第5話 海を制する者は世界の覇者となる

 ヴェリニヘルムが去った日から、わたしの心はざわざわと波打って落ち着かない。ヴェリニヘルムは「待っていてください」と言ってくれたし、わたしは朝晩神に祈りを捧げている。

 彼を信じているけれど、王侯貴族というのは政略結婚が当たり前で、結婚によって同盟が強化されたり勢力が拡大したりする。ヴェリニヘルムがわたしを強く望もうとも、旨みのない結婚をノルール国王が同意するとは思えない。

 そういうわけでわたしは期待と諦めを織り混ぜた複雑な気分で、毎日を過ごした。


 日々は停滞することなく過ぎていき、木の葉が赤や黄色に彩られる季節となり、わたしは十七歳になった。だが父が亡くなって二ヶ月。喪に服しているため、誕生日パーティーは開かれず、親しい人から贈り物をもらうだけで終わった。



 ✢✢✢



 秋の日差しが穏やかに降り注ぐ昼下がり。庭園を気ままに散歩していると、侍女のセルマが慌てた顔で走ってきた。


「ユリシス様!!」


 セルマは長い距離を走ってきたのか、わたしの元にきても息切れしてすぐには話ができないようだった。


「あの、お、驚くことが、はあはあ、ございまして……」

「ゆっくりでいいわ」

「はあはあ……。も、申し訳、ございません……」


 セルマは肩を上下して深呼吸を繰り返すと、手にしていたハンカチーフを差しだした。


「ユリシス様の刺繍と似ていませんか⁉ 吟遊詩人だと名乗る男が持ってきたのです!!」

「どういうこと?」

「私も詳しくは知らないのですが……」

 

 ハンカチーフに刺繍してあるピンクの薔薇模様は、ヴェリニヘルムに渡したものとまったく同じ。彼が寄越してきたとしか思えない。

 ハンカチーフは愛の証として、恋人同士の贈り物に用いられている。それを返してきたということは……。


(結婚の道が閉ざされたか、またはヴェリニヘルム殿下が心変わりをされたのだわ。どちらにしても、希望はない……)


 大声で泣きたい。騒いで暴れて、狂ってしまいたい。

 初めて好ましく思った男性から、拒絶された衝撃は大きい。

 二の句を継げないでいると、呼吸を整えたセルマが事情を話しだした。


「門番の話によると、吟遊詩人の男がユリシス様に誕生日の贈り物を届けに来たそうです。吟遊詩人が言うには、はるか遠い南の島にユリシスという名前の蝶がいて、その蝶の羽は宝石のように美しいコバルトブルーをしている。見るものに幸運をもたらす伝説の蝶なのだそうです。ユリシス様の瞳も美しいコバルトブルー。ユリシス様は孤独な男に幸せをもたらした女性だと、そう吟遊詩人は語ったそうです。今、毒味係がグラスに毒が仕込まれていないか調べています。私はグラスを包んでいたハンカチーフの刺繍を見て驚いてしまって、お知らせしようと来た……」

「吟遊詩人の外見は⁉︎」

「門番が言うには、背中の曲がった小男だと……」


 ヴェリニヘルム殿下ではない。彼は体格が良く、背が高い。


(旅をしている吟遊詩人に、わたしに渡すよう頼んだのだわ!)


 贈り物にヴェリニヘルムの想いが込められている気がして、わたしは急いで城内に戻った。



 誕生日の贈り物として届いたグラスは、いまだかつて見たことのない美しい形状と繊細な輝きを放っていた。飲み口はラッパの如く広がり、持ち手は滑らかな曲線で窄まっている。彫刻技術も素晴らしいが、一際目を引くのは青い色で蝶が描かれていること。


『ユリシス様は孤独な男に幸せをもたらした女性だというのです』


 それがヴェリニヘルム殿下の想いだとしたら、わたしはなんて幸せな女なのだろう。好きになった人の孤独を癒し、幸せをもたらすことができるなんて、このうえない歓びだ。


 希少で高価なグラスに、その後しばらく城内は騒然となった。

 スペンソンが「この形状はもしやノルールのものか?」と疑問を口した。その途端、周りの者たちはノルールへの敵対心を表に出してきて、危うくグラスが割られるところだった。

 わたしはヴェリニヘルムが痕跡を残すことなく、品物を届けたわけを理解した。


(父が自殺に追い込まれたことで、ノルール人に対する憎悪が高まっている。わたしと殿下は想い合っているけれど、決して祝福されることのない恋なのだわ。そればかりか知られてしまったら、間違いなく潰される……)



 わたしはそれから数週間、美しいグラスを眺めながら考えにふけった。


「彼を信じて待っていたら、おばあちゃんになってしまうわ。わたしからも積極的に動かないと……。ストアディアに政治的利用価値がないのなら、価値を生み出せばいいだけの話。そうしたら、ノルール国王は関心を示すはず。兄は国内産業に力を入れるそうだけれど……。国力を底上げするだけじゃ足りないわ。新大陸の領土権と富を巡って、各国が覇権争いをしている。彼らの隙を突いてうまく立ち回るには……」


 妙案が思いついて、ふふっと笑いがこぼれる。祖父の友人でもあった教師が教えてくれた。


『冒険家が新大陸を発見したことで、世界の真実が明らかになった。これは実に驚くべき事実なのですが……。なんと、この世界は陸地よりも海の方が広いのです!! そこで私は考えました。海を制する者は世界の覇者となり、歴史に名を轟かせると!!』


 十日前に、バルク海で勇名を馳せている海賊長が捕まった。彼は処刑の日が来るのを監獄の中で待っている。


「海を制する者が世界の覇者となるのなら、海を知っている者に頼ったほうがうまくいく。新大陸すべてが他国の手の内にあるわけではない。東の大陸は利用価値を見出せずに放棄されている。けれど価値は資源の有無ではなく、親交国を増やすことにあると思うわ。縦横に伸びる友好的な繋がりこそ、真の価値であるはず」


 デンタート王国は、抵抗する原住民を虐殺して植民地化を押し進めている。歴代のストアディア国王もノルールを屈服させるために侵略行為を繰り返した。その結果、ノルール国民はストアディアに怨敵感情を抱いている。


(わたしは未来の子供たちに怨恨を残したくない。平和な世界を贈りたい。そのために、わたしはわたしのできることで最善の道を探るわ)


 兄であるスペンソンに、海賊長の身柄をわたしに預けてくれるよう頼み込んだ。そうしてわたしは、王都の外れにある監獄へと向かったのだった。



 

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