第37話 あなたに抱くのは名前をつけることのできない感情
「ヴェリニヘルムは……」
「ヴェリニヘルム殿下は?」
「ヴェリニヘルムは……」
「殿下はどうしたの?」
「ヴェリニヘルムは……」
「早く言いなさいよ! どうしたの⁉︎ 大丈夫なんでしょう?」
「ヴェリニヘルムは……」
もったいぶるアディマスが憎たらしい。
座って聞いていたのだが、バネがついた人形みたいに飛びあがり、アディマスの胸をポカポカと叩く。
「いて、いててっ!」
「ストアディア王女に殴られることを光栄に思いなさい! で、ヴェリニヘルム殿下の容態はどうなの⁉︎」
「俺が助けてやったから、無事だっ!!」
「へ?」
アディマスは驚くわたしの右手首を掴むと、真顔でわたしを見つめた。その瞳の真剣さに、息がうまく吸えなくなる。
「俺がいなかったら、ヴェリニヘルムは死んでいた。俺に感謝するんだな。海賊なのに、陸に上がってやったんだ」
「どういうこと……説明して……」
「農民になりすましていた傭兵が、物陰からヴェリニヘルムに向けて矢を放った。農民にしては動きが機敏でおかしいと、物陰に移動する前から目をつけていたんだ。だからいち早く気がつくことができた。ヴェリニヘルムを突き飛ばしたから、矢は肩を掠っただけで済んだが、すぐ後ろにいた男に刺さってしまった。まあ、その男というのが豚領主なんだが……。悶え苦しんだ末に死んでしまった。矢先に毒が塗られていたんだろう。ヴェリニヘルムもかすり傷なのに、高熱がでた」
「……無事なの?」
「無事といえば無事だが、無事ではないといえば無事ではない」
「真面目に答えて!! ヴェリーは死んでいないでしょう⁉︎ 死んでいないって言って!!」
「ヴェリー……か……」
アディマスは唇をきつく噛み、しばらく沈黙したのち、大きく息を吐いた。シャツの胸が上下する。
「俺としては死んでもらってかまわないけどな……。あいつは、薬草を持っていた。解毒と熱冷ましの薬草だと言って、飲むところを見た。だから、死ぬことはないんじゃないか? かすり傷だしな」
「そう、良かった……」
心底ホッとして、深い吐息とともに肩から力が抜ける。
ヴェリニヘルムは生きている——。
それがどれほど嬉しいか。涙の滲む目で、神に感謝を捧げる。
それからふと、アディマスがわたしの手首を掴んだままであることに気づき、もう片方の手で頬をつねってやる。
「あなたって説明下手ね!! 生きていると、まずはそこから話すべきだわ! 回りくどい話し方をしないで。あなたが侍従だったら、即刻クビにするところよ!」
「おー、怖っ。ほっぺたが痛ぇよ。離せ」
「あなたこそ手を離しなさいよっ!!」
楽しそうに笑うアディマス。
感情的になっているわたしとは違って、アディマスには余裕がある。喧嘩を楽しんでいる彼と、ムキになっているわたしとの落差に悔しさが増す。
「あなたが先に手を離したら、わたしも離してあげるっ!」
「姫さんに触られるのは喜ばしいが、ちと痛えな」
アディマスは顔を左右に振った。その勢いで、つねっていた手が振り払われてしまう。
「あっ……」
「やっぱり俺と姫さんじゃ、相性が悪すぎる。過ちで恋人にでもなったら、毎日が喧嘩三昧だ。大喧嘩の末に海に放り出されて、魚の餌にされちまう」
「そうよ! あなたを餌にして、鯨を釣りあげてみせるんだから!」
「ハハッ! 鯨を釣れるなんて、さすが俺様の肉片だな!」
「あなたねぇ、そこは怒りなさいよ」
アディマスのペースにすっかり呑まれている。支配者はわたしなのに、こんなのおかしい。
(ヴェリーのせいで感情的になっているからだわ! 取り乱してはいけない。冷静にならなくては!!)
毒のある冷ややかな笑みを唇に乗せようとするより早く、掴まれていた右手首を引っ張られる。抗議の悲鳴をあげる間もなく、アディマスの方に引っ張られた。
近すぎる顔。野生味のあるアディマスの黒目が瞬きすることなく、わたしを凝視している。
吐息が掠める距離感に、わたしはすぐさま顔を背けた。
「なにをするのっ!! 今すぐに解放しないと……」
「姫さんに言いたいことがある。とても大切なことだ」
アディマスの息が頬にかかる。
どのような感情からくるのか分からないものが湧きあがってきて、胸を焦がす。
「さっき、泣いていただろう?」
「泣いてなんかいないわ!」
「俺は目がいい。姫さんは泣いていた。それを見て、俺は確信した」
アディマスはなにを言いたいのだろう?
不安と緊張で、心臓が激しい動悸を刻む。
「姫さんは……泣き顔が不細工だな。とてもじゃないが、見れた
「ひ、ひどぉーーーいっ!! 最低っ!!」
無礼な発言に、怒りが沸騰する。荒ぶる気持ちのままに手を振り払った瞬間、反動で体が傾ぐ。足に力を入れようにも踏ん張ることができずに、勢いのままに背中から倒れる。転んでしまう恐怖心で目を瞑る。
(……あれ? 痛くない……?)
恐る恐る目を開けると、アディマスがわたしの背中に手を添えている。彼はゆっくりと、わたしを地面に下ろした。
地面に背中をつけたわたしを、四つん這いの体勢になったアディマスが見下ろす。
端正な顔に大人の男の色気を
わたしは身動きすることも声を出すこともできない。
「姫さんの泣き顔は不細工だ。だから、泣くな。姫さんに泣き顔は似合わない。……俺が守ってやるから、笑っていろ」
沸きあがるこの感情は、なんなのだろう。
男らしいまっすぐな声が、わたしを惑わす。
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