13:温室の中の淑女

 薄暗い部屋の中で目が覚めた。

 静まり返った部屋の中で、薪の燃カスがプスプスとなる音が響いている。

 がらんと空いたベッドの端を眺めた後、私は寝返りを打っていつもはエミリオンが寝ていた場所に背を向けた。


 これからどうすればいいのか全くわからなかった。

 フローラが起こしに来て、財務部へ行き、仕事をしてガルスニエルたちと一緒に食事をとる。


 そして―――。


 昨晩のヴィオラの表情が、脳裏に突然浮かびあがった。

 エミリオンは、彼女と一緒に過ごしたのだろうか。


 なりふり構わない彼女の行動を思い出しながら、私は浅い呼吸を何度も繰り返す。

 左手の薬指にはめたままの指輪をしばらくぼーっと眺めていた後、私はたまらなくなってベッドから飛び降りて自ら着替えを始めた。


 コルセットなど小難しいものは、ずっと身の回りの人間に任せていたのでどうしたらいいのか分からなかったが、ドレスくらいは自分で着ることはできる。

 背中にボタンがあるものは避けて、なるべく簡単に着れるようなものを探した。


 外の気温のことも考えて、うまく履けずに何箇所か破いてしまった白いタイツを何とか腰の辺りまで引き上げ、灰色の毛皮のコートを羽織る。


 サイドテーブルの上にある、焦げついた母との写真をポケットの中に入れた。

 一度だけ使ったことがある内面に黒いカシミアの生地が貼り付けられている黒の皮の手袋をはめて、私はゆっくりとタペストリーを動かした。


 扉を開けると、突き刺すような冷たい空気が頬を包んだ。


「あの通路は使うことを禁じている」


 エミリオンの言葉が頭の中へと反芻するが、部屋の中に戻る気にはなれず、タペストリーの位置を裏側から元に戻して、私は扉を閉めた。


 部屋の暖かな空気が遮断されて、私は肩で息をしながら燭台で辺りを照らす。

 先日ガルスニエル達が逃げていた方向へと足を向けていくと、狭い排気口へとたどり着いた。


 さすがにここは、大人が通るには狭すぎると、私は他に通路がないか探すこと、数分。

 引き戸のようなものを見つけて、引いてみるとギィっと音を立てると同時に大量の埃が宙へと舞った。


 開いた扉の先には石畳の階段が続いており、階下へと螺旋状に繋がっている。

 埃が口の中に入らないように毛皮の手袋で口元抑えながら、階下を燭台で照らした。


 長い螺旋状の階段を降りていくと、古い木の扉があった。

 私は、その扉を開けるかどうか戸惑ったが、扉を開けた。


 ***

 

 扉の先は温室となっていたようで、雪が降りしきる外では見られないような植物がたくさん広がっていた。


「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」


 声のした方に視線を向けると、そこには一人の年配の女性が植物に水を与えているところだった。

 白髪の長い髪の毛を一つにまとめ、大きな翡翠がついた髪留めでとめている。

 コバルトブルーの瞳に、鷲鼻、そして小さな口には、薄ピンク色のリップが塗られていた。


 寝起きのまますっぴんで、髪もボサボサであったことを思い出した私は気まずくなって「大変失礼しました……!」とその場を後にしようとした。

 誰かに会うなんてことを何も考えていなかったのだ。


「いいのよ。そのままリラックスして、椅子にかけて植物を見て行ってちょうだい」


 老女は暖炉のそばにある椅子に座るように促すと、私のことなど全く気にしていない様子で植物の状態を一つ一つ丁寧に確認していく。


 てっきり外へと繋がっていると思ったのだが、まさかこのような場所に繋がっているなんてと、私は温かい部屋の中で毛皮のコートを脱ぎ、膝の上に置いた。

 ガルスニエルもこの温室を通ったのだろうか。

 だとすれば、ここは一体―――。


「炭鉱が発達してから、この国にたくさんの植物を育てるチャンスができてね」


 確認が終わったらしい彼女は、私の座っている椅子の近くにかけ直し、木製でできたバケツの中に入っている石炭をスコップで椅子の近くに設置してある小さな暖炉の中へと入れた。

