第1章:全てから裏切られた王女
1:義母殺しのジョジュ・ヒッテーヌ
ガタガタと大きな音を立てて、汽車が揺れている。
祖国、ドルマン王国から北にあるロニーノ王国との国境を越えた真夜中に、しとしとと降り続けていた雨が雪へと変わった。
一等車に乗っているというのにも関わらず、四人掛けの座席が向かい合うように置かれているコンパートメントの中は、凍えるほどに寒い。
侍女のサーシャが、窓から入ってくる隙間風の寒さに震える私にブランケットを持ってきてくれた。
しかし、布一枚ではこの寒さは乗り越えられそうになさそうだ。
向こうに到着したら、毛皮のコートを手に入れる必要があるわね。と考えながら、私は、かけてもらったブランケットにくるまりながら両手を服の中に入れてさすった。
白い吐息が、長い黄金の髪の毛の周りをふわりと漂い、空気の中へと消えていく。
「ジョジュ様。こちら、カイロです」
車内で配布されていたらしいカイロ―熱した石を布で包んだもの―を足元と、腰の辺りに置いてもらったら、少しだけ楽になった。
「こんな寒さの中で暮らしている人がいるなんて、信じられないわ」
私の言葉に反応は戻ってこなかった。
必要最低限の会話しかしたくないのだろう。
侍女のサーシャは、頭を下げてコンパートメントから出て行ってしまった。
***
「ジョジュ・ヒッテーヌ。お前は、ロニーノ王国のエミリオン王との結婚、そして、国境を越えた後は、二度と戻ることを禁じる」
幼い頃から遊んで歩いた城の大広間で、唯一血の繋がりのある父が、私に向かってそう命じたのは、つい先日のことだ。
冷酷無慈悲な上に、残虐であると近隣諸国でも噂で有名なエミリオン王との結婚は、どのような王女でも嫌がるだろう。
しかし、私にその命令を拒否する権限は持ち合わせていなかった。
義兄妹にお茶会があるからと呼ばれた席で、私の淹れた紅茶を飲んだ義母が倒れたことが、理由だった。
「私、ジョジュ王女がカップの中に何かを入れているのを見ました」というメイドの発言で、お茶会の席は阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまった。
もちろん、毒など混ぜていない。
私は、ただ混乱していた。
義兄妹と仲が悪かったかと言われたら、そのようなことはなかったはずだ。
挨拶を交わし、時折一緒にお茶をするくらいには関係を築いていたはずだった。
だから、その日も「ジョジュ姉に、おすすめの紅茶があるから、ぜひお茶会に来てほしい」と彼らに誘われて、サーシャを含む侍女を数人連れてサロンへと出向いたのだ。
王位継承権第一位である私を狙った義母と義兄妹の画策だったと気が付いた時には、力のある貴族たちの味方は周りから消えていた。
遠巻きに意地悪い笑みを浮かべる義兄妹たちの表情で、彼らが全て仕組んだことなのだとようやく気がついた時には、全てが遅かった。
「王位継承権を手に入れるためならば、人殺しも厭わない残虐な女だ」と大騒ぎされて、弁解する余地もなく、私には義母殺しという汚名を被せられた私を嘲笑する声を抑える者はいなかった。
誤解を解きたいと訴えても、「これ以上被害者に精神的な苦痛を与えるな!」と取り合ってもらえず、足掻けば足掻くほど私の立場が悪くなる一方だった。
さらには、ここぞとばかりに貴族の横領なども一緒に罪を被せられ、私の不名誉は瞬く間に国中へと広がってしまったのだ。
王女、ジョジュ・ヒッテーヌが、悪政をする前に、この国から追い出せ!
こんな女をこの国の女王にするな!
