのドレスに、首元にはパールのネックレス。
細身の身体にピッタリ沿ってはいるが、着心地は悪くない。
私の瞳に合わせたエメラルド色のドレスは、黄金色の髪の毛がよく映えた。
化粧も晩餐用に少しだけ派手に施されており、髪の毛も食事の時に邪魔にならないようにハーフアップにされていた。
どこから見ても、先ほど湯船の中で泣きじゃくっていた人間には見えない。
「えっと……ミス……」
「フローラとお呼びください」
フローラは、私の手をそっと握りしめて答えた。
祖国にいる母よりもシワの入った手は、じんわりと温かい。
「ありがとう、フローラ。本当に素敵だわ」
「喜んでいただけたようで、光栄です。ジョジュ様」
まだ信用はできない。
信用するつもりもない。
けれど、フローラのことは、少し好きになれそうだった。
***
フローラに晩餐会の会場へ案内されて、足を運ぶと、すでに長方形の豪華な机には幾人もの貴族たちが今かと私を待ち構えていた。
「大変お待たせいたしました。ジョジュ様、こちへどうぞ」
指示された席に着くと、斜め隣にエミリオンが腰掛けていた。
エミリオンは、私を一瞥した後、すぐに顔を逸らし「オステル公爵。乾杯の挨拶を」とだけ近くに座っていた口髭の男に声をかけた。
オルテル公爵と呼ばれた男は「こんな大事な晩餐に、私めに大切な役割を与えて下さったこと、心より感謝いたします。国王陛下」とグラスを持って恭しげに頭を下げた。
「ジョジュ王女。この度は、大国であるドルマン王国より遠路はるばる我がロニーノ王国へよくぞいらしてくださいました。エミリオン国王とのご結婚につきましても、式の前とはなり気が早いとは思いますが、この国の永遠の繁栄を願いまして、お祝い申し上げます。乾杯!」
オステル公爵の言葉に続いて、「乾杯!」と次々にグラスが上がった。
乾杯の合図を待ち構えていたかのように、扉の外から次々と料理が運ばれてくる。
メイン料理は鹿肉らしく、両手では持ち切れないほどの大きな肉の塊が、湯気を立てて皿の上に乗せられていた。
台車の上に乗せて運び、エミリオンから順番に取り分けられていく。
二番目に順番が回ってきたので「私は一番最後に……」と言おうとしたら、オステル公爵が「未来の女王に、とんでもない!」と私の皿に先に乗せるように使用人に命じた。
「今夜はジョジュ王女が主役なのです。ぜひ、ロニーノ王国の郷土料理をお楽しみください。鹿肉の塩蒸しは、この国の料理の中でも特におすすめですので」
「分かりました。ありがとうございます」
ここで順番を止めてもと、オステル公爵の好意を受け取ることにした。
この国では、私の悪い噂は届いていないのだろうか。
エミリオン以外の人間が、あまりにも好意的すぎるので、私は逆に怖くなった。
決して、人を殺そうとしたり、横領などしていない。
それは、神に誓ってもいいほどだ。
しかし、あれだけドルマン王国で騒ぎになったというのに、花嫁の噂を知らない人間が全くいないというのも不思議な話だ。
誰かが意図的に、噂を止めているのではないか。
そこまで、考えて私はエミリオンを見た。
彼は、私の噂を知っている。
そう考えれば、私に対する態度にも納得がいく。
義母を殺そうとし、湯水のように公費を使い込む王女に対して、警戒心を抱かない王はいないだろう。
だとすれば、この晩餐会で私がいくら気を遣って表面を取り繕ったところで、彼らに媚びているようにしか見えないはずだ。
私は、なんて愚かなの。
生き苦しさを抱えながら、食事をなんとか進め、ようやく晩餐会が終わろうとしている時だった。
末席に座っていた酔っ払った貴族の一人が「ジョジュ王女は、祖国で義母を殺し、横領をし尽くしたという噂は本当ですか?」と声を張り上げたのだ。
恐れていた事態が起きてしまったと、私は一瞬にしてパニックとなり、言葉が出てこなくなってしまった。
「無実です!」と何度も振り絞って出した声は、祖国では届かなかった。
部屋の中が静まり返り、全員の視線が私に向けられた。
裁判の時に、向けられた視線と同じだ。
面白がるもの、不快感を露わにして軽蔑の眼差しを隠そうともしないもの。
何度向けられても慣れるものではない。
「不快だ」
先に声をあげたのは、私ではなくエミリオンだった。
「大変申し訳ありません」と私が謝ろうと彼に目を向けると、エミリオンの視線は私に向いていなかった。
「ベンケンドルフ伯爵!言葉を慎め!ジョジュ様を侮辱されるということは、国王を侮辱すると同義!不敬罪で、牢獄に入れられたいのか!」
エミリオンに加勢するかのように、オルテル公爵が激昂した。
それが合図かのように、壁に控えていた衛兵たちが、ベンケンドルフ伯爵を椅子から引きずり下ろし、確保して部屋から連れ出した。
「晩餐は、これで終了とする」
エミリオンの言葉で晩餐会は、終了となった。
彼は、私を見ることなく席から立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。
「このようなくだらない話をここでも、そのほかでもしようものなら、誰としても容赦しませんぞ!」
エミリオンを追いかけて部屋から出ていく際に放ったオルテル公爵の言葉に、ほかの貴族たちも怯えたように頷き、慌てて部屋から飛び出して行く。
残された私のそばには、慌てたようにフローラが駆け寄ってきた。
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