第19話 一目見たときから、あなたの虜なのです
馬が
「小男の従者は、名をアラモンド・サペリジャーノといいます。王家とサペリジャーノ伯爵家との付き合いは古く、私も当主であるサペリジャーノ伯爵には幼き頃より世話になっている。それゆえ、アラモンドを側に置いているのだが……。彼は長い物には巻かれろを地でいく男で、私の言動を王妃に密告している節がある。アラモンドを遠くにやれればいいのだが……。サペリジャーノ伯爵は、末っ子であるアラモンドを溺愛している。邪険にできないのが現状です。そこで密告を逆手にとって、都合の良い話を流させるよう仕向けました」
「それはいい考えですわ!」
ヴェリニヘルムは一呼吸置くと、苦しげな顔をした。
「どうしてあなたは、私との結婚を断らなかったのですか?」
「反対に質問しますが、なぜわたしに結婚を申し込みましたの?」
「それは……。いつまでたっても、あなたの婚約話が流れてこなかったからです。私の求婚を待っているのではないかと……」
「ええ、その通りです」
ヴェリニヘルムは眉間に皺を寄せた。
「やはりそうでしたか……。けれどあなたは結婚を断るべきだった。後悔するときがくるでしょう」
「殿下と一緒にならなかったとしても、後悔します。どっちみち後悔するなら、人生を添い遂げたい人と一緒にいるほうがいいでしょう? そう思いません?」
「あなたって人は……」
ヴェリニヘルムはお手上げだというように首を振ると、深い吐息とともにわたしの右肩に頭を置いた。癖のあるブラウンの髪が頬に触れ、漂う樹木の香水が脳を痺れさせる。
突如頭を預けてきたヴェリニヘルムに、落ち着いてきたばかりの鼓動がドクドクとまた速くなる。
(わたしは殿下の膝の上に座って、殿下はわたしの肩に頭を乗せて……。これって限りなく抱擁に近いのでは⁉︎ 心臓が爆発しそう!!)
わたしは氷の女王なのだ。気安くわたしに触れる者などいなかった。物理的距離を縮めるためにはわたしの許可が必要で、その許可をわたしは安易に下さない。男性とここまで密着したのは、これが初めて。
口から心臓が飛び出しそうなほどに動揺して、手が震える。それでもストアディア王国の第三王女としての
わたしはなんでもない風を装って、原因究明を試みる。
「殿下、どうされたのですか? 馬車に酔われたのですか?」
「いいえ。あなたに嘘をつき続けるのが、心苦しいのです。だが……あなたの顔を見ながら、本心を打ち明ける自信がない。しばらくこの体勢でいることをお許し願いたい」
(しばらく、このままの体勢っ⁉︎)
お許し願いたいなんて、勝手なことを言わないで欲しい。「お許し願えますか?」と問うべきだし、わたしに触れる際は許可を取ってからにして欲しい。
何事も始めが大切。ピシッと言った方がいい。けれど肝心の言葉が出てこない。本心は裏腹なことを叫んでいる。
(ヴェリニヘルム殿下って、強引なところもあるのね。素敵……)
これが女慣れした軽薄な男だったら、迷わず頬を引っ叩く。けれど相手は求めてやまないヴェリニヘルムなのだ。強引に抱擁されても、胸が痛いほどにときめくばかり。
おまけに、ヴェリニヘルムはわたしの肩に頭をもたせたまま話すものだから、吐息がドレスから出ている素肌を撫で、体の芯に甘美な疼きをもたらす。
「あなたがリナンペンの港に降り立ったとき、雲の切れ間から太陽の光がこぼれ落ちて、あなたを輝かせた。そのあまりの神々しさに、女神がやってきたのではないかと錯覚した。——歓迎したかった。あなたを妻に迎え入れられる喜びを、民衆に誇示したかった。けれど私は……アラモンドに紛い物の感情を見せるために、酷い台詞を吐いた。あなたを傷つけるようなことを言って、申し訳ない。私の心はあなたにないなどと、嘘なのです。あなたを一目見たときから、私は……あなたの虜なのです」
「あ……」
わたしは、取りつく島もないほどに男を冷たくあしらってきた女なのだ。男が吐く甘い台詞を鼻で笑い、愛の囁きなんて無視してきた。
王城内で繰り広げられる愛をたくさん見てきた。父を初めとした不義な男たちに、わたしは悟った。——愛している。この言葉は、女とベッドを共にするための便利な台詞にすぎない、と。
それなのに、ヴェリニヘルムの愛の囁きにいとも簡単に舞い上がってしまう自分がいる。
わたしは左手を握りしめて、胸の上に置いていた。その手から力が抜けて、ストンと膝の上に落ちる。
ヴェリニヘルムは馬車の揺れから守るためにわたしの背中に手を回していたのだが、その手を膝の上に落ちたわたしの手に——重ねてきた。
「……っ!!」
断固とした線を引かなければならない。曖昧な態度を許せば、男はどんどんつけあがるのだと、そう恋愛経験豊富な侍女が話していた。
「殿下、大切なお話があります。わたしに触れる際は、許可を求めてください。わたしにも感情というものがありますので」
「すまない! ついっ!!」
ヴェリニヘルムは飛び跳ねるようにして、わたしの肩にもたせていた頭を上げた。
殿下の顔は真っ赤だった。それが羞恥心によるものだと察して、爆発しそうなほどの喜びにとらわれる。
恥ずかしくても言葉に出してくれたことに
感動していると、ヴェリニヘルムは恐る恐るといった感じで口を開いた。
「結婚式がまだなのに、つい……妻になったように思い、不作法を働きました。大変に失礼なことをした。それで、その……あなたの手は大変に美しい。触れることをお許し願えるだろうか?」
「……ええ。構わないわ……」
結局許すのかいっ!!
頭の片隅に追いやられてしまった理性が、呆れたように叫ぶ。
わたしの大好きな、手の甲に脈の浮き出た大きくて無骨な手が、繊細なガラス細工に触れるかのようにそっとわたしの小さな手に触れる。
わたしもヴェリニヘルムも、知らないうちに息を詰めていたのだろう。どちらともなく盛大に息を吐き出し、その吐息の大きさに、わたしたちは笑った。
初めて見た、ヴェリニヘルムの笑顔。生真面目な雰囲気が和らぎ、大きな目が細くなって目尻に優しい皺ができる。
なんて素敵な笑顔なのだろう。わたしだって殿下の虜だわ——そう思う。
わたしは恋と愛の境目を知らないし、恋と愛の違いや体系についても勉強不足だ。でもこれだけは分かった。恋はまったくもって、感情的だ。気持ちを昂らせて理性を低下させ、フワフワとした酩酊状態にさせる。
恋する者の会話が愚かであるわけを、わたしは身をもって学んだ。
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