第38話 俺の人生は俺が決める

「守るって……。東の大陸との交渉人の仕事があるでしょう? それにあなたは、ゆくゆく総督の座に就く人間だわ。必要になったら助けを求めるから、自分の仕事に精を出して頂戴」

「俺が仕事に精を出していたら、ここにはいなかった。そうしたら、あいつは矢に当たって死んでいた。その方が良かったか?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 アディマスが機転を利かせてくれなかったら、ヴェリニヘルムは死んでいた……。薄氷のような現実に身震いする。生を歩いているかと思いきや、次の瞬間には死に落ちてしまう。生と死は歩幅一歩分ぐらいの距離しかないのだろう。


「殿下の命を救ってくれたこと、感謝するわ。守ると言ってくれたことにも敬意を表する。この先、なにかあれば真っ先にあなたに助けを求めるわ。そしたら来て頂戴」

「断る」

「なっ! 守ると言ったのはあなたよ⁉︎」


 アディマスは喉奥でククッと笑った。


「今回、俺に助けを求めたか?」

「それは……。突然のことで、助けを求める暇がなかったのよ」

「だろう? 東の大陸に行っている間に、命を狙われたらどうする? アディマスが来るまで待っててと、暗殺者に頼むか? 外国にいたんじゃ間に合わない。交渉の仕事は、部下に任せてある。総督に興味はなくなった」

「どうしてっ⁉︎ 総督になるのが夢だったんじゃないの⁉︎ 実績を積めば、あなたなら絶対に総督になれる。夢を手放さないでっ!!」

「気が変わったんだ。俺の夢は別なところにある」

「どこよ!!」

「教えねー」

「ストアディアの王女に対して、随分と反抗的な態度ね! ここがストアディアだったら、牢屋行きよ!!」

「ハハッ! つまり姫さんは、ノルールでは権力がないってわけか。たいしたことねぇなぁ」

「あなたって本当に口が悪いわね!!」


 憎まれ口ばかり叩くアディマス。だが不思議と怒りは湧いてこない。むしろ、軽口を交わせる関係を好ましく思ってしまう。

 四つん這いの体勢のままでいるアディマスを押し退けて、上半身を起こす。


「夢がなにか分からないけれど、あなたなら世界で活躍できる。優れた能力を無駄にしないで。援助するから、夢を手繰り寄せなさい」

「姫さんさぁ、酒飲み対決でインチキしただろ?」

「知らないわ……」

「酒を注いだ量とグラスにある量が違っていた。グラスの底を厚くしたんだろう? 海賊相手に反則するとは見上げた度胸だ。だが、賭けは無効だ。姫さんは俺に命令できない」

「気がついていたなら、あの場で言えば良かったじゃない!!」


 歯ぎしりしながら睨みつけてやると、アディマスは高笑いした。


「必死な目をしていたからな。切羽詰まった事情があるんだろうと思った。だが、反則した者に勝ちは認められない。姫さんの指図は受けない。俺は自分の意志で動く。……あいつを助けてやったんだから、褒美をくれるだろう?」

「なにを望むの?」

「口づけを」


 船旅の最後に、手の甲に口づけするのを許可した。あのときは躊躇いなく手を差し出すことができた。

 なのに今、戸惑っているのはなぜだろう?

 アディマスの黒目がちな瞳が熱を帯びている。その熱視線に当てられて、呼吸が早くなる。

 早鐘を打つ心臓に気づかないふりをして右腕を上げると、アディマスは恭しくわたしの手を取った。アディマスは手の甲に唇を落とした。それから唇を滑らせ、わたしの指先に乾いた唇を這わせる。彼の唇の隙間に、指が呑まれた。

 声を上げる暇がなかった。あっという間の出来事だった。

 アディマスは反応を確かめるような上目遣いで、わたしの指先を噛んだ。


「なにをするのっ⁉」


 素早く手を引っ込め、噛まれた指先を胸にかき抱く。


「信じられないっ!! こんなことをされたのは初めてよ!!」

「姫さんの初めてが俺とは光栄だ。姫さんはこの先、右手の人差し指を見るたびに、嫌でも俺を思い出す。……顔が真っ赤だ。可愛いな」


 彼の頬を引っ叩く。春ののどかな風景に、小気味いい音が響く。


「あなたって最低ね!! わたしの前に二度と姿を現さないでっ!!」

「悪いが、指図は受けない。俺の人生は俺が決める」


 アディマスは立ち上がると、領主の館がある丘を見やった。つられてわたしも目を向けると、エークルランドが走っている。わたしが男といるのに気づいて、慌てて戻っているところだろう。気づくのが遅すぎる。

 アディマスはわたしが倒れたときに落ちてしまった帽子を拾い、深々と被った。目元に影が落ちて、表情が見えなくなる。


「俺は姫さんを助けると決めた。だから黙って俺に守らせろ」


 アディマスは背中を向け、歩き出した。

 胸に当てた右手の人差し指がジンジンと脈打っている。

 

 わたしは声を張り上げた。 


「あなたって本当に狡いわ!! 笑顔で別れさせてくれない。今度会ったときこそ、笑顔で別れてあげるわっ!!」 


 アディマスは背中を向けたまま、片手をあげた。



 ✢✢✢



 戻ってきたエークルランドは、騎士たちから集めてきた情報を教えてくれた。

 軍隊が領主の館に到着したとき、農民たちに戦いの意志は見受けられなかった。だがアドルフ子爵が、反乱に参加した農民の制裁と館に火をつけた主犯格の男の死刑を叫んだ。

 

「ヴェリニヘルム殿下はアドルフ子爵が横行を働いていたことをご存知で、子爵の処分を前々から考えていたそうです。だが反対する者がいて、土地の没収ができずにいた。そうしたらまぁ、偶然とはいえ、矢が当たって子爵が亡くなった。子爵の家族については、ムスター地方から追放する方向で考えているそうです。それと、館に火を放ったのも反乱を先導したのも農民たちではないので、農民には温情を与えるのではないかと、そう騎士らは話しておりました。……主犯格とされる男についてですが、館に火を放つことで、領主とその家族を無傷で追い出した。無論、火をつける行為は容認できるものではないが、そうしなければ衝突は激しいものとなって、死人が出たことでしょう。だが死んだ者も、怪我を負った者もいない。村人らは、村を救った英雄だと賛辞しているそうです。さらにはその男は、ヴェリニヘルム殿下の命を救った。だが素性を明かすことなく、いつの間にか姿を消してしまった。——ユリシス様はその男をご存知ですか?」

「知らないわ」

「先ほど話していた男は?」

「さあ。村の人じゃない?」


 ふふっと笑ったわたしに、エークルランドは苦々しげに呟いた。


「俺の目には、船で会った海賊に見えましたがね」


 だがエークルランドはそれ以上追求せず、「反乱は終わり、ヴェリニヘルム殿下は軽症だ。姫様、気は済みましたか? 帰りましょう」と告げたのだった。

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