第3話 あなたの手を取る最大の名誉と喜び

 ヴェリニヘルムがストアディア王国を訪れて四日目。上位貴族たちを集めた舞踏会が開かれた。


 わたしは長兄であるスペンソンから、和平交渉が決裂するだろうと聞かされた。

 ノルール側は、八十年前に侵略され奪われたルトワン地域の返還を強く求めた。だが父は国土が縮小するのを嫌って、拒んだ。父は自分たちに有利な形で和平条約を持ちかけたが、相手が納得するわけがない。

 溝は深まるばかり。

 スペンソンは「このままでは、俺らが生きている間に戦争が起こるかもしれない」と暗い顔をした。


 ヴェリニヘルムは二日後に帰ってしまう。わたしはどうしたらよいのか分からず、壁に背中を預けたままぼんやりとヴェリニヘルムを見ていた。何人もの男性からダンスの誘いを受けたが、「今日はそういう気分ではない」と全部断った。

 ヴェリニヘルムはアスリッド姉さんと踊っている。アスリッドは口角を綺麗にあげているものの、目は笑っていない。きっと心の中で(ダンスが下手。最悪)とののしっていることだろう。

 ヴェリニヘルムの動きはぎこちなく、リードする手には自信のなさが現れている。

 曲が終わり、ヴェリニヘルムと姉は傍から見ても分かるほどに安堵の表情を浮かべた。


 わたしは抗えない力に突き動かされて、ヴェリニヘルムの前に進み出る。ヴェリニヘルムは眉をひそめて、困った顔をした。

 女性からダンスに誘うわけにいかず、だからといってヴェリニヘルムが誘ってくれるわけでもなく、わたしたちはしばらく沈黙した。

 重苦しい空気に負けたのは、ヴェリニヘルムだった。


「あの……見てお分かりになったと思いますが、私にはダンスの才能がありません」

「ええ、そのようですね」

「あなたを不快にさせてしまうのではないかと、心配です」

「ダンスを純粋に楽しみたいなら、他の人と踊ります」

「それはどのような意味……いや、言わないでください!」

「いいえ、言います。わたしは殿下と秘密のお話をしたいのです」


 ヴェリニヘルムの喉仏が上下した。わたしはそれに強烈な魅力を感じた。

 彼は意を決したように短い吐息をつくと、震えを帯びた硬質な声で言った。


「あなたの手を取る最大の名誉と喜びを、私に与えてくださいませんか?」


 わたしはとびきり嬉しくなって、口元に指を当てて軽やかに笑った。

 周囲の空気が変わる。わたしの明るい笑い声にハッとした人たちの視線が集まる。氷の女王と呼ばれるのは外見のせいだけではなく、微笑を湛えることはあっても声を出して笑うことはないからだ。

 人々がひそひそ話しをし、ヴェリニヘルムは目元を染めながら咳払いをした。


「大変に失礼な話なのだが、あなたはその……そんなふうに笑わないほうがいい」

「そんなふうとは?」

「無邪気に笑うことです」

「なぜ?」

「それは、あなたがその……大変に……か、かわいらしいからで……」


 息と混じって消え入った語尾。今度はわたしが頬を染める番。


 いったいどうしてしまったのだろう。かわいいなんて台詞は聞き慣れている。

 ——美しい。綺麗。天使のような清らかさ。冬の月のように神秘的に輝いている。花のように人々の心を虜にする。雪を被った山脈のように気高い。

 男性たちはわたしの気を引くために、ありとあらゆる甘言を吐く。けれどわたしは(この人、口説き文句に自分で酔いしれているわ)と冷静に観察して、冷めた目で見ていた。

 それなのに、ヴェリニヘルム相手だといとも簡単に舞い上がってしまう。心が喜びであふれ返っている。

 王家の一員として生まれたからには、結婚は国に有益をもたらすものでなければならない。そう思っていた。彼の妻になりたいのは、両国の未来を想う気持ちも働いていた。けれどそれだけじゃないことを自覚する。


 ——永遠の愛を結ぶなら、わたしは、この人がいい……。


 

 ヴェリニヘルムが差し出した手を取り、わたしたちは簡単なステップで踊る。彼の視線は定まらない。わたしの顔を見たかと思えば、すぐに逃げていく。

 

「わたしは先ほど、秘密の話をしたいと言いました」

「どのような話でしょう?」

「ヴェリニヘルム殿下は、わたしを妻にしたほうがいいという話です」

「っ!!」


 彼は足を止め、硬直してしまった。わたしは彼の手を引いて、バルコニーに連れて行く。

 煌々こうこうと輝く満月の下。暗闇に紛れ込めないことを残念に思いながら、月明かりの下で彼と向き合う。

 ヴェリニヘルムは頭痛がするかのような低いうめき声をあげて、左手で額を押さえた。繋いでいる右手を振り払わないでいてくれることが、嬉しい。


「何歳になりましたか?」

「十六歳です。でも再来月で十七歳になります」

「私は二十四歳です。年が離れている」

「そうですね。なにか問題でも?」

「問題があるかと問われれば、そこに問題があるわけではなく……」

「ではどこに問題が? 殿下はわたしがお嫌いですか?」

「まさかっ!! 嫌いなどということはなく……」

「では、そこら辺にいる女性と同じように思っているのですか?」

「そこを問われると非常に困るのですが……」


 彼の応答は歯切れが悪い。

 彼の大きくあたたかな手を恋しく思いながらも、離した。泣きたくなる。


「正直に答えてもらって構いません。わたしの胸の中だけに留めます。嫌なら嫌とはっきり言ってもらった方が、あなたへの想いを断ち切れます」

「そんなっ⁉ 想いを断ち切るなど……!!」


 ヴェリニヘルムが叫ぶようにして、言葉を続けようとしたとき――。


 室内からガラスの割れる音がし、人々の絶叫が響いた。

 中を覗くと、父がノルール国王を血走った目で睨みつけ、ノルール国王は唇の片端を上げて冷笑していた。

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