第25話 あなたなんて別な娘と結婚したらいいんだわ

 翌朝。アンリをお供にして城内を歩いていると、廊下の向こうからヴェリニヘルムと侍従長が歩いて来た。侍従長はわたしを認めるやいなや、神経質な声で喚いた。


「勝手に出歩かないでいただきたい!!」

「許可をとらないと、歩いてはいけませんの?」

「その通り! あなたは非常に特殊な立場なのです。国王との対面も結婚式もお済みでない。城には貴族たちが出入りしています。宙ぶらりんの状態で連中に会わせるわけにはいかないのです!」

「国王様にはいつお会いできるのでしょう?」


 侍従長は(しまった!)というように目を泳がせた。血色の悪い唇を真横に結び、長身のヴェリニヘルムを見上げる。助けを求められたヴェリニヘルムは、短く息を吐いた。

 

「国王は体調が優れないとのこと。しばらく会うことはできない」

「しばらく? しばらくとはどのくらいの時間でしょう?」

「分からない」

「国王様はわたしを嫌って、会いたくないのではないですか?」

「そうではない」

「昨夜の夕食の席にもいらっしゃいませんでした。わたしの顔を見たくないのではないですか?」

「そうではない」

「では、わたしは嫌われているわけではないと?」

「…………」


(なぜそこで黙るの! 質問をはぐらかすなんてずるいわ! これが仮面夫婦の演技だって言われれば、そうなんだけれど……。でも正確にいうなら、わたしたちはまだ結婚していない。夫婦じゃない。結婚を餌にしてわたしをノルールにおびき出し、結婚前にわたしを捨てるつもりなの⁉︎)


 ヴェリニヘルムは安心させる言葉をくれない。わたしはノルールに来たばかりで、右も左も分からない。リンデル王妃は「あなたの美しさが災いして、夫に目をつけられるなんて悲劇だ」と言ったけれど、その国王は姿を現さない。

 ノルール城にいる者たちはあからさまにストアディア人を嫌っていて、わたしたちを避けている。まったく情報が入ってこず、わたしは猜疑心を膨らませるばかり。

 リンデル王妃の台詞が脳内で何度も鳴り響く。


 ——夫に愛されない、惨めな気持ちを味わうのね。あなたもうじき、ヴェリニヘルムに捨てられるのよ。


 ダーシュキン子爵夫人の陰口が輪をかける。


 ——愛人を作るのは時間の問題だ。ストアディア王女を殿下は相手にしない。殿下は姪を気にいるはずだ。



 ひどく惨めな気分だった。ヴェリニヘルムは目の前にいる。なのに仮面夫婦になる取り決めをしたせいで、夫に無関心な仮面を外せずにいる。

 そんな仮面なんて取り払って、思いの丈をぶつけろと感情が叫ぶ。けれどぎりぎり力を保っている理性が、感情を抑え込む。

 わたしは足元に目線を落とし、力なく尋ねる。


「どうして結婚式が延期になったのですか?」

「国王の気分が優れないためです」

「気分ですか? 体調ではなく?」

「…………」

「国王様が回復されたら、結婚式を行うのですか?」

「恐らく」

「曖昧な言い方ですね。わたしと結婚するのは嫌ですか?」

「そういうわけではない。父が結婚式を渋り出したのです」

「国王様が? わたしがストアディア人であることに難色を示しているのですか?」

「そういうわけではない。父は遠目にあなたを見て、大変に気に入っています」

「それならなぜ国王様は姿を現さないのですか? どうして結婚式を渋っているのですか? 殿下は……」


 本当は、わたしをどう思っているのですか——?


 ヴェリニヘルムの気持ちが分からない。馬車でくれた甘い囁きを鵜呑みにするほどわたしは単純ではないし、浮気な男たちをたくさん見てきた。

 

(ヴェリニヘルムに騙されているの? 愛という幻を信じて、ノルールに来たわたしが馬鹿なの?)


 ヴェリニヘルムの素顔は、不器用で真面目で優しい顔ではないのかもしれない。誠実さは実は仮面で、あたたかな仮面の下にある素顔は、ストアディア人への復讐を誓った冷酷な顔なのかもしれない——。



 顔を上げると、ヴェリニヘルムは一瞬たじろいだ。

 視界がぼんやりと歪んでいる。けれど人前で涙を見せるわけにはいかない。ストディア王女としての意地が、涙を押し留める。

 

「結婚式をしないのなら、わたしはあなたの妻にならないのですね」

「いや、妻です」

「妻ではありません。結婚式をしていません」

「だが気持ち的には、あなたは私の妻です」


 この人はなにを言っているのだろう。馬鹿じゃないかしら、と思う。

 婚姻には教会の祝福が必要だ。司祭の祝福を受け、指輪の交換をして初めて夫婦の法的効力をもつのだ。

 教会の祝福なしに、気持ちだけで夫婦になった人なんて見たことがない。


 沈黙したわたしに、ヴェリニヘルムは話が終わったとばかりに辞去しようとする。


「待ってください。話は終わっていません!」


 怒りを含んだ低い声で呼び止める。氷の刃で突き刺してやりたいほどの冷ややかな目を彼に向ける。


「あなたの妻になんてなりたくない! 大嫌いですっ!! あなたなんて、どこかの娘と結婚したらいいんだわ!!」


 





 




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