第26話 始まってもいないのに終わっている

 侍従長が血相を変えて、わたしたちの間に入る。 


「いやー、今日はいい天気ですな! ユリシス様、城を案内致します。ささ、どうぞ!」

「城を歩き回っては困るのでしょう? あなたたちはストディア人が大嫌いなのですから」

「いやー、そんなことはございませんよ? 過去にこだわっていては、発展の妨げになりますからな。さ、行きましょう。ついてきてください!」

「わたし、後ろからあなたを襲うかもしれません」

「……ははっ、ご冗談がうまいですな! ユリシス様、さすがでございます! お見事な切り返し。素晴らしいの一言に尽きます!!」


 侍従長の性格を理解した。彼は弱い者には横柄な態度をし、強い者には媚びへつらう。

 昨日は嫌味を連発したくせに、わたしが強気にでた途端、おだてだした。分かりやすい男だ。

 年嵩としかさのある侍従長は、人の心の動きを察知する能力に長けている。その能力をヴェリニヘルムに分けて欲しいものだと思う。

 ヴェリニヘルムは落ち着いた態度のまま、眉ひとつ動かさない。わたしが仮面夫婦の演技をしていると思っているのだろう。

 だからヴェリニヘルムは、間違った返し方をした。


「……嫌いですか。なるほど。私もまったく同じ気持ちです」

「で、殿下ぁ⁉︎ な、なな、なにを言っているのですか! 多くの人が行き交っているのですぞ。誰が聞いているか分からない。無防備な発言をしてはなりませぬ!!」


 わたしは侍従長を押し退けると、姿勢を真っ直ぐに正し、ヴェリニヘルムと対峙する。

 ヴェリニヘルムは困惑顔で「どうしたのですか……?」と間抜けな質問をしてきた。

 わたしが怒っているのが演技なのか本当なのか、見分けがつかないらしい。彼の愚直さが、怒りを増幅させる。


「わたしがあなたを嫌っても、あなたがわたしを嫌うことは許さない!! 女心がまったく分からない堅物男に嫁いであげるのに、あなたは失礼な振る舞いが多すぎる! それがノルール流なのでしょうが、田舎臭くて嫌になる。野暮ったい男なんて嫌いだわっ!!」

「ユ、ユリシス様!! それ以上言ってはいけません!」


 後ろに控えていたアンリが止めに入る。

 ヴェリニヘルムは考える顔をしたのち、仮面夫婦の演技を続ける決断をしたらしい。


「お気持ちはよく分かりました。ですが、あなたもだいぶ失礼なのでは? ストアディア流なのでしょうが、洗練しすぎていて痛々しい。気の強い女性は苦手です」

「殿下ぁぁぁぁっ!!」


 侍従長が慌てふためき、再びわたしたちの間に割り込む。皺の多い痩せた手を揉み合わせ、必死に作り笑いをする。


「あは! あははっ! 殿下はどうなされたのでしょう。こんな軽はずみなことをいう御方ではないのだが……。ユリシス様、実はですな。やむを得ない事情がありましてな。有力者たちを結婚式に呼ぶ状況ではないのです」

「その状況とやらを説明してください」

「それがですな、その、なんと申しますか……そうできないところがもどかしいところでありまして……。ですが前向きに考えてみると、旅の疲れを癒す時間になるのではないかと……」

「分かりました。もう結構です。あなたたちはわたしのことが嫌いですものね! ノルールにストアディアの血を混ぜたくないのでしょう? 光栄だわ!! あなたたちに好かれようなんて、これっぽっちも思っていませんもの! 気が強くてごめん遊ばせ。ストアディアに帰ります!!」

「ユリシス様っ! 帰ってはなりませぬ!!」


 わたしは普段通りの声量で話しているのだが、侍従長の地声が大きいものだから、通りかかった人たちが驚いて足を止め、わたしたちを眺める。

 侍従長は揉み手をしながら、ヘラヘラと笑う。


「実はですな、私は個人的にはユリシス様を歓迎しているのです。容姿の美しさはさながら、洗練された所作に見惚れております。しかもユリシス様がお供の者たちに労りの言葉をかけているのを見て、なんとお優しき人だろうと感激した所存なのです」

「騙されません。ストアディアとスペニシーサが手を組まないための人質だって、理解しています。デンタート王国に文句を言われないために、引き止めているのでしょう?」

「そそそそ、そういうわけではございませんぞっ!!」


 図星だったらしい。侍従長は引き攣った笑顔で、ヴェリニヘルムの腕を叩いた。


「殿下も気の利いたことをおっしゃってください! 絶対に帰らせてはなりませぬ!! 国王様になんと言い訳をすればいいか……」

「言い訳をする必要はない。王女は私に愛想を尽かして帰ったと、そう正直に報告すればよい」

「なりませぬっ! そんなことになれば、デンタートとの関係が……」

「彼女が幸せであることが、第一優先だ」


 ヴェリニヘルムがぽつりと呟いた。

 

 ヴェリニヘルムはわたしの幸せを願っている。野次馬の集まる前で発したその言葉に、嘘はないと信じられる。


 リンデル王妃は言った。


 ——ヴェリニヘルムは愛情がどういうものか分からない。可哀想な人なのよ。



 ヴェリニヘルムの過去は苦しいものだったろう。母親に虐待され、満足する愛情を得られなかった。けれど、彼なりの不器用な愛をわたしに注いでくれている気がする。その愛が嘘だとしても、まがい物の愛に身を浸してしまいたい。


 愛おしさと苦さが混じった心持ちで、質問を投げる。


「本当に帰ってもいいのですか? それが殿下の本当のお気持ちですか?」

「…………」

「わたしの幸せは、ノルールにないと思われますか?」

「それは……」

「気の強い女性は、お嫌いですか?」

「そんなことはないっ! だがあなただって……野暮な男は嫌いだと……」

「結婚式をしてくれない男性など、野暮以外のなにものでもないと思います」

「確かに……」

「わたしと結婚したい気持ちはありますか?」

「勿論。ただ状況的に今は難しいのです。しばらくお待ち願いたい。今はそれしか言えません。申し訳ない」

「近いうちに結婚式をしてくれると約束してくれるなら、残ります。けれど結婚式をする気がないのなら、今日中に帰ります」


 ヴェリニヘルムは唇をきつく噛み、眉根を寄せた。しばらくして発した声には、迷いがなかった。


「近いうちに結婚式を行うと、お約束します」

「分かりました。残ることにします」


 友好的な微笑を交わしたわたしたちに、侍従長とアンリが手を叩いて喜ぶ。

 何事かと興味津々の顔をする人々の中に、アラモンドの姿を見つけた。事の成り行きを王妃に報告するだろう。


(ヴェリニヘルムの幸せを許せない人って誰なのかしら? もしその人がこの中にいたらまずいんじゃ……)   


 ヴェリニヘルムを守りたい一心で、ノルールに来た。彼を守るためなら、人々に嫌われようが、悪魔だと罵られようがかまわない。 

 取れかかっていた仮面をつけ直す。


「誤解しないでください。世間体を重んじて結婚式をしたいだけで、殿下のことが嫌いなことに変わりはありませんから!!」


 ピキンッとその場の空気が凍った。侍従長の作り笑いと人々のざわめきが消え、水を打ったように静かになった。



 その後アンリから、城中で噂になっていることを聞いた。


「殿下とユリシス様は大層仲が悪い。夫婦生活が始まってもいないのに、既に終わっている。そう噂されています」


 仮面夫婦を人々に植え付けることに成功した。けれど、わたしはとても複雑な気持ちになったのだった。

 



 

 






 


 

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