仮面夫婦として永遠の愛を

第39話 復讐はお菓子をあげるように、甘美に

 ヴェリニヘルムの体調が回復したと、人伝いに聞いた。だがムスター地方とその周辺地域の視察をするため、帰城するのはしばらく後になるらしい。

 先に帰ってきたわたしを待っていたのは、ノルール国王だった。



 謁見の間はだだっ広い。部屋の奥に据えられた国王の椅子から、赤い絨毯が伸びている。

 窓もなければ華美な装飾品もない。艶々に磨かれた床と、赤い壁と、蔦植物が彫刻された白い天井が広がっているのみ。


(他国の使者を迎え入れるには、あまりにも殺風景だわ。ストアディアの謁見の間は、国の繁栄を見せつけるために豪華絢爛だけれど……。ノルールは小国ですもの。使者への警戒心が強いのでしょうね)


 そんなことを考えていると、国王の側にいた大臣たちが一礼して、部屋から出ていった。

 がらんとした空間にいるのは、怪しい笑みを浮かべている国王とわたしのふたりだけ。

 改めて、真正面にいる国王を観察する。

 二年半前に見たときは、国王は肌の色艶が良く、恰幅が良かった。国王としての威厳を備えながらも、温厚な笑みを崩すことなく、一見すると穏やかな人物を思わせた。だが瞳は常に周囲を伺っており、野心的なぎらつきをちらつかせていた。

 油断のならない狡猾な人物——それがわたしが持った印象。

 わたしはヴェリニヘルムに恋をしていたから、国王のぎらつきが、わたしを手に入れたいという欲であったことに気がつかなかった。


 スズランの毒で、嘔吐と頭痛。さらには心臓に負担をかけたせいで、国王は顔色が悪く、やつれている。

 だが、よく通る声でわたしの名を呼んだ。


「ユリシス王女。対面が遅くなってしまい、すまない。少々体調を崩しておってな」

「もうよろしいのですか?」

「ああ、すっかり元に戻った。多少痩せてしまったが、ちょうど良いぐらいだ。……近くに来なさい」

「はい」


 助ける者は誰もおらず、ヴェリニヘルムは城にいない。

 わたしはヴェリニヘルムに、ムスター地方に行ったことを告げていない。ヴェリニヘルムは、わたしがストアディアに戻っていると信じているだろう。


(彼に失望と絶望を味あわせないためにも、失態を犯すわけにはいかない。わたしの両肩には、ヴェリニヘルムとリンデル王妃の未来が乗っている)


 わたしは国王の前に進み出ると、膝を折った。国王の舐めるような視線が、わたしの全身に注がれる。


「以前会ったときも綺麗な子だと思ったが、この二年で随分と大人になられた。透けるような肌が美しい。そなたを妻にできる息子が羨ましい……」


 睫毛を伏せ、唇に困惑した微笑を乗せる。

 国王は上半身を乗り出した。


「どうした? 息子の妻になるのが嬉しくないのか?」

「自分の立場をわきまえております」

「ああ、なるほど。だがそれはデンタート王国への建前上、人質だと言っておるだけで、そなたを雑に扱う気はない。息子もそなたを丁重にもてなしているだろう? 部屋を改築したと聞いている。あやつは今までどの女にも興味を示さなかったが、ユリシス王女は違うようだ。気に入っているのだろうな」


 国王の声音には棘がある。ヴェリニヘルムが、わたしを気に入っていることを面白く思っていないことが丸わかりだ。


(下手なことを言ってしまえば、国王の不興を買ってしまう。力ずくで押し倒されてしまえば、敵わない。助けを求めても、誰も来ないことは明白だわ。でもなにも言わないことで、思い込みが強まってしまったら厄介ね)


 やはりここは、ヴェリニヘルムがわたしを守るために考えてくれた作戦に乗るしかない。


 ヴェリニヘルムが矢に刺さって、命を落とす想像をする。すると悲しみが胸にあふれ、涙で視界が歪む。

 潤む瞳のまま、すがりつくような視線を送る。すると国王は驚いた顔で、玉座から立ち上がった。


「どうしたのだ⁉︎」

「あの人は、わたしを気に入ってなどいません! 反対です。わたしを嫌っておいでなのです!!」

「まさか、そんなことは……。確かに、家来たちからそのような話は聞いていたが、噂に過ぎないと……。息子になにかされたのか?」


 口を閉ざす。簡単に話してはいけない。

 わたしは城の人間関係を見てきた。男は女の愚痴など、話半分にしか聞いていない。不満を訴えるほどに、うるさい女だと思われるのがオチだ。

 相手を引きつけなければならない。餌を撒いて、自分の領域に引き入れるのだ。


 国王は「話せ」と何度も言う。だがわたしは目に涙を溜めたまま、首を横に振る。

 痺れを切らした国王は足を前に出し、「ここだけの秘密にする。話せ!!」と声を荒げた。

 餌にかかった。だがまだだ。手の内に引き寄せなくてはいけない。

 わたしはうつむき、か細い声で途切れ途切れに話す。


「本当に、秘密にしてくださいますか? 国王様の優しさに縋りついても、よろしいのでしょうか……」

「もちろんだ!!」

「打ち明けるには、あまりにも恥ずべきことなのです」

「一体あやつは、そなたになにをしたのだ!!」


 頭を弱々しく左右に振る。


「なにもしていません。なにも、ないのです。今までも、そして、これからも……」


 そうしてわたしは、頼る者のいない儚い少女の体裁で話す。


「殿下は紳士的な方です。優しさゆえに、部屋を綺麗にしてくださったのでしょう。けれどそれは愛情ではありません。はっきりと言われました。ストアディアの犯した罪を償わせるため。そしてデンタート王国との同盟維持のために、妻に娶るのだと……。だから、なにも期待するな。愛することはない。夫婦であっても他人のように振る舞うと、そう言われました。なのにわたしは、いつかは妻として見てくださるのではないかと……そのような期待をしてしまう愚かな女なのです……」

