第36話 恋焦がれる人の笑顔が瞼に焼きついて離れない
懐かしい声が、楽しそうに「姫さん」と呼ぶ。
「ハッ! 姫さんでもそんな顔ができるんだな。驚いた」
「驚いたのはわたしの方よっ! それに、そんな顔ってどんな顔よ⁉︎」
「迷子になった子供のような心細い顔だ。そうやって殊勝な態度でいれば可愛げがあるのに、姫さんは口も性格も悪いからなぁ」
「なっ⁉︎ 失礼ね!! あなただって同じじゃない! っていうかむしろ、あなたの方が口も性格も悪いわ!!」
「ハハッ!!」
陽気に笑うアディマスに、張り詰めていた緊張の糸が緩む。
もしかしたら、わたしを元気づけるためにわざと憎まれ口を叩いているのではないかと思い至る。
けれど素直になることはできなくて、不機嫌な顔を作って説明を求める。
「どうしてあなたがここにいるの? 説明して頂戴!」
「酒場で物騒な噂を聞いてな。不満が溜まっているムスター地方の農民をたきつけて、反乱を扇動している輩がいるって噂だ。そんな面白そうな話を聞いたら、血が騒いでな。見物に来たってわけだ。まあ、ついでに姫さんがノルールの奴らにいじめられているのを見て、笑ってやろうと思ってな」
「まったく、悠長でいいわね! 別にいじめられてはいないわ。嫌味は言われているけれど、たいしたことないし」
「そっか。そりゃ、良かった」
「で、領主はどうなったの? 反乱は終わったの? つ、ついでに殿下の安否も教えなさいよっ!」
言葉をつかえさせたわたしに、アディマスがにやっと笑う。
「教えてください、アディマス様。と、可愛くおねだりするなら教えてやってもいいぜ」
「館にいる騎士たちを呼んで、捕らえさせるわよ!」
「ったく、姫さんには冗談が通じない。まあ、いいや。あの豚領主は駄目だ。心底腐ってやがる。ここの農民たちは今日食う分にも困り、畑に蒔く種も不足していた。なのにあいつときたら、草を食べれば良かろうとぬかしやがった。豚みたいにぶくぶくと太った体型を見て、俺はピンときた。こいつは食料を隠し持っているとな。だから館を襲撃して、食料と金になるものを取り上げたってわけよ。ついでに火をつけてやったら、腰を抜かして逃げていった。ったく情けない野郎だぜ」
「え? アディマスが火をつけたの?」
「反乱に加わった農民をひとり残らず処刑するって、うるせーからな。死ぬのはお前だって脅すために、少々手荒な真似をした」
「さすが海賊王ね。やることが非常識だわ。今の話が本当なら、あなたが先導したように聞こえるわよ」
「反乱を扇動した輩がいるって話しただろう? 奴らは、けしかけるだけけしかけて高みの見物を決め込んだ。農民たちが死ぬ覚悟で領主に直訴しているのに、安全な場所でせせら笑っていた。おかしな話だろう? 先導者が逃げたことで、農民らの士気は下がった。さらには豚領主が処刑するって脅すものだから、農民たちはすっかり怯えてしまった。だからまあ、俺が仕方なく、やるべきことをやったってわけだ」
「……なにをやったのよ? 館に火をつけて領主を追い出した以外にも、なにかしたの?」
嫌な予感しかしない。聞くのが怖いが、聞かないわけにもいかない。わたしが複雑な気分でいるにも関わらず、アディマスは得意げに鼻を膨らませた。
「反乱を煽った輩を縛りあげて、目的を吐かせた。そうしたら、ソニーユ公爵に頼まれた傭兵たちであることが判明した。ソニーユ公爵は傭兵らに金を渡して、農民の暴動を誘発するよう依頼したんだ。それにどのような意図があるのかは、傭兵らも知らない。まあ、俺も興味ないしな。それ以上の尋問はめんどくせーから、騎士団に渡してやった」
「あなたって、役に立つことをするのね。すごいわ……」
アディマスは気持ちの良い笑い声を立てると、手に持っていた帽子を被った。
「姫さんに褒められるのは、むず痒いな」
アディマスのおかげで、ソニーユ公爵の悪巧みが明るみになった。ヴェリニヘルム暗殺を目論んだのも、白日の下に晒されることだろう。
丘の上にある館を眺める。
「反乱は終わったの?」
「ああ、明け方にな。農民たちは家から出ないよう命じられている。……反乱が収束するまで、大変だったんだぜ。豚領主が逃げてしばらくして軍隊が到着したんだが、その軍隊の先頭に豚領主がいてさ。俺を指差して『こいつが主犯格です。ひっとらえてください』って喚いた。ブーブー言っていればいいのに、誰がヤツに人間の言葉を教えたんだか」
「海賊流の冗談に付き合う気はないわ! あなた、自分のしたことがどれだけ危険なことか分かっている⁉︎ 相手は子爵なのよ! あなたは優秀だけれど、身分は庶民。貴族に盾ついた罪がどれほど重いか知っているの⁉︎ 農民たちがよそ者のあなたを庇うとは思えない。すべての罪をアディマスになすりつけるに決まっている! ここはストアディアじゃないのよ。わたしができることは限られている。あなたを助けてあげたいけれど、保証はできない。反乱に加わるべきじゃなかった! どうしてここに来たの? 自分の仕事はどうしたの⁉︎」
「ハハッ! 質問が多いな。姫さんに助けてもらおうとは思ってねぇよ」
「悠長に話している暇はないわ。早く逃げないとっ!! 捕まったら大変だわ!!」
「俺のことを心配しているのか?」
「当たり前でしょう!!」
アディマスはズボンのポケットに両手を突っ込むと、空を見上げた。
春の優しい風が、アディマスの長髪をそよそよとなびかせる。
「俺がノルールに来たのは、ある人の笑顔が瞼に焼きついて離れなくてな……。つらい目に合っているんじゃないかと、心配で……」
「ん?」
「ああそうだ。ついでに、殿下の安否も知りたいんだっけ?」
心臓がドキンと跳ね、お腹の上辺りに緊張が走って痛くなる。
ヴェリニヘルムの状態を知りたい。けれど、怖い——。
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