第41話 最高の仮面夫婦
初夜の儀式はあっという間に終わった。
ヴェリニヘルムが出ていったドアをぼんやりと見ながら、落ち込むがままに何度も溜息をつく。
(失態を犯してしまった。まさか初夜で夫の顔を殴るなんて……)
初めてのことに、わたしは気が動転してしまった。「絶対に違う! こんなに痛いなんておかしい! 間違っている!!」と騒いだあげく、振り上げた手が偶然ヴェリニヘルムの顔に当たってしまったのだ。
「怒ったに違いないわ。今夜は来てくださらないだろうな……」
通り穴のある西の壁に視線を移す。
「嫌われて、離縁したいって言われたらどうしよう……」
人に好かれようが嫌われようが、どうでも良かった。ストアディアの王女である誇りの方が大事で、人々の個人的な感情に付き合う気などなかった。
それなのに、ヴェリニヘルムがわたしをどう思っているのか気になってしまう。愛していると言われても、それは刹那的なもので、永遠ではないから。人の気持ちは簡単に変わる。
涙ぐんでいると、西の壁の一部が動いて、ヴェリニヘルムが姿をあらわした。
「遅くなってすみません。……体が痛むのですか⁉︎」
慌てているヴェリニヘルムに抱きしめられ、後頭部に大きな手が置かれる。
「すみません!! 優しくしようと決めていたのに、その……余裕をなくしてしまい、十分にいたわってあげられなかった。明日は気をつけます!」
「明日があるのですか?」
「いや、明日じゃなくてもかまいません。明後日でも、一週間後でも、あなたの体が整うまで待ちます」
話が食い違っている気がする。
どうやらヴェリニヘルムは怒っていないし、嫌ってもいないらしい。
「誤って、叩いてしまいました」
「気にしないでください。それよりも、かなり痛むのですか?」
ヴェリニヘルムはわたしの顔を覗き込むと、
「痛くないですし、そのことで泣いていたわけではないです。殿下に嫌われてしまったのではないかと考えていたら、悲しくなってしまったのです」
「まさか! あなたを嫌うなどど、そんなことあるわけがない! 愛していますし、一生大切にします。……私たちは今日、夫婦になりました。誓いのキスをしてもよろしいでしょうか?」
「はい!」
思わず声が弾んでしまった。
唇が合わさる瞬間、ヴェリニヘルムは囁いた。
「私は世界一幸せな男だ」
そう言って触れた唇からは、幸せが流れ込んできた。胸に熱いものが広がって、わたしはまた涙ぐんでしまう。
ようやく、愛する人と夫婦になれたのだ。
「これからは許可なしで、口づけをしてかまいません」
「本当ですか?」
「だってわたしたち、夫婦ですし……。夫となった人には特別な許可をだします。好きなときに、その、キスしてもいいです……」
恥ずかしさで消え入りそうな声で宣言すると、ヴェリニヘルムは嬉しそうに目尻を下げた。
けれどこれで終わりではない。もう一つ、やらなければならないことがある。
彼の照れた顔を見たくて、罠に誘導する。
「先ほど世界一幸せな男だと言いましたけれど、男の中ではそうかもしれません。けれど男女合わせた人間の中では、殿下は二番目に幸せな人ですわ」
「二番目? 一番は誰ですか?」
「わたしです。わたしが世界で一番幸せです。だって最高の人を、夫にできたのだもの。殿下は二番目です。残念ですが」
「そうでしょうか? 私の方が幸せだと思いますが。だってあなたを妻にできたのですよ?」
「わたしなんて、ただの生意気女です。殿下の方が何倍も素敵ですわ!」
「この流れは……」
「殿下はわたしよりも、何十倍も素敵です!」
「言いませんよ」
「殿下はわたしよりも、何百倍も素敵です!」
わたしに食い下がる様子がないことを悟ったヴェリニヘルムは渋い顔をした。けれど含み笑いをしているわたしに付き合う決心がついたらしい。
「お言葉を返すようですが、私よりもあなたの方が何千倍も素敵です!」
「違います! わたしよりも殿下の方が何億倍も素敵です!」
「いいえ、違います! 私よりもあなたの方が何十億倍も素敵です!」
「殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下!!」
「あなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなた!!」
大きく息を吸い込むわたしに、ヴェリニヘルムもやれやれといった感じで息を吸い込む。
油断しているヴェリニヘルムに、わたしはほくそ笑む。
(あなた、なんて他人行儀な呼び方を終わりにしてあげる!)
「ヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリー!!」
「なっ!!」
ヴェリニヘルムは意表を突かれて、口をあんぐりと開けた。
「どうしたのですか? わたしよりもヴェリーの方が、何千億倍も素敵だということを認めるのですか?」
「この流れで愛称を呼ぶのは卑怯です!」
「ヴェリーヴェリーヴェリーヴェリー!!」
「いや、あの、ちょっと待ってください。心の準備が……」
「ヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリー!!」
「ええと、その……ユ、ユリシス……」
「ヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリーヴェリー!!」
ヴェリニヘルムは両手で顔を擦ると、迷いを捨てて叫んだ。
「ユリシスユリシスユリシスユリシスユリシスユリシスっ!! ……はぁ、あなたの夫になるのは大変だ……」
「ふふっ。後悔していますか?」
「いえ、自分の真面目な生き方とあまりにも違うので、戸惑っているだけです。でもあなたの軽やかさが好ましい。私も……突飛な行動をしてもいいのかもしれない……」
ヴェリニヘルムはニヤッと口角を上げると、なんの前触れもなく、いきなりキスをしてきた。
予想外のことに悲鳴をあげてしまう。
「キャッ! 突然ずるいです!!」
「口づけに許可がいらないと言ったのは、ユリシスですよ。先が楽しみですね」
「信じられません! 悪用するつもりですね! わたしにだって考えがあります!! 世界一幸せな人の座を譲ってあげます。明日からその幸せを味わってください!!」
「それは楽しみです」
こうして夫婦としての初めての夜は、賑やかに過ぎていったのだった。
✢✢✢
わたしとヴェリニヘルムは愛し合っている。けれど人前では、愛情のない冷え切った夫婦の仮面を被っている。
初めの頃は、本音を言えない苦しさを感じていた。けれど今ではすっかり仮面夫婦の演技にハマっている。
柱の陰で。階段ですれ違いざまに。木の後ろに隠れて。誰もいない廊下で。人目が離れた一瞬の隙を突いて――。
ヴェリニヘルムの腕に触れる。髪に触る。指先を掠める。頬にキスをする。目で愛していると訴える。
わたしたちは人目を盗んで、愛情のない夫婦の仮面を外す。
冷たい仮面をつけているからこそ、その下にある愛がよりいっそう燃えあがる。
執務室に行こうとするヴェリニヘルムの腕を引っ張って、騎士の間に連れ込むことに成功したわたしに、ヴェリニヘルムは呆れた顔をする。
「あのですねぇ。こういうことをしていると、いつかバレますよ」
「そうでしょうか? わたしにはバレない自信があります」
ヴェリニヘルムの胸に飛び込み、彼の愛用している香水である樹木の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「積極的な女性はお嫌いですか?」
「ユリシスが積極的であることは、出会ったその日から分かっています」
「では大胆な女性をどう思いますか?」
「ユリシスだから許せますが、これが他の女性なら問題外です」
「世界一幸せな人の座に就けた名誉をどう思いますか?」
「まさか、人目を盗んでいちゃつくことだとは考えてもみませんでした。刺激が強すぎて、人生観がひっくり返りそうです」
生真面目な言葉とは裏腹に、とろけるように優しい瞳のヴェリニヘルム。
わたしたちは見つめ合って愛を噛みしめ、唇を何度も重ねては愛を堪能する。
きっと今頃、ヴェリニヘルムの姿が消えたことに大臣たちは慌てているだろう。わたしの姿が見えないことに侍女たちは、わたしが一人で城内を歩き回っていると思っているだろう。
誰も、わたしたちが美しく尊い愛を交わしていることを知らない。
ヴェリニヘルムの首裏に手を回し、次第に深くなる口づけを受けながら、仮面夫婦の下にある愛に酔いしれる。
仮面夫婦も使い方次第で、最高の愉悦になる――。
✰⋆。:゚・*☽:゚Fin⋆。✰⋆。:゚・*☽
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
逆仮面夫婦の盲愛〜表向きは愛のない政略結婚です〜 遊井そわ香 @mika25
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