第10話 後継者争い
宮廷画家が「顔をあげてください」と頼んできたが、泣きそうな顔を見られたくなくて、うなだれたまま兄の話に耳を傾ける。
「ヴェリニヘルムは愛人の息子だ。国王の正妻はとうの昔に亡くなっており、十年ほど前に後妻が入った。ソニーユ公爵家のリンデルという名の娘だ。その娘が幼い息子を後継者にすべく、諸々と画策しているそうだ。ノルール王家は現在、ヴェリニヘルム派とリンデル王妃派に分かれている。ヴェリニヘルムは国王のお気に入りだが……。リンデル王妃は教会を取り込んで、勢力を増しているそうだ。王位継承に敗れた者が殺されるなど、よくある話。ヴェリニヘルムもどうなるか分からん」
「そんなの駄目っ!!」
「あぁっ!」
勢い良く立ち上がったわたしに、デッサンを中断された宮廷画家は悲壮な声をあげた。だがそんなことなど構っていられない。
「今すぐにノルールに向かいます! 彼と結婚します!!」
「馬鹿なことを言うなっ!! 沈む泥舟にユリシスを乗せるわけにはいかない! ヴェリニヘルムはお前を利用する気なのだ!! ストアディアはノルール国民から憎まれている。そのストアディアの王女を妻に娶ってなぶり殺せば、国民の人気が上がる。ヴェリニヘルムはお前を痛めつけることで、味方となる一派を増やす気なのだ!!」
「…………」
「ユリシス、お前は美しく賢い。そして優しい子だ。ヴェリニヘルムに同情したのだろうが、あんな男なぞ死なせておけ。あれは鈍感な堅物だ。なんの面白みもないとアスリッドが言っていたぞ」
兄の視線から逃れるように、わたしは窓辺に立った。
「お兄様にはがっかりしましたわ。わたしが同情で、あの男と結婚したいと言ったとでも?」
「違うのか?」
わたしは振り返り、太陽の光を背にして立つ。宮廷画家が「美しい……」と吐息混じりにこぼした。
ヴェリニヘルムはとんでもなく不器用で、そして優しい。彼は真面目で律儀だから、約束通り求婚してくれた。けれど後継者争いにわたしを巻き込まないために、遠ざける方法をとったに違いない。
二択にしたのは、わたしが良心の呵責を覚えなくていいように配慮してくれたから。治安を守るために海賊を一掃する方を選んだのだと、言い訳ができるようにしてくれたのだ。
(それほどまでに、ヴェリニヘルムの立場は苦しいのだわ。けれどわたしは逃げたくない。あなたと結婚してあげる!)
だが、兄はノルールを毛嫌いしている。ヴェリニヘルムの求婚は、わたしを人質にするためだと信じ込んでいる。この状況でどうやって、兄に婚姻を認めてもらえばいいのだろう?
兄は国王である。ストアディア王国に有益をもたらすものでなければ、婚姻を認めてもらえない。ましてや劣勢にあるヴェリニヘルムとの婚姻など、兄にとっては雨粒ほどの価値さえないだろう。
わたしは冷静さを保つために、人々が氷の女王と呼ぶ冷ややかさで兄に説得を試みる。
「結婚は政治の一部です。まさかそこに同情が必要だとは思いませんでしたわ。お兄様は、オリビィル様と同情心で結婚しましたの?」
「まさか! 親が決めた結婚だからな。俺の好みなど入る余地はないさ」
「好みではないと? 仲が良いのに?」
「仲が良い? ははっ! うるさい女だからな。適度に機嫌をとっているに過ぎない」
軽い口調とおどけた笑いをこぼす兄。自分の妻を貶す発言に嫌悪感が沸く。
わたしの心の奥深くには、男性不信が流れている。母は亡くなるそのときまで、父の不義と薄情さに涙をこぼしていた。
だからわたしは、朴訥で誠実なヴェリニヘルムに惹かれたのだろう。
十六歳の誕生日の贈り物を届けに来た吟遊詩人は言った。
『ユリシス様は孤独な男に幸せをもたらした女性だというのです』
わたしは遠い南の島にいるという青い蝶と同じ名前。わたしのコバルトブルーの瞳はユリシスの羽と同じ色。
蝶のユリシスが見るものに幸運をもたらすならば、わたしもヴェリニヘルムに幸運をもたらしたい。わたしの人生の隣にいていいのは、ヴェリニヘルムだけ——。
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