第40話 わたしに選ばれた、ただ一人の夫
ノルールに来て、二ヶ月。ついに結婚式を挙げる日がきた。
挙式をあげるノスタリティ大聖堂は街の中心部にある。大きく突き出た二本の尖塔が特徴的で、中に入るとアーチ型の屋根や幾何学的な模様を組み合わせた回廊が訪問者の目を楽しませてくれる。採光窓の近くにある格子模様の丸窓にも意匠が凝らされており、芸術性が非常に高い大聖堂である。
花嫁控室の扉がノックされる。セルマが扉を開けると、花婿であるヴェリニヘルムが入ってきた。
わたしをひと目見るや、無表情のまま固まってしまった。予想通りの反応である。
「皆、下がって頂戴。少しお話しすることがあるの」
冷ややかな口調に、花嫁介添人は目を丸くした。だがわたしとヴェリニヘルムが不仲だと信じ込んでいる侍女たちは、表情を変えることなく部屋から出て行った。
二人になった途端、ヴェリニヘルムが大袈裟な溜息をつく。
「あなたは、私を困らせるのがお好きなようですね」
「なにに困りましたの?」
「そのドレスで人前に出る気ですか?」
「もちろんですわ」
ヴェリニヘルムは額に手をやると、低く唸った。
「私のお願いを無視してストアディアに帰らなかったし、いつの間にか父を手懐けて、豪華な花嫁衣装を作らせた。その衣装があまりにも似合っているので、父に嫉妬してしまいます」
「ふふっ。パトロンは大切にしないといけませんからね」
ヴェリニヘルムは機嫌を損ねたようで、視線を花嫁ドレスに釘付けにしたまま、ムスッとした顔をした。
ノルール国王は他人に金を使いたがらないが、わたしが「お父様のために美しく着飾りたい」と言うと、喜んでお金を出してくれた。
そうして作ってもらった花嫁ドレスは、未来の王妃となるに相応しい贅沢なもの。青の絹地に金と銀の糸で細やかな刺繍が施してあり、レースをたっぷりと使っている。後ろに長く伸びた裾が豪華に華を添え、腰のリボン飾りが愛らしさを演出している。
嫉妬心を隠そうとしないヴェリニヘルムを好ましく思いながら、嫉妬の炎にさらなる燃料を投下する。
「そういえば、デンタート王国の王太子が参列すると聞きましたわ。ノイシュ様からも求婚されたのよね。随分と熱心だったけれど、諦めてくれたのかしら?」
ヴェリニヘルムはゴクッと喉を鳴らし、それから不機嫌に言い放った。
「ノイシュ王太子はまだ結婚していません。あなたを連れ去ろうとしているのかもしれませんよ」
「そうなったら、全力で阻止してくださいますか?」
「さあ、どうでしょう。デンタートに楯突くことなどできませんから。涙を流して、あなたを見送るかもしれません」
ヴェリニヘルムがいじけてしまった。
わたしたちの関係性は変わった。最初の頃は互いに良いところを見せようとして、多くの我慢を重ねた。けれど日々を共有するうちに、わたしたちは嫌な部分も見せるようになった。
ヴェリニヘルムは感情を表に出さないので、冷静に物事を見ることのできる大人の男性だと思っていた。
でも実は嫉妬深いし、簡単にいじける。人の言葉を気にして、うじうじと悩むところもある。
めんどくさい人だと思う。けれどそのどれもが、愛おしい。
わたしは自分の唇を指でなぞった。
「夫となる人のために、唇の純潔を守ってきました。わたしの唇に触れた人はいません。ですから夫となる人に、約束して欲しいのです。——わたしに選ばれた、世界でただひとりの男だと自覚してください」
「っ⁉︎ 自覚しています!!」
「いいえ、上部だけでしょう? わたしの愛する人は、本の
「待ってくださいっ! その件なら、何度も謝っています!!」
「謝罪だけでは足りません。自覚してください」
ヴェリニヘルムの頬を、両手で包み込む。
「わたしは殿下を夫とし、生涯愛し抜くことを誓います。殿下が死んでも、再婚はしません。だから、自分を軽く扱わないで欲しいのです。この世に、自分は一人しかいないことを自覚してください」
ヴェリニヘルムの顔が歪み、耐え切れなかった涙がこぼれる。柔らかな涙が、頬を包む手のひらに吸い込まれる。
「私は、母から愛されなかった人間です。産みたくなどなかった。お前がこの世に生を受けたのは間違いだった。今すぐに消えて欲しい。……そのような罵声を浴びて、育ちました。そのせいでどうしても、自分などこの世にいなくてもいいのだと思ってしまう。けれどあなたに選ばれた夫は、私。あなたに愛される喜びを生に変えて、一緒に歩んでいきます」
愛する人が、自分を愛していないのは寂しい。母親から受けた傷は、彼の心身から消えることはないだろう。だったらその傷に種を蒔きたい。傷を隠すのではなく、傷跡から花を咲かせてみたい。それが毒花だったとしても、わたしはヴェリニヘルムを愛している。
わたしたちは愛し合っている。けれど控室から出た瞬間から、仮面夫婦になる。
憮然とした表情のヴェリニヘルムと、隣に立つ男に無関心なわたし。
式に参列している誰もが、わたしたちの間に漂う冷たいものを感じて、困惑している。
作り笑いを顔に張り付けた司教のもと、結婚式は順調に行われた。典礼定式書に淡々と従い、義務的に指輪を受け取り、素っ気ない口ぶりで婚約を誓った。キスは素振りを見せただけで、実際の口づけはしなかった。
にこりとも笑うことのないわたしたちに、ノルール国王は満足げな顔をし、デンタート王国のノイシュ王太子は獰猛な笑みを深めた。
(そうやって誰もが勝手に、わたしがヴェリーを愛していないと喜んでいればいいわ。口づけはしなかったけれど、ヴェリーが小声で「夜に……」と囁いたことを知らないでしょうね)
こうしてわたしたちは終始、真冬の嵐のような冷気を吹雪かせ、神の祝福に満ちているはずの結婚式で人々を凍りつかせた。精一杯の愛想笑いをしていた司教でさえ、最後には顔色を失った。
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