第9章:疑われる妃殿下

26:過去と今

 私が犯人たちに金を渡し、事件を起こしたという彼らの供述は、ニックス城の中に亀裂を与えるのにはじゅうぶんだった。


 犯人たちが仕組んだ罠だという者もいれば、やはりドルマン王国の女だったと言う者のふたつに分かれてしまった。

 身に覚えのないことでどんどん悪い噂が広まっていく。


 ドルマン王国で経験したことと全く同じだと、震える日々が始まった。

 唯一異なる点は、エミリオンや半分ほどの王政派の貴族たちが味方になってくれているということだ。


 しかし、一部の人間は王族だからといって、たくさんの人が犠牲になった事件について身の潔白もなしに逃げることは許されないことだと申し出る者もいるようで、私がどこで何をしていたか裁判を開く必要があるという声も上がっていた。


 あの夜、エミリオンが来なかった夜以外は、私に全てアリバイがあることで「あり得ない」と一蹴できているようだが、納得のいっていないものは数多くいるようだ。


 その中でも、王族直轄部隊の幹部であるダンデーヌは自分の立場が危うくなってしまったことや、自分の部下たちが亡くなってしまったことを激しく主張し、私への裁判を強く要求しているうちの一人らしい。


 味方が増えたとはいえ、こういった状況に陥るのは非常に苦しく、耐えられないものだ。

 エミリオンが城での催しを禁止してくれていなかったら、今頃、針のむしろ状態であっただろう。


「どうする?このままでは、女王を下ろせと言ってくるものも出てくるぞ」


 デニスは苛立ちを隠す気は一切ないようだ。


 エミリオンの書斎の端で、私はなるべく気にしないように財務部の仕事を続けた。

 一人で動くのは危険とのことで、王の書斎に財務部の副部長であるルドルフ・イーゴリに仕事を持ってきてもらっている。


「意見は聞く必要はない。彼女が女王になることは最重要決定事項だ。サドルノフ公爵令嬢の様子は?」


「肺炎をこじらせて今は王宮に来れるような状況じゃない。先日会いにいったけど、肺が炎症を起こしているらしく、ずっとひどい咳をしていたよ。ありゃ会話は無理だ」


「そうか……」


「筆談でもお願いして調書作ろうか?今日も彼女のいる邸宅へ行く予定だから、彼女の意見もあれば、妃殿下の自作自演だという噂は少しはおさまるだろう」


「そのくらいはできるのか?」


「させるさ」


 デニスが部屋を出ると同時に、ルドルフが財務部の部長のエレーナ・アヴェリンとともに部屋の中へ入ってきた。


「陛下。お手隙の際に、お時間をいただけると幸いです」


「今、ちょうど手が空いている」


「承知しました。一件気になることがありまして……」


 三人でヒソヒソと話を始めたので、私は割り込まないように自分の仕事に集中した。


「ロックデリットで……」


 ロックデリットという言葉が聞こえて顔を上げる。


 ロックデリットは、この国の経済を支える非常に大きな炭鉱だ。

 そして、エミリオンとガルスニエルの両親である、先代の国王と女王が亡くなった場所。

 そこがどうしたのだろうか。


 話が気になるが、私を交えないでヒソヒソと話をしている時点で、私に聞かせたい話ではないのだろう。


「やあやあ、妃殿下。お久しぶりです。随分お会いできない間に、なかなか面倒ごとに首を突っ込みまくったようで」


 話が終わったらしいエレーナが、まるで旧友に会うかのような態度で私に向かって話しかけてきた。


「おい!言葉遣いや態度を考えろ!」


 背後からルドルフが注意するが、これはいつものことなので、エレーナはあまり気にしていない。


「いいえ。大丈夫よ。こんな状況の中、いつも通り話しかけてくださってありがとう」


「妃殿下は少し、自己肯定感がお低いのではないですか?せっかく女王になられるのですから、私めくらい顎で使ってくださっても構いませんよ。まあ、顎で使われる気はサラサラありませんが」


 エレーナなりの慰めだろう。

 数学書や仕事以外ではろくに会話をしようとしない彼女が、これだけ私のことを気を遣った会話をしていることに、私はありがたい気持ちでいっぱいになった。


「ありがとう。ところで、私の女官を募集しているのだけれど……」


 私が言い終わる前にエレーナは「お断りします」と言い切った。


 そうだろうと思って、私は笑う。


「まだ話終わっていないわ」


「あのまま話を続けていれば、妃殿下が私を女官に引きれようとする確率は約九十パーセント以上。貴族の女どもの集まりは幼い頃から苦手なのでございます。正直、あの集まりに参加するくらいなら、三日間数学書に触るなと言われる方がマシなくらいで。ようやく居心地のよい場所を見つけて落ち着くことができたがゆえ、そっとしておいてくださると。妃殿下のことが嫌いだからというわけではないので、あしからず」