 真っ黒な石は、次第に他の熱が移るようにゆっくりと赤く染まっていく。


「お会いしたかったわ。ジョジュ・ヒッテーヌ」


 入れたばかりの石炭が、半分ほど赤く燃た時、老女が静かに私に言い放った。


「えっと……」


 どうして私のことを知っているのだろうかと思ったが、私の使っていた部屋とこの温室が繋がっていた時点で、彼女は王族の関係者なのかもしれない。

 そうすれば、ドルマン王国からやってきた私のことなど黄金の髪の毛やエメラルド色の目を見れば分かることだ。


「ここで私のことは、イリーナと呼んでちょうだい。私も、あなたのことをジョジュと呼ぶわ。昔からこの場所では、身分を名乗ることを禁止にしているの。ありのままの自分になるのもたまには必要ですからね」


「分かりました。ミセス、イリーナ」


「イリーナでいいわ。それで、ジョジュがそんな家出同然の格好でこんなところへやってきたのはなぜ?」


 イリーナは面白がっているようだった。


 私は、話をすることを躊躇したが、切迫した心をどうにか解放したくて、イリーナに今までの状況を素直に話した。


 義兄妹、義母にはめられて祖国から国外追放を受けてしまったこと、祖国からロニーノ王国へやってきたが、荷物を盗まれ燃やされたり、同じドレスを晩餐会で着てこられた挙句、自分が一度買うかもしれなかったドレスを国王であるエミリオンが送ってしまったこと。

 そして、祖国で辺境の地へ送られてしまった母をどうにか助けたいこと。


 イリーナは、私の話に辛抱強く耳を傾け、全て話が終わると「上はそういう状況なのね」と静かに言った。


「申し訳ありません。突然、こんな話をされても困りますよね」


「ジョジュ。困るかどうかは私が決めること。あなたが、人の気持ちを決めるなんて、おこがましい話よ」


「はい……」


「叱っているんじゃないわ。それにしても、あなたはずいぶんといろんな人間に弱らせられたのね。見た目も心も」


 イリーナは、そっと私の手に自分の手を重ねた。

 年を重ねた手を添えられて、私はどうすればいいのか分からずイリーナの方をじっと見つめる。


「年寄りからアドバイスできることといえば、まずは力を取り戻すことね」


「力……ですか」


「力と言ってもいろいろあるわね。この場合、権力ではなくあなた自身の力よ。生きる気力とでもいうのかしら」


「でも、早くどうにかしないと、祖国の母も……」


「焦りすぎよ、ジョジュ。失ったものを取り戻すには、長い時間がかかるものなの。それに、あなたのお母様は仮にも一時、王妃だった女。王宮内で権力争いがあった際に、どのようなことが身に起こってもと彼女は覚悟していたはずよ。それとも、お母様はあなたに恨み言を言って、助けを求めていたのかしら?」


 私は首を横に振った。


 私のせいで状況が悪くなったというのにも関わらず、母は何も言わなかった。

 ほとんど接触を禁じられていたというのもあるが、わずかな面会の時にも「身体に気をつけなさい」と私に声をかけただけでそれ以外は何も言わなかった。

 少しやつれた表情の母を見て、私はその時に改めて義兄弟や義母達に警戒をしていなかった自分の愚かさを呪った。


「ジョジュ。確かにあなたやあなたの母の潔白な経歴は汚されてしまった。それも、悪意によってね。そのことで、色眼鏡を使ってみてくるものや、ばかにするもの、腫れ物を取り扱うようにしてくるもの、甘く見て蜜だけ搾り取ってやろうとするものもいるでしょう。ここで生き抜くには、それともう一度戦う力が必要なのよ」


「私は、女王になる資格はないのでしょうか?」


「厳しいことを言うようだけど、その発想のままでは、無理ね。だから、昨晩、洗礼を受けたのでしょう?」


 ヴィオラの勝ち誇った表情を思い出して、私は手をグッと握りしめた。

 自分の方がエミリオンの隣に座るのにふさわしいと思っているのだ。

 そして、おそらく彼女はそれだけの準備をしてきている。


 オルテル公爵の妻であるマリアンヌは憤慨してくれたが、ヴィオラの行動を見て楽しそうに笑っていた者も多かった。


 私はまた同じように足元をすくわれ、のこのこ荷物を持って逃げようとしていた。

 新しい女王になる女を追い出したい彼らに、私の怯えは伝わっていたのだ。

 あの場所は王宮だ。

 中には、ヴィオラが王妃になって得をする者も大勢いるだろう。


「イリーナ。質問を間違えました。あなたは、私が、王妃になることを望んでいる側の人間なのですか?」


 イリーナは笑みを見せただけで、その質問に答えなかったが「近いうちに人を送るわ。それに、エミリオン王の名誉のために言っておくけれど、あの子はそこまで馬鹿ではないわよ」と言って席を立つのだった。

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