自由な船旅

第12話 神経をすり減らしている理由を教えてよ

 ストアディアとノルールは陸続きなので馬車で移動してもよいのだが、わたしは海路を選んだ。

 兄のスペンソンは船が出港準備を終えたというのに、馬車から降りようとしない。涙ぐみ、鼻をかんでは、別れを惜しみ続ける。


「ユリシス、許せ。小国に嫁ぐなど屈辱でしかないだろうが、これも亡き父の無念を晴らすため。ノルールをかき回し、混乱させ、破滅に追い込め」

「理解しておりますわ、お兄様」

「ユリシスは気丈だ。聡明で勇敢で、しかも美しい。お前を手放すことがどんなにつらいか……」


 グズグズと別れを惜しむ兄に、わたしは次第に苛ついてくる。強引に話を切りあげることにする。


「日が暮れる前に、出港しなければなりません。お体に気をつけて。お兄様のご多幸をお祈りしています」

「ユリシス、ありがとう。お前のために特注の船を作らせた。アディマスは立場を弁えているだろうが、無礼な振る舞いをしたら斬ってよい」

「今年は大漁だと聞いていますわ。魚が多く泳いでいるでしょうから、アディマスを海に投げたら、魚は喜ぶでしょうね」

「ハハッ! それは良い考えだ。お前は面白いことを言う」

「魚料理からアディマスの指輪が出てきたら、さらに面白いですわね。お兄様、魚を食べるときは気をつけてくださいね」

「…………」


 青ざめた顔をして無言になった兄に、わたしは「海賊流の冗談ですわ」と笑ってみせる。

 手に持った扇子で扉を叩くと、外で待っていた従者が馬車の扉を開けた。


「では行きますわね。ストアディア王国の益々の繁栄を願っております」


 白手袋を嵌めた従者の手のひらに指を添え、馬車のステップに足を降ろす。

 ようやく馬車から降りることができたわたしの目に、帆船が西日を浴びてオレンジ色に染まっているのが飛び込んでくる。

 わたしは確かな足取りで、兄が特注で作らせた豪勢な船に乗り込んだのだった。



 ✢✢✢

 


 船に乗って四日目。船旅は退屈なほどに順調だ。春の柔らかな日差しを浴びる海は穏やかで、眩しいほどの青が水平線の彼方まで続いている。この海の向こうに見たことのない大陸があって、肌色の違う人たちが住んでいるのかと思うとワクワクする。

 視界に入るのは海のみ。海は広がり、空と繋がる。

 開放的な空気に、王族という窮屈な生活から解き放たれて自由になったような感覚に陥る。

 

「このまま見知らぬ土地に行けたなら、楽しいだろうな……」


 自由が翼を広げて空を飛び、創造力の島に降り立つ。

 男に変装して海賊一味となり、冒険の旅に出たらどんなに楽しいだろう。宝の島を発見し、その島に住む獣と戦い、罠をかいくぐって宝箱を手にするのだ。

 そんなふうに現実逃避をしてしまうのは、単調な波のせい。嵐が来て海の恐ろしさを教えてくれたら、陸にしがみつけるのに……。

 東の大陸を行き来しているアディマスが羨ましくなる。


 ちょうどアディマス本人が甲板に出てきた。わたしに気づくとプイッと顔を逸らし、船内に戻ろうとする。


「待ちなさい! 話があります!!」

「へいへい。トティー、めんどくさい姫さんがお前に話があるってよ」

「違うわよ! アディマスに言っているの!! トティー、アディマスが逃げないよう縄で縛って!!」

「え、えぇと……」


 そばかす顔の少年トティーは、困惑顔でわたしとアディマスを交互に見た。アディマスが手を振って追い払う仕草をすると、トティーは明らかにホッとした表情で船内に引っ込む。

 甲板にはわたしとアディマス。そして少し離れた場所から、護衛の騎士エークルランドが見張っている。


「アディマス。わたしの隣に来なさい」

「断ったら?」

「エークルランドに斬ってもらう。魚の餌になってもらうわ」

「ちぇっ!」


 アディマスはエークルランドをチラッと見ると、渋々隣に来た。

 わたしはこれでやっと彼と話ができると、一息つく。


「なぜわたしを避けるの?」

「避けていない。お役目通りに、姫さんをノルール王国へと運んでいる」

「感謝しているわ」


 アディマスは唇を真横に引き結び、不機嫌な顔で前方を見据えている。わたしに話しかけられるのは迷惑だと、全身で訴えている。

 四日前。アディマスとの再会が嬉しくて、互いの近況報告を兼ねながら長話をした。そのときは友好的な態度だったと思うのだが、次第にアディマスはわたしを避けるようになった。

 

 わたしは甲板の手すりに両腕を乗せると、アディマスに顔を向けた。


「船って最高ね。乗組員は親切だし、食事は美味しいし。政略結婚なんてやめて、いっそのこと海賊になっちゃおうかな」

「はぁー⁉︎ バカ言えっ!! 迷惑だっ!! 俺が毎日毎日、どれだけ神経をすり減らしているのか分かっているのかよっ!」

「分からないわよ。だってあなた、わたしの事を避けているんですもの。どうして神経をすり減らしているのか、理由を教えてよ」


 アディマスは首を左右に振ると、疲れたように息を吐き出した。


「新品の船をやるから王女をノルールに送れと、国王に命じられた。危険な目に合わせたら首を跳ねてやるってさ。ったく、勝手なもんだぜ。俺たちは、むさ苦しい男ばかりの集団なんだ。それなのに、綺麗に着飾った姫さんとお付きの女たちが乗ってきた。しかも騎士団の奴らをたっぷりと連れてきやがって。ウサギと猟犬がいっぺんに乗ってきたようなもんだ。そわそわしている連中に、ウサギの部屋を覗かないように説教し、猟犬を刺激しないよう言い聞かせ、料理人をおだてて手の込んだものを作らせ、船が転覆しないよう細心の注意を払う。俺は毎日疲労困憊だ。なのに船が快適だから海賊になりたいだなんて、馬鹿かっ! 俺が目を光らせているから、快適な船旅なんだっつーの!!」

「ふふっ、そうなんだ。ありがとう」

「褒められたぐらいじゃ、俺は喜ばねーぜ!」

「じゃあ、どうしたら喜んでくれるの? 手にキスをするのを許してあげたら喜ぶ?」

「ばっ⁉︎ ふざけんなっ!!」

「あなたって怒りっぽいのね。さらに性格が悪くなったんじゃないの?」

「ああ、そうだそうだ。性格が激悪になった。だからこっち見んな!」


 見るなと言われると見たくなるもの。わざと瞬きをせずに見つめていると、アディマスは「くっそー! 嫌な女っ!!」と悪態をついた。

 アディマスは体の向きを変えて、手すりに背中を預けた。彼の黒髪が潮風を浴びて乱れ、長い前髪に隠れていた額の傷が露わになる。

 

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