第三章 許可のいらない口づけを

未来にあなたがいて欲しい

第34話 混乱に乗じてうごめく野心

 わたしたちはヴェリニヘルムを追って、馬を走らせた。夕方前には歩兵集団に追いついたが、ヴェリニヘルムはいなかった。

 領主を助けるために、ヴェリニヘルムは馬に乗った先頭集団を引き連れて先を急いだらしい。

 真面目なヴェリニヘルムらしいけれど、それが危険に飛び込んでいく行為だと思うと歯痒い。

 先に進もうとするわたしを、エークルランドが止めた。


「今夜は月が出ない。闇夜を走るのは危険です。しかも俺らは土地勘がない。迷えばその分、到着が遅くなる。それよりも夜明けとともに出発したほうがいい。それに、馬にも休息が必要だ」


 ヴェリニヘルムが心配ではあるが、走り続けた馬も、ずっと気を張っていたわたしも疲れていた。

 おとなしく宿屋に泊まり、そうしてぼんやりとした夢を見た。




 光輝くめくるめく舞踏会。黄金に彩られた煌びやかな部屋で、仮面をつけた男女が踊っている。

 仮面で覆われているのは目元だけ。素顔を晒す唇は半月型に笑っていて、道化師の作り笑いを連想させる。

 わたしは巨大なシャンデリアの下で、誰かを待っていた。


「……誰に会いたいのだろう?」


 肝心な相手を忘れてしまった。とても大切な人なのに、記憶に霞がかかっていて思い出せない。


「お待たせしました」


 硬質な声が響く。振り返ると、頭から鉄仮面をすっぽりと被っている人物が直立不動の体勢で立っている。


「誰ですか?」

「仮面舞踊会で名を問うてはいけません。今宵は見知らぬ男女として、ダンスを楽しみましょう」


 鉄仮面の男はわたしの手を取ると、踊り始めた。けれど動きがぎこちなく、リードする手からは自信のなさが伝わってくる。


「私にはダンスの才能がありません。あなたを不快にさせてしまうのではないかと、心配です」

「そのようですね。でもわたしはあなたと踊れて幸せです。……ご無事で良かった。今日一日ずっとあなたのことが心配で、胸が張り裂けるかと思った」

「生きるか死ぬか、一寸先のことは誰にも分からぬもの。無事というのは、どのような状態を指しているのですか?」

「それはもちろん、ヴェリニヘルム殿下が元気なお姿で戻ってくることです。わたしたちは結婚式を挙げるのですから」

「これでも無事と言えるでしょうか?」


 突然、男が前のめりに倒れた。

 わたしの腕の中に倒れた男の鉄仮面が真っ二つに割れ、ヴェリニヘルムの顔が現れる。

 彼は目を閉じており、顔色が真っ白。結ばれた唇から、赤い血が一筋すうーっと流れた。

 悲鳴をあげたわたしの目に、ヴェリニヘルムの背中に突き刺さっている矢が飛び込んでくる。


「私の父がヴェリニヘルムを殺す気でいます! 流れ矢に当たって死ぬなんて、よくあることだと……」


 どこから現れたのか、リンデル王妃が涙に濡れた顔で訴える。

 ヴェリニヘルムが低いうめき声をあげた。


「殿下! 生きているのですね⁉︎」

「奴を仕留めるのだ!!」

「殺さなければならない!!」


 弓矢を持った男たちが、わたしたちをぐるりと囲んだ。


「やめてっ! 殺さないで! 大切な人なのっ!!」


 わたしは声の限りに叫び、ヴェリニヘルムを守るために抱きしめた。だが矢はわたしの体をすり抜けて、ヴェリニヘルムに突き刺さる。鮮血が吹きだし、わたしの白いドレスを真っ赤に染めていく。


「やめてやめてやめてーーーっ!!」





「ユリシス様っ!!」


 名前を呼ばれ、肩を揺さぶられる。

 重い瞼を開けると、部屋は暗く、見慣れたエークルランドの顔がランプに照らされている。


「うなされておりましたが、大丈夫ですか?」

「……ああ。夢ね。夢を見ていたわ。とても嫌な夢……。なんだったかしら……?」


 現実世界に戻ってきた途端に、夢が流れ星のように消えていった。けれど尾を引く恐怖が残っており、胸をざわつかせる。

 はかはかしている呼吸を整えていると、エークルランドが報告をしてきた。


「宿屋の主人に頼んで情報を集めてきました。ムスター地方の領主はアドルフ・エスターという子爵で、サマラノス伯爵の妻の弟だそうです」

「サマラノス伯爵? どこかで聞いたことがあるような……」

「リンデル王妃の叔父であり、王妃の実家であるソニーユ家と権力争いをしている者です。ソニーユ公爵の企みが読めた気がします。ヴェリニヘルム殿下を事故に見せかけて殺し、アドルフ子爵の件でサマラノス伯爵にも責任を負わせるつもりでしょう。この反乱で、二者の権力を削ぐことができる。もしかしたら……」

「この反乱自体に、ソニーユ公爵が噛んでいるかもしれない?」

「そこまでの情報は入っていないが、その可能性はあります。あとこれは俺の好奇心でお尋ねしますが……。なぜ姫様がムスター地方に行かなければならないのですか? 俺に頼んで刺客を始末させれば良いだけの話。ユリシス様が動く必要はない。ヴェリニヘルム殿下を愛しているのですか?」


 エークルランドの双眸が、射抜くようにわたしを見つめる。

 けれどわたしは、仮面夫婦の下にある真実を告げる気はない。仮面の下にある愛は、わたしとヴェリニヘルムだけのもの。他者の目に触れさせたくない。


 わたしは用意していた答えを口に乗せる。


「わたしは大国ストアディアの由緒正しい王女よ。わたしを愛するのは許してあげても、わたしが愛さなければならない道理はないわ。ムスター地方に行くのは退屈だからよ。暇つぶしというわけ」

「暇……つぶし?」

「なにか文句ある? 過保護なお兄様の目が離れたのだもの、好き勝手したっていいじゃない!! わたしだって男に生まれて、敵をぎ倒したかったわ! 兵士たちの戦いを間近で見たいの!!」

「姫様はなんにも分かっていない! 戦いの悲惨さが分からないから、そんな無邪気なことが言えるのです!!」

「分からないのは当たり前よ! だって見たことがないのだもの。男ばっかり狡いわ。わたしだって戦いたい!!」

「馬鹿言わないでください! 姫様が性別を間違えて生まれたことが、よく分かりました!!」


 エークルランドは、呆れ果てて物が言えないというように頭を振った。

 仮面夫婦を演じるたびに、わたしの評価が下がっていく気がする。この不条理は、一千倍にしてノルール国王に報復するとしよう。


 

 目が覚めたので、宿を出発することにした。

 東の空がうっすらと明るくなり始め、瞬く星が紺青色の空に輝いている。

 朝と夜が混じった空に感動していると、ふと山の向こうが赤いことに気づいた。

 エークルランドが言葉を漏らす。


「空が燃えている……。まさか、領主の館が……」


 山を越えるために馬を走らせていると、ノルール国王宛の使者に出会った。

 わたしの身分を明かすと、使者は息を切らせて告げた。


「ヴェリニヘルム殿下に矢が当たりました! 矢じりに毒が仕込まれていたようで、大変に危険な状態です!!」

 

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