逆仮面夫婦の盲愛〜表向きは愛のない政略結婚です〜
遊井そわ香
第一章 政略結婚への道のり
あなたとの出会い
第1話 好ましいなどと言ってはいけない
北の大地の夏は短い。興味を失くした恋人に別れを告げる人のように、夏は未練なく立ち去ろうとしている。綿雲が夏を追いかけるようにして、北の方角に形を変えて流れて行く。
わたしは庭園のベンチに座って
「肩掛けをお持ちいたしましょう」
「ええ、お願い」
侍女が城内に戻ったため、わたしは庭園に一人になった。
何者かの視線を感じて顔を上げると、庭園の入り口に懐かしい人が立っている。
「ヴェリニヘルム殿下!! 到着なされたのですね!」
四角い顔に日に焼けた肌。太い平行眉。高い
顔の作りは整っているが、見目麗しい好青年というよりは生真面目な騎士のように見える人。
――
そんなお固い雰囲気を醸し出している青年を、わたしは好ましく思っている。
「ユリシス王女、お久しぶりです……」
ヴェリニヘルムはブラウンの癖毛の中に手を入れると、もしゃもしゃと頭を掻いた。
真横に結ばれていた唇が動いて、言葉を紡ぐ。小声すぎてはっきりとは聞こえなかったけれど、(綺麗になった……)そう言ったように聞こえた。
わたしはとても耳がいい。そして目もいい。日が陰っていても、ヴェリニヘルムの目元がうっすらと朱に染まっているのが見える。
彼は三年ぶりにわたしに会えて照れている。そしてもしかして、到着早々、わたしを探して庭園に来てくれた。
そのことがとても嬉しくて、つい、からかってみたくなる。
「ノルール王国のヴェリニヘルム殿下、長旅お疲れ様でした。わたしはお会いできて嬉しいですけれど、あなた様は別に嬉しくないのですね。目を合わせてくれないのだもの」
「いや!! その、嬉しくないということはなく、今回の外交をどれほど心待ちにしていたか……」
「目が泳いでいますわ。心待ちにしていただなんて、嘘なのでしょう」
「違います!!」
「では、わたしの目を見てください」
ヴェリニヘルムは空咳をすると、足元に下げていた視線をわたしに向けた。
「ストアディア王国への来訪は三年ぶりになります。お会いできて、大変に嬉しく思います」
なに、その定型的な挨拶。全然嬉しくない。
三年前、わたしたちは初めて会った。今日と同じように、ノルール王国側が我が国を訪問した。
当時わたしは十三歳で、彼は二十歳だった。七歳年が離れているわけだけれど、お茶会をしたり、ダンスをしたり、図書室で本の感想を言い合うなどして交流を深めた。
真面目で誠実なヴェリニヘルムに、わたしは恋をした。
ヴェリニヘルムに庭園を案内する。
雲に隠れていた太陽が顔を出し、緑豊かな庭園が光を取り戻す。花々が咲き誇り、低木が生い茂り、広葉常緑樹と針葉常緑樹が草むらに日陰を作る。
わたしは歩きながら植物の名前を口ずさんだ。けれど赤い実をつけている低木の名前を思い出せずに言葉に詰まると、彼が「グロゼイユ」とボソリと呟いた。
彼は腰を折ると、グロゼイユの赤い実に触れた。
グロゼイユはベリーの宝石と呼ばれるほどに美しい色をしていて、果実酒やジャムに使われている。
ヴェリニヘルムは房状になっているその実を、優しく丁寧に撫でた。わたしの色白で滑らかな手とは違い、彼の手は関節が太くてタコができている。手の甲に浮き出ている太い血管に目が吸い寄せられる。
彼の手の動きを追うのに夢中になっていると、ヴェリニヘルムは慌てて弁明をした。
「あなたの機嫌を損ねることをしたかったわけではない! 我が庭園にもグロゼイユがあるので、それゆえ名前を知っていただけの話なのです。知識をひけらかしたかったわけではない!」
「わかっています。ヴェリニヘルム殿下は植物がお好きですものね。三年前のことを覚えていますか? 図書室でわたしは冒険小説について熱く語って、ヴェリニヘルム殿下は植物について熱弁を奮った」
「覚えています。ユリシス王女は、お可愛らしい顔に似合わず豪胆な方。海賊船に乗って、宝箱を探す冒険に出たいと夢を語っていた」
生真面目に結ばれていたヴェリニヘルムの唇が、柔らかく綻んだ。
やっと、緊張を解いてくれた。
「ヴェリニヘルム殿下の笑顔……好ましいですね」
「なっ!!」
彼は背中を向けると、つっけんどんに言い放った。
「そんなことを言ってはいけない!」
「そんなこととは?」
「その……好ましいなどど……考えもなしに口にすべきではない!」
「考えた末に言っていますが?」
「いいえ!
夏の残光が、ヴェリニヘルムの背中に当たっている。
ジェストコートを着た
彼が上着を脱がないのは、金糸の刺繍が見事な上着を見せびらかしたいのではなく、真面目な性格だからだ。
(こういう一つ一つに、ヴェリニヘルム殿下の律儀さを感じるのよね。頑なさがたまらないわ。崩したくなる……)
ヴェリニヘルム殿下は振り返ると、生真面目な顔で繰り返した。
「好ましいなどと言ってはいけないのです」
「なぜですか?」
「それは……都合良く受け取る男どもがいるからです」
「男ども……。複数形ですね。それならご心配なく。わたしが好ましいと口にしたのは、ヴェリニヘルム殿下が初めてですから」
「……っ!!」
「ちなみにお世辞ではありません。心から、殿下の笑顔を好ましく思っておりますわ」
ヴェリニヘルムは口をあんぐりと開けたまま、固まってしまった。それからみるみる顔を真っ赤にすると、急ぎ足で立ち去ってしまった。
わたしは彼の広い背中を見送りながら、クスクスと笑った。
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