「迷える子羊の読書録」表紙
→ https://kakuyomu.jp/works/16818093085464641449
「迷える子羊に読書録」紹介No.22:君に永遠の片思い
→https://kakuyomu.jp/works/16818093085464641449/episodes/16818093092420127529#p40
田鶴さんより私のほうがカクヨム歴が長いということで、妹のような存在の人です。
田鶴さんは流行りやテンプレとは異なった作品を書いているので、読まれない悩みをご存知。
そんな経緯から、カクヨム作品を紹介する「迷える子羊の読書録」を立ち上げたようです。
読んでいただければわかるのですが、紹介する作品を細かく丁寧に読み込んでいるし、関連するものを調べているし。すごい!!のひとことに尽きます。
田鶴さんの作品はもれなくクズ男がついてくるのに、田鶴さん本人は真面目な方だと尊敬します。
今回「君に永遠の片思い」を紹介してくださったのですが、私としては自分の作品を省みる機会にもなり、とても感謝しています。
自分の作品って客観的に読めないので、わからないんですよね。
ヒロイン(または登場人物)が、元気で明るくてユーモアがある。
それが私の作品の特徴かもしれないって気がつきました。
物語を始める前、ユーモアたっぷりに書こうとは考えていないです。なぜなら、やりすぎちゃうから!
ある漫画を読んで、笑えるシーンなのだろうけれど全然おもしろくない。むしろ邪魔、って思ったときがありまして。
笑いをとりにいくよりも、ストーリーがおもしろいほうがいいだろうというのが個人的な考えです。そういうわけでユーモアの匙加減はいつも書いたり消したりして、調整しています。私、やりすぎちゃうから(^^;;
田鶴さんの紹介文を読んで、ユーモアの匙加減がうまくいっているのでは?と安心したのでした。
冴木先生の本心は、物語の終盤にならないとわからないですよね。
これから作品を読み直してみて、もうちょっと先生の気持ちを入れられたらいいなとは考えています。
冴木先生目線は、書くかどうか悩みました。物語が美しく終わったので、蛇足かなって。
でも田鶴さんから「冴木先生視点SSをお願いします!」とリクエストをいただいたので、書きましたよ!!
第44話 君への想いは届くことなく、消えることもなく
→https://kakuyomu.jp/works/16818093082186783880/episodes/16818093092617443014
冴木先生の心境は、黒田三郎さんの詩が似合うと思っています。
昔、詩歌を紹介するエッセイを掲載していました。
青く、蒼すぎず、高くふかく
→ https://kakuyomu.jp/works/16816452218337945330
改めて読み直してみたら、めちゃくちゃに良いエッセイだと思って!!
「もはやそれ以上」というエピソードを貼ってみます。
黒田三郎さんの詩が好きです。ご紹介します。
***
もはやそれ以上
もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
川に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった
かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやりと空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある
今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんな違った運命があることか
運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである
もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ
そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差し上げると
***
戦争で悲惨な敗走線を経験し、周りが餓死・狂死していく中、辛うじて生き延びた。
けれども戦後も、心は取り残されたまま。彼は自問する。
──なんのために、どうして生きているのか。
しかし、ひとりの少女との出会いによって、彼は生に向かって歩き始める。
過去を消すこともやり直すこともできない。
失ったものを取り戻すこともできない。
けれども「失うものを手にする」ことはできる。
愛に裏切られたら、苦しい。だからといって愛することから逃げてしまったら、愛がもたらすぬくもりも喜びも、知らないまま。
愛の痛みや喪失は、愛したからこそ、起こるもの。
もしも愛が過ぎ去ったとしても、胸の中には愛した記憶がとどまっている。それはきっと、どこにも消えない。
友那と冴木先生の出会いって、失ったものに再会するものであり、再び失うかもしれない恐れと直面することでもあり。
先生は友那に惹かれながらも、逃げたかったとも思います。
でも逃げずに向き合ったからこそ、失うものを手に入れることができたんですよね。
かなりの長文ですが、もうちょっと書きます。
田鶴さんの紹介文では、友那の元カレにも触れられています。
サブキャラで深掘りするなら、暁斗ではなく、修哉がいいと思っています。ドロドロ愛情劇にぴったりの人物。
修哉は修哉なりに、友那が好きだし、大切にしていました。あれでも、です。休日の時間を他人に使うというのが、修哉にとってはすごいこと。
友那を襲ったのはいけないことですが、言葉を尽くしても関係が戻らないなら、体を繋げて自分のものにしたかった。修哉が「愛している」と言葉にしたのは、嘘ではないです。
別れたのち、修哉はめちゃくちゃ友那を引きずります。友那に似た女子と付き合っちゃうぐらい。
数年後。街でたまたま友那と冴木先生を見かけ、ようやく気づく。
愛しているなら、束縛ではなく、彼女の意見を聞き、望みを知り、優しくすれば良かったんだ……って。
失って後悔するクズ男。田鶴さん、好きそう笑
以上です!!
ここまで読んでくださった方、田鶴さん、ありがとうございました。