第30話 素敵なのはどっち?
「嘘でしょう?」
「いいえ、嘘ではありません」
「でも、明日だなんて急すぎます。結婚式には国王様も列席するのですか?」
「いや、無理でしょう。ごく身近な者たちだけで行います。……あなたに、国王の容態についてお話しなければなりません。どうかご内密に。ここだけの話にしていただきたい」
ヴェリニヘルムは疲労の滲む声で、国王の状態を語った。
「国王は頭痛とめまいを訴えて、休んでいます。吐き気はおさまったようだが、体力が落ちています。気力も十分ではなく、人前に出る状態ではありません。深刻な状況ではないのですが、本人が弱った姿を見せることをひどく嫌がっている。あなたが嫌で姿を現さないわけではないので、気にする必要はありません。体調が戻り次第、すぐにお会いできます」
「良かったです……」
逡巡したのち、思い切って訊ねてみる。
「毒を盛られた可能性はないのですか?」
「そう騒ぐ者たちもおります。だが、毒見係にはなんら異常が見られない。食事に毒が混入した可能性は考えなくてよいでしょう」
それならば、ますますリンデル王妃が怪しくなる。彼女は花瓶の水をビールに混ぜて、国王に飲ませた。
けれどそのことをヴェリニヘルムは知らないだろう。エークルランドを使って、コソコソと嗅ぎ回ったことを言うわけにはいかない。
「だったら、その……食事ではなく、飲み物に毒が入っていたとは考えられませんか?」
「それは……どうでしょうか。疑えばキリがないが……そういうこともあり得るとは思います。だがとことん疑うなら、紙に毒が仕込まれていたと考えることだってできる。父は紙を
「そうなのですか⁉︎」
「すべてを疑うならの話です。毒だと疑う者もいれば、単なる食当たりだと言う者もいる。父はお腹の強い人ではありませんので、私としては食べ物に当たっただけだと思っています」
「そうですか……」
これ以上こだわるのは不自然に思えて、身を引くことにする。
話が終わった、そんな空気が流れる。
案の定、ヴェリニヘルムは腰を浮かせた。
「明日を楽しみにしています。ゆっくりお休みください。では……」
「待って!」
別れ
「なにか?」
ヴェリニヘルムは女心が本当に分かっていない。真顔で「なにか?」だなんて、間の抜けたことを言わないでほしい。
(エークルランドと一晩を過ごした女性みたいに、わたしも、幽霊が怖いから一緒にいて欲しいと言えたらいいのに……)
そんな思いとは裏腹に、口から突いて出るのは可愛げのない台詞。
「結婚式を延期にすると言っていたのに、どうして突然行う気になったのですか? なにか目的でも?」
「父の承諾を得られたからです。明日の結婚式は質素なものになってしまいますが、正式な夫婦になれます。……結婚式をしてくれない男性は野暮だと、おっしゃったでしょう? 自分が野暮な男だという自覚はあります。それでも、あなたの心を引き留めるために努力していきたい。誠意を尽くしますので、ストアディアに帰らないでもらえますか?」
胸を突かれる。明日結婚式を行う理由が分かった。すべてはわたしのため。わたしが感じている以上に、ヴェリニヘルムはわたしのことが好きなのだ。
「わたしが帰ったら、寂しいですか?」
「私は泣くことをやめましたが……。あなたがいなくなってしまったら、日がな一日、あなたを思い出して泣く気がする」
シャツを掴んでいた手を離し、彼の胸に頭を
「野暮だなんて、嘘です。仮面夫婦を演じるためにそう言っただけ。本気にしないでください。殿下はとても素敵な人です」
「いいえ。素敵なのはあなたです」
「違います。殿下です」
「いいえ。素敵なのはあなたです」
「わたしよりも殿下の方が素敵です!」
「いいえ。私よりもあなたの方が素敵です!」
「絶対に違います! 殿下の方がわたしよりも素敵です!」
ヴェリニヘルムは「あなたはなんにも分かっていない」と大きな吐息をついて、頭を振った。
わたしは彼の胸から頭を戻し、唇を尖らせる。
「分かっていないのは殿下の方です! わたしは気の強い生意気女ですもの。殿下の方が素敵です!」
「私は野暮な田舎の男です!」
「そこが素敵なんです!!」
「あなたこそ、気の強いところが非常に魅力的です!!」
「殿下の方が素敵です!」
「あなたの方が素敵です!」
「殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下!!」
「あなたあなたあなたあなたあなたあなたあなた!!」
息を吸い込むわたしを見て、殿下も慌てて空気を取り込む。
「殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下っ!!!」
「あなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたっ!!!」
息が切れ、肩でゼーゼーと呼吸するわたしたち。
目が合い、「うふふっ」「あははっ!」と笑い合う。
「わたしたち、なにを言っているんでしょう?」
「互いに素敵だということでよろしいでしょうか?」
「はい」
恋は知性を著しく低下させる。恋の沼にどっぷりとはまった恋人の会話ほど、内容の薄いものはない。けれどそんな意味のない会話がひどく楽しい。恋の力は偉大だ。
「いい加減に、わたしの名前を呼んだらどうですか?」
「分かってはいるのですが……。美しい名前なので、口にするのを躊躇ってしまうのです。私のことを愛称で呼んでくれたら、名前を呼べる気がします」
「愛称はなんですか?」
「ヴェリーです」
「ヴェリー……」
唇にヴェリーという名を乗せた途端、気恥ずかしさに襲われる。距離感がゼロになり、彼がわたしの胸の中に入ってきたような感覚になる。
恥ずかしさのあまり、「そのうち呼びます」と素っ気なく言い放つ。
ヴェリニヘルムは穏やかな微笑を湛え、「明日に備えて、そろそろ寝ましょうか」と提案した。
「そうですね。おやすみなさいのキスをすることを許可します」
「んっ⁉︎」
「なにか問題でも?」
「本当に、キスをしてもよろしいのですか……?」
ヴェリニヘルムの目元が朱に染まる。
わたしはそれを
「……ああ、なるほど。頬に、ですね?」
「そうです。なんだと思ったのですか?」
「唇にキスをするのかと……」
「なっ⁉︎ 信じられませんっ!! わたしたち、まだ夫婦じゃないんです! なのにそんな、その、信じられませんっ! ふしだらです!!」
驚愕と羞恥心で、心臓がものすごい速さでバクバクと鳴る。
「だ、だだ、駄目ですからね!! 絶対に駄目です。唇へのキスは、結婚式に取っておかなければなりません! 夫となる人に捧げるって決めているんですからっ!!」
「大変に光栄です。夫となる人というのは、私のことでいいでしょうか?」
「あ……はい……」
「結婚式は明日です」
「……はい……」
「明日、あなたの唇にキスをしてもいいのですか?」
「……どうぞ……」
ヴェリニヘルムは声を抑えながらも、おかしくてたまらないというふうに笑った。
それから真っ赤になっているわたしの頬に、唇を軽く当てた。皮膚が彼の唇の感触を拾って、快楽を伴う痺れを体の奥に伝える。
ヴェリニヘルムは寝室に戻ろうとし、通り穴の前で振り返った。
「あなたは聡明なので、実年齢よりも大人びて見えます。けれど、夜になると十代の少女らしくなるのですね。私を幽霊だと思ったのか、涙ぐんだでしょう? とても可愛らしかった。怖くないよう、明日からは夜の間ずっと側にいてあげます」
優しくてずるい言葉を残して、ヴェリニヘルムは自分の部屋に戻っていった。
わたしはしばらく眠ることができなかった。頬が火照ったまま、熱が引いていかない。
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