第15話 俺と一緒に冒険の旅に出るか?

 翌朝。わたしはひどい頭痛と吐き気で、ベッドから起き上がることができなかった。いわゆる二日酔いである。

 アディマスは「幽霊みたいな顔だ。ノルールに上陸したら、祈祷師を呼ばれて除霊されるぞ」と嘲笑った。

 運が良いというべきか、昨夜遅くから強い雨が降りだし、海上には霧がかかっている。ノルール王国への上陸が明日に延期され、わたしは回復時間を確保できたのだった。



 夕方。たっぷりと睡眠をとったわたしは至極快適な気分で甲板に出た。雨はあがっており、春の夕日を浴びる風は温かく、船に打ちつける穏やかな波音は耳に心地良い。水平線は丸みを帯びていて、海鳥は空に溶けることなく自由自在に羽ばたいている。

 争いも貧困も足の引っ張り合いもあざけりも身勝手さもない平和な世界が、眼前に広がっている。ふと、船旅を終える寂しさに襲われる。


「よお、姫さん。やっと復活したか。祝いに、今夜も酒飲み対決をするか?」


 アディマスがニヤニヤ笑いを浮かべて近づいてくる。反論しないでいると、彼は無言で隣に立ち、ポケットに手を入れた。わたしたちは並んで水平線の彼方を眺める。

 物静かなわたしにアディマスは拍子抜けしたようで、真面目な口調で尋ねてきた。


「国を離れるのが寂しいのか?」

「違うわ」

「ノルールに嫁ぐのが不安か?」

「そうね。でも、これがわたしの運命だから……。自分で人生を選べただけでも、幸運だと思うわ。けれど……そうね。もっと自由に生きられたら、どんなに素敵でしょうね」


 ヴェリニヘルムの妻になれるのは嬉しい。けれど考えてしまうのだ。


 ——鳥籠から鳥籠へと移動するだけではないのか。自由に羽ばたくことなど、一生叶わない。鳥籠の中で、ヴェリニヘルムと死ぬのだ。


 付きまとう哀愁を振り払いたくて、わたしは微笑む。


「心から友達と呼べる人がいないから、海賊の仲間に加えてもらったような気がして、昨夜は楽しかった。信頼できる仲間がいるっていいわね。わたしも海賊になって、冒険の旅に出たいな」


 甘えたことを言うな。海賊は勇気ある真の男がなれるもの。女なんてお呼びじゃねぇ——。

 そう言われると思った。だがアディマスはどこか痛むのか、苦しそうに眉根を寄せた。


「姫さん……」

「なに?」

「俺と一緒に……」


 アディマスの唇が躊躇いがちに動く。けれど瞳は強い光を放っており、揺るぎがない。言葉にするのをはばかっているだけで、彼の本心には迷いがないらしい。

 

「その望み、叶えてやる。俺と一緒に……冒険の旅に出るか……」


 海風がアディマスの黒髪をたなびかせ、まっすぐに前に届く男性的な声が、わたしの心臓をどくどくと高鳴らせる。


「アディマス……」

「俺が側にいてやる。辛い思いをさせないと約束することはできないが……。だが、ノルールの人質になるより何千倍もいい。奴らにどんな酷い目に合わされるか分かったものじゃない! 死んだらすべてがおしまいだ!! 姫さん、昨夜言っていただろう! ノルールでどんな事態が待っているか分からない。命が狙われる可能性もあるって。だから俺に助けを求めたんだろう!!」


 アディマスは話すうちに興奮してきたらしく、早口になる。


「危険な政略結婚なんかするな! ヴェリニヘルムはストアディア人に復讐するために、姫さんを選んだんだ!! ノルールの城に閉じ込められて、羽をむしられた鳥のように死んでいくなんて、姫さんに似合わない! 姫さんにはずっと笑っていて欲しい。俺がどこまでも逃してやる。守ってやる!! 追手のこない外国で俺と……」

「アディマス! 違うの、違うのよっ!!」


 わたしは叫び声をあげてアディマスの話を遮ると、あふれそうになる涙をぐっと堪えて、頭を横に振る。

 命が狙われているのも新大陸に逃して欲しいのも、わたしじゃない——ヴェリニヘルムだ。

 わたしは昨夜、ヴェリニヘルムの名前を一切出さなかった。

 アディマスは誤解している。けれど悲痛な目をしているアディマスにヴェリニヘルムへの恋心を告げるのは酷な気がして、突き放す。


「海賊になりたいだなんて冗談よ。嘘。本気にしないで。わたしは王女なのよ。着替えさえ、ひとりでしたことがない。侍女がいない生活なんて考えられない。冒険なんかできないし、新大陸で暮らす気もないわ」

「俺が、あんたの面倒をみてやる……」


 胸にナイフを突き立てられたかのように、ズキズキと痛む。

 アディマスには威風堂々とした海賊王でいて欲しい。生活能力のない女の面倒をみるなんて似合わない。それにわたしは――ヴェリニヘルムが好きなのだ。

 わたしはそっと息を吐き出すと、冷ややかに笑った。


「海賊なんて嫌いよ。臭いし汚いし野蛮だし盗人だし、全然魅力的じゃない。わたしはね、ノルールに行って贅沢三昧をするの。豪華な部屋で連日連夜パーティーを開いて、美味しいものをたくさん食べて、素敵な男性と踊るの。冒険なんて大嫌い。楽に楽しく暮らしたいわ。王侯貴族らと親しくならないといけないんだもの。海賊に構っている暇なんてないのよ。それに船なんて、もう二度と乗りたくない。居心地が悪すぎて、最低」

「……それが、あんたの本心か?」


 彼を傷つけてその傷口に塩を塗るために、わたしは軽やかな笑い声を立てる。


「海賊になりたいだなんて冗談を間に受けないでよ。ふふっ、あなたって本当に純情ね。女に騙されるなんて、どうかしているわ。馬鹿みたい。あなたを操るのって簡単ね。これでは総督になれないわよ」

「っ!!」


 アディマスは拳を握り締めると、自分の太ももに力いっぱいに打ちつけた。


「ああ、そうかい!! 分かったよっ! もういいっ!!」

 

 激情に耐えるアディマスに胸を突かれる。

 アディマスはそれ以上なにも言わずに、足早に立ち去った。



 わたしは甲板にひとりになった。海に落ちる夕日をぼんやりと眺める。夕日がぼやけているけれど、それは夕日のせいではなくわたしが泣いているからだと、だいぶ遅れて気づく。


 アディマスは怒りっぽいくせに、わたしに怒りをぶつけなかった。悔しかっただろうに、ひどい台詞も吐かなかった。

 わたしへの想いが純粋で真剣だったことを知り、わたしはノルールに行くのに海路を選んだことを激しく後悔した。




 


 

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