第二章 悪意はすぐそばにある
恋する者たち
第17話 要塞の町
王家の紋章が入っている馬車の前に、ヴェリニヘルム殿下が直立不動の姿勢で立っている。
殿下の顔は四角く、目は大きくて二重の線がはっきりとしている。太くて真っ直ぐな眉に、高い鷲鼻。厚みのある唇。ブラウンの癖毛に、骨太の体格。軍人のようなお固い雰囲気は相変わらず。
約二年半ぶりの再会に、わたしの胸はこれ以上ないぐらいにときめく。外見も雰囲気も変わっていないことに安心する。
彼の硬質な容姿と誠実そうな雰囲気がたまらなく好きなのだ。
ヴェリニヘルムの隣にいる、小太りで背の低い中年従者が揉み手をしながら、下卑た笑いを浮かべた。
「船旅、お疲れ様でございました。普通は陸を通って来るもんですがね。大砲の威力をお試しになりたかったのでしょうが、そんなことをなさらなくても、我がノルールはユリシス様を歓迎しております。しかし随分とまぁ、荷物がたくさんおありで……豪勢でようございますな! 羨ましい限りだ。華やかなストアディアと比べると、ノルールはなにもない田舎ですからな。今すぐにでも帰りたいでしょうが、何卒我慢のほどを。不自由なこともたくさんあるでしょうが、すぐに慣れますので。ノルール人と同じ馬車なんぞに乗りたくないでしょうから、ユリシス様の馬車は殿下とは別に用意してございます。ささ、こちらにどうぞ」
やたらと口の動く従者だ。言葉を不要に使いすぎている。男の身のこなしや言葉遣いからして、下級貴族の次男や三男あたりに生まれたと推測する。年の頃は四十代後半ぐらい。背丈が小さく、ヴェリニヘルムの半分ほどしか身長がない。それなのに小太りで、のっしのっしと歩く様に奇妙な感じを受ける。
御者が恭しい態度で、わたしが乗る馬車の扉を開けた。
一言も発しない殿下を見つめながら、わたしは社交的な微笑みをたたえた。
「ストアディア国王から伝言を預かっております。殿下の馬車でお話してもよろしいかしら?」
ヴェリニヘルムの仏頂面にわずかな動揺が走る。殿下は小太りの中年従者に視線を走らせると、憮然とした態度のまま言った。
「構わないが……。最初に言っておくことがある。あなたの父は、ノルール国王に失礼な振る舞いをした。決して許されることではない。あなたは償うためにノルールに来たのであり、ストアディアとスペニシーサ王国が手を組まないための人質でもある。兄である国王にそのことを重々伝えておくように」
愛する女性を出迎えるにしては、随分と失礼な物言いだ。だが、止むを得ない事情があるのだろう思ってにこやかさを保つ。
「承知致しました。伝えましょう」
「それと……」
ヴェリニヘルムは再び、中年従者をチラッと横目で見た。殿下はなぜか背の小さな中年従者を気にしている。
「あなたは城で好きに過ごせば良い。わたしは必要なときしかあなたに会いに行かないし、世間一般的な妻の役割を求めていない。私の心があなたにあるなどと思わぬよう」
「随分と寛大ですのね。嬉しい限りですわ。言いつけ通りに、好きに過ごさせていただきます」
殿下は仏頂面、わたしは愛想笑いを唇に張りつけて話す。殿下の話し方は一本調子で、わたしは淡々としている。二人とも目がちっとも笑っていない。
わたしたちの間には、夫婦になるとは思えない冷ややかさが漂っている。
エークルランドと侍女たちは青ざめた顔をし、中年従者は下卑た笑いを深めた。
ヴェリニヘルムはわたしに目もくれずに、さっさと馬車に乗り込んだ。
エークルランドが寄ってきて、「大丈夫ですか?」と小声で気遣う。
「ええ、なにも問題はないわ。清々しい関係で、気分がいいわ」
「……なにかありましたら、すぐに駆けつけますので」
エークルランドは一礼をすると、身を引いた。
わたしは馬車のステップに片足を乗せ……、側に控えている中年従者をチラリと横目で見た。男は終始ニヤついた笑いを浮かべている。
気持ちの悪い男だ。だがそれ以上に、気の抜けない危険なものを感じる。
(ヴェリニヘルム殿下は、この従者を気にしている。王妃の息がかかっている者なのかしら? 足をすくわれる発言をしないよう、気をつけるとしましょう)
わたしは馬車に乗り込むと、ヴェリニヘルムの真向かいに座った。
✢✢✢
世界一の国土面積をもつ壮大なストアディア王国とは違って、ノルールは狭い土地に人が密集している。
白壁とオレンジ色の屋根瓦が特徴のリナンペンの町を出て、のどかな田舎道を馬車は走った。しばらく牧歌的な風景が続くのかと思いきや、すぐに次の町に入った。
背の高い家々の合間を、道が複雑に入り組んでいる。家はどれも平凡な灰色で、頑丈な作りをしている。似たような家、見通しがきかない町並み。まるで迷路の世界に閉じ込められてしまったような息苦しさを感じて、わたしはひとり言をこぼした。
「不思議な町……」
「トリコニールという名前の町だ」
「ああ……ここが……」
ストアディアとノルールの歴史は、戦争の歴史でもある。ノルールを制圧するために、ストアディアは幾度も戦争をけしかけた。
ノルールの王都に攻め入るには、必ずトリコニールを通り抜けなければならない。戦争が起こるたびに、トリコニールは戦禍にみまわれた。国を守ろうとする多くの兵士が死に、一般市民も大勢巻き添えになったと聞く。
ストディアの兵士がノルール人に行った行為は卑劣極まりない。
わたしは歴史の授業が大嫌いだった。ご先祖様たちの傲慢さと犯した罪が恥ずかしかった。教師は、歴史を学ぶことで愚行を繰り返さないことができると説明した。
(本当にそうかしら? だって戦争の道具が発明され、精度を上げるために改良する人がいる。武器を作り、売る人がいる。それらの人が歴史を学んでいないとでも?)
わたしは、馬車の外を流れていく灰色の風景を眺めた。トリコニールという町が要塞の構造をしているわけが分かった。トリコニールは、王都を守るための砦。この地には人々の嘆きと悲しみと涙と血があふれている。
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