第18話 彼の膝の上で秘密の話を

「なにを考えているのですか?」


 わたしが気鬱な表情をしていることに気づいたヴェリニヘルムが、躊躇いがちに口を開いた。


「ヴェリニヘルム殿下は、わたしはノルールに償うために来たのだと、そうおっしゃいました。その通りだと、考えていました」


 ヴェリニヘルムはひゅっと息を飲むと、「違うのです!!」と叫んだ。


「あなたの考えていることが分かります! 過去の戦争行為を恥じていらっしゃるのでしょう? だがあなたがそれを行ったわけではない。それに私はそのような意味で言ったわけではない!」

「それなら、どのような意味でおっしゃいましたの?」

「それは……」


 ヴェリニヘルムは興奮を静めるためなのか大きく息を吐き出すと、背中を椅子にもたせた。


「どのような意味でも言っておりません」

「それなら、どうしてあのような発言を? 皆の前ではっきりと『あなたは償うためにノルールに来た』と、そう言ったではありませんか?」

「その前に、尋ねたいことがある。ストアディア国王から言伝を預かっているそうだが……」

「ああ、そうでしたね。覚えていましたか」


 言伝などない。ヴェリニヘルムと同じ馬車に乗るための嘘である。

 唇に人差し指を当てて「んー……」と唸ったわたしに、険しかったヴェリニヘルムの目つきが緩む。


「追求しない方がよろしいみたいですね」

「ええ、そうしてもらえると助かります。旅の時間は限られていますから、他の事案を追求した方がよいですわ」

「他の事案? なんでしょう?」

「手紙で『わたしが幸せになる方法を知りたいですか?』と書いたところ、殿下は『是非とも知りたい。会ったときに話してくれ』とお返事をくださいました。そのことを追求してはいかがでしょう?」

「いや、そのようなことを書いた覚えは……」


 ふふっと笑ったわたしに、ヴェリニヘルムは勘弁してくれというように片手で目元を覆った。

 彼の手は大きくて、手の甲に血管が何本も浮き出ている。指の関節が太く、爪が四角い。

 わたしは魅力的な手に見惚れていたので、ヴェリニヘルムの言ったことに対して、少し反応が遅れてしまった。


「言わないでくださいと、そう書いた気がします」

「……そうでしたか。では、聞いてみてはいかがですか?」

「聞かなくても、あなたが言いそうなことはなんとなく分かると言いますか……」

「聞かなくても分かるなんてすごいです! わたしたち、夫婦に向いていると思いません?」

「なんとお答えしたらよいものか、悩みます」

「結婚式はいつ行うのでしょう?」

「城に到着したらすぐにドレスの採寸をし、一週間後に結婚式を行います」

「素敵! わたしたち、仲の良い夫婦になれると思いますわ」 

「そうなれたらいいと思いますが……。私は、表立ってあなたを愛することはできません。非常に申し訳ないのだが……」


 ヴェリニヘルムは両手で顔を擦ると、ひどく疲れた色を表情に滲ませた。

 あなたを愛することはできない——その言葉が棘のように、わたしの胸に突き刺さる。


「わたしのことが嫌いなのですね。わたしを求めてくれたのは、思惑があってのことなのですね……」

「違いますっ!」


 わたしは馬車の窓に顔を背け、景色を見るふりをした。悲しさが込み上げてくる。

 ヴェリニヘルムは様子を伺うように、遠慮がちに言葉を紡ぐ。


「嫌いではありません。ですが手紙に書いたように、私との結婚は幸せに繋がっていません。あなたを守りたい。けれど敵が隙をついてあなたをさらったなら、辛い目に合わせてしまう。それが怖いのです」

「ええ、分かっています。どこの国でも、後継者問題は争いの元。理解しています」


 覚悟を決めて来たことを示すために、微笑む。けれど口角が上がっただけで、頬の筋肉は引き攣り、涙がふわっと浮いてきてしまう。

 本人の口から直接、「結婚は幸せに繋がっていません」そう拒絶されてしまうと、身構えていたにも関わらず胸がズキズキと痛む。

 涙ぐんでいるのに気づいたらしいヴェリニヘルムが、慌てて腰を浮かす。


「あ、いや……」

「大丈夫です。目に埃が入っただけですから。わたしは人質ですし、過去を償うために来ました。殿下の心はわたしになく、妻として認められることもないのですから、これぐらいのことで動揺してはいけませんね」

「その、なんと言いますか……」


 ヴェリニヘルムは視線を外に走らせると、黙った。真剣な眼差しから、耳を澄ましていることが分かる。

 馬車は細かい砂利を踏んでいるのだろう。車輪がジャリジャリとした音を伝える。だがすぐに悪路に変わり、車輪が上下に跳ねる。


「申し訳ない。トリコニールの周辺は整備していないのです」

「ストアディアの兵を進軍させないためです?」

「そうです。火砲を運ばせないために、わざと悪路にしてあるのです」


 馬車が激しく揺れるたびにお尻が浮く。それが一度や二度ならず頻繁に起こるので、わたしはどうしたらよいものかまごついてしまう。

 ヴェリニヘルムはわたしの隣に移動してきた。


「痛くありませんか?」

「痛くないと言いたいところですが……っ! でこぼこ道には慣れていないので、お尻が痛いです!!」

「私の膝の上に座ってください」


 言うが早いか、ヴェリニヘルムは軽々とわたしを持ち上げて、膝の上に座らせてしまった。

 あまりにも予想外の出来事に心臓が飛び跳ね、悲鳴をあげてしまう。


「きゃっ! 重いですわっ!」

「ご冗談を。あなたは鳥の羽根のように軽い。……この馬車の後ろに従者が立っている。声を潜めて、内密の話をしましょう」


 ヴェリニヘルムはわたしの耳に唇を寄せ、囁いた。

 けれどわたしは内密の話をするどころではない。ヴェリニヘルムの硬質な低音が脳に響いてクラクラするし、彼の吐息が掠めた耳が熱を帯びてジンジンとする。彼の膝は筋肉がついていて固く、手の置所がなくて彼の胸に当ててみれば胸板の厚さを感じて、慌てて引っ込める始末。


 ヴェリニヘルムはいつだって、わたしをドギマギさせる。彼はわたしの胸を高鳴らせる天才なのだ。

 騒ぐ心臓の音が彼に聞こえませんようにと、祈った。




 


 

 

 


 

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