 暇さえあれば数学書を片手にしているエレーナが三日間も触れない方がマシと言うくらいなのだから、よっぽど嫌なのだろう。


「残りの十パーセントにかけて言ってみただけなので、お気になさらないで」


 会話が終わると二人は、私の終わらせた仕事を持って部屋を出ていった。


「彼女は、あんなに話をするのだな」


 エレーナのことを指して言っているらしい。


「今日が一番会話いたしました」


「私が王として至らないばかりに、あなたに苦労をかけて申し訳ないな」


 エミリオンの突然の謝罪に、私は驚いて彼の方をじっと見つめた。


「いいえ。私が変な発言をしてしまったことが一番の問題だったのです……。陛下には迷惑ばかりかけております」


「そのようなことはない」


 エミリオンは、なんでもないように言ってはいるが、私がいることで風当たりが強くなってきていることを知っている。


 ヴィオラの言っていた通りだ。

 それほどまでに路線を展開することが重要なのだろうか。

 どう考えても、ドルマン王国の支配からは脱却できている。

 祖国でも厄介払いされ、この国でも疎まれ始めている私がここにいる理由はなんなのだろう。


***


 次の日も同じようにエミリオンの書斎で仕事をしていた時だった。

 

 エミリオンが他の用事で席を外していたので、彼の書斎で仕事を黙々と続けていた。

 思っていたよりも早く仕事が終わり、伸びをしていると、部屋のドアがノックされた。

 一体誰だろうと身構えたが、勝手に開けるわけにもいかず黙って様子を見る。


 すると「いらっしゃらないのですか?」と部屋の中へ、王族直轄部隊の幹部であるダンデーヌが姿を現した。


「……!」


 私の裁判を最も望んでいる男が部屋の中へ入っていて、私は後ずさった。


「妃殿下ではありませんか。人が大変だというのに、こんなところで優雅にお遊びとは良いご身分ですな」


「遊んではいないわ」


「国のために有益なことができなければ、お遊び同然です。近いうちに、裁判でお会いしましょう。陛下は認めなくとも、私はこの命がある限り、あなたを絶対に監獄の中へ入れますよ」


 ダンデーヌは言いたい放題言ったあと「これを陛下に返しておいてください。あなたが起こした事件で剥奪された幹部の勲章です」と私の手にそっと乗せて部屋を出て行った。


 彼が部屋を出ていったあと、突然、さまざまな感情が自分の中から湧き上がってきて、私は何度も何度も浅い息を繰り返した。


 父ですら投げ出した私の裁判。

 私が女王になるからと媚を売ってきたメイドたち。

 手のひらを返した貴族たち。

 辺境につれていかれる母。


 ここでも、過去と同じようなことが起こるのだろうか。


 同じことが起こったら、今度はどこへ行けばいいのだろう。


「ジョジュ?」

 

 部屋へ戻ってきたエミリオンが、心配そうな表情を浮かべて私に声をかけてきた。

 私の手の中にあるダンデーヌの勲章を見つけると「怖い思いをしたのだな」と小さくつぶやいた。


 この人は、冷酷な人ではない。

 血の通った優しい人だ。


「国王は、怖そうに見えますけど、本当は家族想いのお優しい方なんですよ」


 いつだかのフローラの言葉を思い出して「エミリオン……」とすがるように両手を伸ばすと、エミリオンはその手を取って私を抱きしめた。


「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫だ」


「今すぐ、私をあなたのものにしてください……」


「そんな状態では、無理だ」


「お願いします……私は、今あなたしかいないのです。私を本当の家族にしてください」


 エミリオンはしばらく黙っていたが、私の手を引くと、書斎の隣に備え付けられている仮眠室へと私を連れて行った。


 暖炉が付けられていなかった寒い部屋の中で、吐息と体温だけが温かい。


 私を見つめるルビーのような瞳。

 短く整えられた銀色の髪の毛を、私はゆっくりと撫でた。


「ジョジュ」と呼ぶ彼の少し厚い唇が私の薄く小さな唇に触れると、抱きしめられる力が少しばかり強くなった。


 私よりもずっと厚い胸板は、服の上からでもわかるほど引き締まり、鍛え抜かれた筋肉があるのがわかる。


 身体中に駆け巡る鼓動が、彼に聞こえていないか心配になる程だった。

 熱気で、窓ガラスが曇っているのが、彼の肩越しに見えた。

 経験の乏しい私でも、関係が次の段階に移っていくのだろうということがわかった。


 不思議と身体を重ねることに恐怖はなかった。


 この人と一緒なら、大丈夫。

 そんな気さえした。

 ある一点を除いては。


「エミリオン。私は、あなたの子を産んでも良いのですか?」


 私の言葉に、「なぜ、そんな当たり前のことを聞く」といった表情を浮かべる男は、返事の代わりに私の黄金色の髪の毛に口づけを落とした。


「ジョジュ。私は、あなたが愛おしくてたまらない。あなたの気持ちが私に向いているのなら、私はあなたをより深く愛そう」


 何度目かの深いキスの後に、エミリオンが深く囁いた。

 私から、溢れる涙を拭う手は、ただ優しい。


 どうしてこの人を冷酷王だなんて呼ぶ人がいるのだろう。


 血生臭い泥にまみれた汚名と共に生涯を終えるだろう私を、愛してくれている唯一の人。


 もし、神様が本当にいるのであれば、どうかこの人の人生が、安らかで幸せなものでありますように。


 ただ願って、私は彼の腕の中へと全てのことから逃げた。

 今は、まだ地獄には落ちていない。

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