「あやつはなんと傲慢な男なのだっ!!」


 国王は足音を立てて、わたしに近づいた。

 国王の手が肩に置かれる。生理的嫌悪に駆られながらも、耐える。


「息子の失礼な態度を我輩が詫びよう。あいつはどうしようもない堅物なのだ。結婚を政治的道具にしか考えておらず、伴侶がもたらす幸福を理解できないのだ」


 国王の口調が喜びにあふれている。ヴェリニヘルムがわたしを愛する気がないことに歓喜しているのだ。とんでもない父親である。

 ヴェリニヘルムがわたしを気に入っているという思い込みを解くことができて、ホッとしたのも束の間。

 国王はとんでもないことを口にした。


「我輩にいい考えがある。王妃の父親は重罪を犯した。王妃を含めた親族すべて、処罰は免れない。そういうわけで我輩の妻の座が空白になった。代わりに、そなたが我輩の妻に……」

「お父様っ!!」

「お父様⁉︎」


 わたしは顔を上げると、国王を切なく見つめながら、涙を一筋頬を伝わせた。

 不意を突かれた国王が、ゴクリと生唾を飲み込む。


「父の愛情が欲しくて袖を濡らしても、父はわたしを顧みてはくれなかった。だからでしょうか。優しい言葉をかけてくださる国王様に、娘として甘えたい誘惑に駆られてしまう。けれどそのようなこと、ご迷惑ですよね……」

「そんなことはないが、だが、父親ではなく、異性として……」

「ではこれからはお父様とお呼びしてもいいのですねっ!!」

「構わんが、だが……」

「嬉しいっ!! 殿下に愛されなくても、わたしにはお優しいお父様がいます。この先もお父様をお慕い申し上げてもよろしいのですねっ!!」

 

 ここに来る前に鏡の前で研究してきた、最大級の愛らしい笑顔を国王に向ける。

 十代の少女が持つ純粋で溌剌とした笑顔が、国王の心臓を射抜く。

 国王はだらしなく頬を緩め、目尻を下げた。


「我輩を実の父親だと思いなさい。どんな望みでも叶えてあげよう」

「嬉しいっ! では早速お願いなのですが、王妃様を遠くに飛ばしてくださいませんか? わたしとお父様の間に入ってきて欲しくありません」

「もちろんだ!!」

「それとお父様が王妃様を思い出して、寂しい顔をなさるのを見るのは切ないです。王妃様の部屋にあるものすべて、処分するというのはどうでしょう?」

「それはいい考えだ!!」


 完全にわたしの手の内に入った。

 

 邪魔な奴を消すのは簡単だ。殺せばいい。

 けれどわたしはそうしない。犯した罪を知ることなく、死なせはしない。

 お菓子をあげる魔女のように甘美に誘って、檻に入れなければならない。


(ヴェリニヘルムとリンデル王妃の痛みを教えてあげる。わたしなしではいられなくしてから、捨ててあげる。愛されない苦しみを、骨の髄まで味あわせてあげる)

 

 お父様と呼んで慕う愛らしい少女の仮面を国王が信じ切った頃、仮面の下にある素顔をちらつかせる。どちらが本物なのか混乱し、憔悴したのちに、国王は初めて知るのだ。


 牙を抜かれ、檻に入れられて足腰が弱ってしまった。飼い殺しにされ、もう自分の力では生きていけない——。


 

 ✢✢✢



 ヴェリニヘルム暗殺を企てたソニーユ公爵は、尊い血筋ゆえに処刑は免れたが、僻地にある塔に幽閉されることになった。

 リンデル王妃と息子のリチャードは、わたしの希望を聞いてくれた国王によって、田舎の別荘に幽閉された。

 しばらくしてから、リンデル王妃から手紙が届いた。


『温暖な気候で、大変に過ごしやすいわ。それに毎日が平和で、ようやく心を落ち着かせることができた。おまけにあなたからもらった東洋の品物がすべて、別荘にあるのよ。こんなに素晴らしいことってないわ!

 あなたには、どれだけ感謝しても足りない。離れてしまったのが寂しい。いつかお会いできる日を願っております』


 リンデル様は、友達が欲しかったと話した。それはわたしも同じ。わたしにとっても、生まれて初めてできた友達がリンデル様なのだ。

 高貴な血筋に生まれると、純粋な友情関係を築くのが大変に難しい。

 わたしとリンデル様は損得勘定の働かない友人として、これからも親睦を続けていくことだろう。

 



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