第4話 彼の心にわたしがいますように

 父は会場中に響くほどの大声を張りあげた。

 

「我が国を侮辱するなど許さんっ!!」

「ストアディア王国を侮辱しているわけではない。国ではなく……」


 父は怒りで顔を真っ赤にしているが、ノルール国王の方は冷静沈着で、声も穏やかだ。だが冷ややかな眼差しが(侮辱しているのは国でなく、あなただ)と匂わせている。最悪なことに父はそれを感じ取ったらしく、怒りに任せて拳を振りあげた。臣下たちが二人の間に入り、スペンソンは父の拳を下ろそうと必死の形相で止めに入る。

 舞踏会会場は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、わたしは絶望のあまり顔を覆った。



 ストアディア王国とノルール王国は、四方を海で囲まれた大陸にある。マリントリア大陸と呼ばれるこの大陸には、ストアディア王国とノルール王国の二つしか国はない。このマリントリア大陸の十分の九をストアディア王国が支配し、西南に突き出た半島をノルール王国が治めている。

 ストアディア人もノルール人も、元々は同一民族。圧政に苦しむ民が革命を起こしてできた国が、ノルール王国なのだ。それゆえストアディア王国は、ノルールを国と認めず従属扱いしてきた。何度も戦争をけしかけては、神の名の下に、ノルール人を粛清しようとした。そのためノルール人はストアディア人を「血に飢えた悪魔。呪われて地獄に堕ち、永遠の苦しみを味わえ!」と並々ならぬ憎悪を持っている。


 対立する両国が和平条約を結ぶなど無理だと多くの者たちが苦言を呈した。それでも国際情勢を見据えたスペンソンが長い時間をかけてやっと、ノルール国王との会談までこぎつけたのだ。

 けれどすべては、父の癇癪かんしゃくによって泡となってしまった。


(両国がせっかく歩み寄ったというのに……。なんでこんなことになってしまったの? お終いだわ……)


 声を漏らさずにひっそりと涙をこぼしていると、名前を呼ばれた。


「ユリシス王女。秘密のお話の件、私も同じ気持ちです。ですから想いを断ち切ることなく、待っていてください。必ず……」


 顔を上げると、彼のヘーゼル色の瞳がわたしを真っ直ぐに見つめている。彼の厚みのある唇が動く。それは小声だったし、周囲は騒然としていたから、聞き間違いの可能性がある。

 それでもわたしには……。

 

 ——必ず、あなたを妻にします。


 そう言ったように、聞こえた。



 その後、父は国賓こくひんにグラスを投げたとがで幽閉されることとなった。父は喚いたが、一国の王に危険を及ぼした罪は重い。

 この国王の元では国がさらに傾いてしまうことは誰の目にも明らかで、幽閉処分に反対する者はいなかった。わたしは、スペンソンが毒の入ったワインを父に運ぶよう臣下に指示を出した場にいたが、うつむき沈黙した。

 塔に幽閉された父は毒をあおって、その夜のうちに死んだ。

 


 ✢✢✢



 翌日。ノルール国王は父のしでかした愚行を見逃す代わりに、ルトワン地域の返還を求めた。国王の座に就いたスペンソンは返還の書類にサインをし、その後ノルール一行は午前中に城を発った。本当ならあと一日滞在するはずだった。だが念願だったルトワン地域を取り戻した今、ストアディアに用はないのだろう。

 ストアディアは和平条約を結ぶことも、アスリッドを嫁がせる言質げんちを取ることもできなかった。

 長年従属扱いしてきた者たちに惨敗したのだ。



 スペンソンは交渉が失敗に終わったことを悔しがり、壁に拳を叩きつけて怒り狂った。


「まんまとしてやられた!! 我々は罠にかかったのだ! あの男は物腰の柔らかな態度を取りながらも、父を苛立たせる際どい発言を連発していた。父が短気で軽率なことを見抜き、怒らせて失態を犯させる算段だったのだ! 豪胆でずる賢い男だ。最初から和平条約を結ぶ気などなかったのだ。ルトワン地域で取れる珪石けいせきこそ、真の狙い。ノルール王国はソーダ灰は取れるが、珪石けいせきが入手できずに他国に頼っていた。ルトワン地域を手に入れたことで、ノルールのガラス工芸は飛躍的に発展するだろう。政治は駆け引きの世界。俺たちは負けたのだ!!」


 兄は俯瞰的ふかんてきに物事を見ることができる。その物事が自分たちにとって屈辱的なことでも、事実として受け入れる。そんな度量の大きさが、兄にはある。

 兄は敗北を認め、ストアディア王国を再建することで見返すことを誓った。



 家族会議から解放されてようやく庭に出た頃には、太陽は山際にかかっていた。

 期待する気持ち半分、諦めの気持ち半分で、庭園にあるグロゼイユを見に行く。

 どうしてもヴェリニヘルムに想いを伝えたくて、太陽が昇る前にグロゼイユにハンカチーフを結んだのだ。

 グロゼイユを見ると、白いハンカチーフが結ばれたまま——。


「ヴェリニヘルム殿下は、ここに寄らなかったのだわ……」


 ハンカチーフを解く。悲しい気持ちでハンカチーフを広げると、わたしが刺繍した薔薇模様ではなく、イニシャル入りのハンカチーフだった。


「このイニシャル……ヴェリニヘルム殿下?」


 ハンカチーフは愛の証として、恋人への贈り物に用いられている。

 わたしの手元にはヴェリニヘルムのイニシャル入りのハンカチーフがあり、ヴェリニヘルムの手元にはわたしが刺繍したピンクの薔薇のハンカチーフがある。

 それはまるでわたしたちの気持ちそのもののようで、愛しくなる。

 わたしは樹木の香りがするハンカチーフを胸に抱き、神様に祈った。


 ――神様、お願いします。ヴェリニヘルム殿下の心に、わたしがずっとずっといますように。他の女性に心動かされることなく、結婚の約束が果たされますように……。


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