第20話 幸福になることを喜べない人がいる

 ヴェリニヘルムは真面目な顔に戻って、話を続ける。


「あなたを大切にしたい。けれどもこの婚姻は、いろいろな人の思惑が絡んでいる。一筋縄ではいかず、私とあなたの気持ちだけでは動けない。あなたを辛い目に合わせないよう、最善を尽くすことを誓う。だが、周囲の目があるところでは優しい言葉をかけられない。すまない……」

「王妃の存在が気になりますよね」

「王妃? まあ、そうですね。王妃もそうですし……」

「他に気をつけるべき人物がいるのですか?」

「いや、そういうわけでは……。これは個人的な問題であって、あなたにはなんの関係もない。知らないほうがいい」


 兄からノルール王妃の話を聞いている。ノルール国王の最初の妻は二十年ほど前に亡くなっており、ソニーユ公爵家の娘であるリンデル様が後妻に入った。ヴェリニヘルムは国王と愛人の間にできた子供だが、国王はヴェリニヘルムを気に入っており、後継者に指名している。しかしリンデル王妃は息子を次期国王にするべく、諸々画策しているらしいと——。


 ヴェリニヘルムは、王妃に情報を流しているらしい従者アラモンドを警戒している。それなのにさらなる第三者の存在をほのめかして言葉を濁すなんて、いったい彼にはどれほどの敵がいるのだろう。

 探ろうとする眼差しから逃れるためなのか、ヴェリニヘルムは馬車の窓に目をやって、強引に話を変えた。


「今夜はベナレンという村に泊まります。童話に出てくるような、かわいらしい村です」

「なにを隠しているのですか? わたしには話せないことですか?」


 ヴェリニヘルムは伏し目がちに、「欲望というものは非常に厄介です」と呟いた。


「あなたを妻に決めたのは強く惹かれたからですが、ノルールとストアディアの架け橋になれるのではないかとも思ったからです。両国は憎しみ合っている。私たちが仲睦まじい夫婦となることで、両国の友愛の象徴になりたいと、そう考えたのです」

「素敵な考えですわ! そうなれたらどんなにいいでしょう!」


 平和を望むわたしと、ヴェリニヘルムの未来への想いが一緒であることに心が震える。この人を好きになって良かった、やはりわたしは人を見る目があると嬉しくなる。

 けれど感動するわたしとは裏腹に、彼は表情を曇らせた。


「世の中には、世界の平和よりも自己の満足に重きを置く者がいる。欲望を満たすためなら、平気で人を傷つける。そういう人とは、誠心誠意言葉を尽くしても分かり合えないのが現実です。すぐ身近に……私が幸福になることを許せない人がいる……」

「それは……」


 わたしは黙り込み、考えがまとまってから口に出した。


「わたしたちの結婚が、相思相愛の幸福なものであることを許せない人がいるのですね? その人のために、殿下は心の通わない政略結婚を演出する必要に迫られているのですね?」


 ヴェリニヘルムは目を見開いたまま固まった。図星を突かれて驚いているのが丸わかりだ。


「殿下は、わたしの虜だとおっしゃった。両国の友愛の象徴になりたいともおっしゃってくれた。なのに、表立って愛することはできない。周囲の目があるところでは優しくできないと言う。……人の目が気になるのですね。仲睦まじいと噂になることを恐れている。わたしは最初、王妃の目が気になっているのかと思いました。けれど違うようです。自己の欲望を満たすために平気で人を傷つける人からわたしを守るために、素っ気ない態度を取らざるを得ないのですね」

「あなたは賢すぎて困ってしまう」

 

 口では困ると言いながらも、ホッとした表情を見せるヴェリニヘルム。

 先ほど彼は、「あなたに嘘をつき続けるのが心苦しいのです」と言った。いくら敵から守るためとはいえ、わたしに不本意な台詞を吐くのは相当に苦しかっただろう。

 耐えてきたヴェリニヘルムに、愛おしさがあふれる。


「ひとりで抱え込まないでください。わたしたちは夫婦になるのでしょう? 楽しいことだけじゃなく、つらさもふたりで分け合いましょう」


 ヴェリニヘルムが緊張の糸を緩めたのが分かった。無愛想な唇が綻び、ヘーゼル色の瞳が柔らかく微笑む。

 そのあたたかな表情に、わたしのすべてが彼で満たされる。


「あなたに出会えたことを神に感謝します。私は世界一幸せな男だ。——あなたを悪意から守りたい。だが、私は弱い男なのです。過去を振り払うことができず、彼女も救われる道を探してしまう。……ここまで話すつもりはなかった。私情にあなたを付き合わせることは非常に申し訳なく、求婚して良いものかどうか悩んだ。求婚したのは誤りではないかと……んっ⁉︎」


 彼の頬をやんわりと引っ張る。表情を変えることが少ないためなのか、頬の筋肉が硬い。


「殿下はわたしの手をしっかりと握っていますし、わたしは殿下の膝の上に座っています。こんな状態で、求婚したのは誤りだったなんて反省するのはおかしいです」

「ま、まぁ、確かに……」

「わたしが幸せになる方法について、まだ話していなかったですね。わたしの幸せを叶えてくれますか?」

「もちろん」

「わたしの幸せは、楽しい遊びをすること。皆を騙すことです」

「えっ?」


 わたしの幸せは、皆を騙す楽しい遊びなどではない。けれどヴェリニヘルムは、私情にわたしを巻き込むことを嫌がっている。だから詳細を話してくれないのだろう。

 自責の念に駆られているヴェリニヘルムのために、妻として、彼の心にのしかかる重石を軽くしてあげたい。


 いつの間にか道の起伏が緩やかになっている。馬車の揺れが収まり、軽やかなひづめの音と車輪の回転音が心地良い強弱で聞こえてくる。

 ヴェリニヘルムの膝の上にいる必要はもうないのだけれど、彼に触れていたいし、彼もわたしを退けようとしない。

 好きな人の体温がもたらす心地良さに魅了されて、離れられずにいるわたしたち。

 わたしは彼の耳に唇を近づけ、秘密の話をする。


「仮面夫婦になって、その人を騙しましょう」

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