噂を聞きつけた国民たちの声も、王が無視できないほど、大きくなった。
何度も裁判が開かれたが、閲覧する人数が増えていくのに比例するように、私の裁判での敗北の色も濃くなっていく。
毎日「人殺し王女ジョジュ・ヒッテーヌ」という新聞の見出しが踊った。
弁護する人間も裏で買収されてしまっていたようで、私を弁護する気のない弁護人は「彼女は、真実を話すべきです」と私の供述の途中で口を挟む始末だった。
血の繋がる実の父親ですら「お前が無実だと、証明できる手立てがない」と匙を投げたので、誰も私を守ってくれる人はいなかった。
裁判の結果として、実の母は、財産の没収と共に本城から、辺境にある古城へと住まいを移すこととなり、王位継承争いに負けた私は、つい数年前まで敵対関係にあったロニーノ王国へ嫁ぐという名目で、国外追放されることになったのだ。
それでも甘いという声が多かったが、王族を死刑にしてしまったという前例を作りたくなかった父の思惑に賛同する者も少なからずいたことは、不幸中の幸いとしか言いようがない。
母が行くことになった辺境の地にある古城は、何もないところらしい。
財産を持っていない母は、すぐに生活が立ち行かなくなり修道院に入る羽目になるだろう。
冷酷無慈悲な男に嫁ぐ自分よりも、母の身の上の方がずっと心配だったが、今の私には、汽車でロニーノ王国に向かうこと以外は何もできることはなかった。
***
「ジョジュ様。そろそろ降車の準備をなさってください」
サーシャの言葉に私が頷いたのと、汽車がけたたましい音を立てて止まったのは、ほぼ同時だった。
駅員に案内されるがままに、汽車を降りると、コンパートメントの中とは比べものにならないほど、身を切りつけるような冷たい風が吹きつけた。
大きな山が連なり、乾いた冷たい風が吹くドルマン王国の冬も厳しかったが、ロニーノ王国の寒さと比べたら可愛いものだろう。
あまりに寒かったので、振り返ってサーシャに「大丈夫?」と声をかけようとしたが、荷物が置いてあるだけで彼女の姿は見当たらなかった。
大事な侍女の一人だったが、この汽車を降りれば、永遠の別れとなってしまう。
私の犯してしまった行動で彼女にも苦労をかけてしまった。
幼い頃から一緒に過ごし、献身的に尽くしてくれていた彼女に、お礼と共に「私が過ちを汚名を着せられた件で肩身の狭い思いをさせてしまった」と謝罪の言葉を述べたかった。
「まもなく、出発します!」
乗り降りの時間は短いようだった。
汽車が、出発する前に最後に一言だけでも、と彼女の姿を探す。
列車の出入り口で護衛の男と話している彼女の姿を発見した時だった。
「あ、サーシャ……」と口に出した言葉は、白い空気と共に宙を彷徨って消えてしまうことになった。
「こんな寒いところまで、なんで私たちがあの人殺しを送らなくちゃいけないわけ?あー、寒い!」
聞いたことのないようなきつい声色だった。
私のことを指しているであろう「人殺し」という言葉に、動けずに固まった。
「あの女が、女王になると思って媚売っていたのに、あの女のせいで、こんな寒い思いをしなきゃいけないなんて」
「共犯の烙印を押されなかっただけ、ラッキーだったと思うんだな」
「まあね。あの女が自分の周りを庇うようなバカで助かったけど、あの緑色のすがるような目は気持ち悪いったらありゃしなかったわ」
「お前小さい頃からあの緑の目気持ち悪いって言ってたもんな。にしても、この国の新しい王は、拷問が好きなことで有名らしいぜ。俺なら、汽車を降りたら逃げるね」
「あの能天気にそんな知恵はないでしょ。拷問でも受けて死ねばいいんだわ」
「お前、それは面白すぎ」
護衛の男が、ケラケラと笑ったところで、扉が閉まり、汽車が出発した。
サーシャも護衛の男も私が見ていることに気がつきもしない。
けたましい蒸気が噴き出る音、大きな車輪がガタンゴトンと音をたてながら線路の上を走っていく音を、私はただ聞いているしかなかった。
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