第32話 直感は囁く
思考は、真実など見て見ぬふりをしろと諭す。
感情は、ノルール国王など再起不能にしてやれと激怒する。
わたしは感情でも思考でもなく、直感に従うことを選んだ。
直感は囁く。
——ヴェリニヘルムは犯人を
わたしはリンデル王妃に会うために、裏庭に出た。
春の柔らかな風が吹き、暖かな太陽の光が草花に命を注ぐ。赤、白、黄色、紫などの花々が風に揺れながら咲いている。
散歩をしていた王妃はわたしに気づくと、侍女たちを下がらせた。
「ムスター地方で農民が反乱を起こしたそうね。ノルール南部には雪が積もることはないの。それなのに今年は雪が積もり、ノルール南部に大きな被害をもたらした。寒さと飢えで、多くの死者が出たわ。ムスター地方の住民は今でも、食べるものに困っているはず。けれど、ムスター地方の領主は私腹を肥やすことに一生懸命なの。民の命など、暖炉にくべる薪のようにしか思っていない。自分の懐を温めるために民がいると思っているのよ。農民たちの困窮を聞いたヴェリニヘルムが領主を
「どうして止めたのですか?」
「農民たちが暴動を起こすことに期待したから」
理由を掴めないでいるわたしに、王妃は虚ろな目をして笑った。
「ヴェリニヘルムを殺すためよ」
言葉を失い、青ざめたわたしから、王妃は視線を外した。
春の陽気で植物が輝いているというのに、王妃は生気のない顔をしている。昨日、贈り物に無邪気な歓声をあげていた人と同一人物には思えない。
昨夜遅くか今朝、なにかがあったのだ。
震える声で問う。
「王妃様の父親が殿下を殺そうとしている、のですか……?」
「この城に来てからずっと、眠れないの。隙間風が亡霊のうめき声に聞こえて、怖くてたまらない。寝室を新しくするよう頼んでも、夫は聞き入れてくれない。私はもうずっと、亡霊に怯えている。この城の至るところで人が殺されたのよ。壁や床に血が染み込んでいるわ。なのに夫は城を改築してくれない。それなら私からこの城を出るしかない。夫を殺して、ここから出たかった。だから私は……」
「国王に毒を飲ませたのですね?」
「…………」
「ストアディアの庭師が、植物には薬になるものと毒になるものがあると教えてくれました。そのことを思い出し、ピンときたのです。王妃様は、花瓶の水を国王のビールに混ぜたと聞きました。その花瓶には、なんの植物が生けてあったのですか?」
王妃はゆっくりと膝を折ると、生えている雑草に触った。ぼんやりとした目は、なにも見ていないかのようだった。
リンデル王妃は繊細な神経の持ち主なのだろう。わたしとは違って、したたかに生きられない。感受性が強いから、死者の苦しみを感じて亡霊に怯えてしまう。
王妃になるには脆すぎる。
王妃が白粉を厚くつけているのは、肌を白く見せるだけではなく、疲れた肌と不眠症のクマを隠したいのかもしれない。
「その植物には、毒があったのではないですか?」
「……アラモンドがね、ヴェリニヘルムのことを報告してくるのよ。頼んでもいないのに迷惑だわ。私の父に気に入られたいんでしょうけれど、最低な男よ。でも、退屈だから聞いていたわ。アラモンドは、ヴェリニヘルムは植物に詳しいと言ったわ。薬草を作れるし、毒のある植物も知っていると……」
大声で笑いたくなった。
ヴェリニヘルムは植物に詳しい。昔。ストアディア城の図書室で、わたしは冒険小説について熱弁を奮い、ヴェリニヘルムは植物についての知識を披露してくれた。
真実は最初から目の前にあった。
「ヴェリニヘルムはアラモンドに、毒のある植物を教えた。アラモンドはそれを王妃様に伝えた。王妃様はその植物の毒で、国王を
「そのとおりよ」
王妃は花壇に咲いているスズランの花を、指先で転がすように触った。
「アラモンドがね、言うのよ。スズランには毒がある。決して口に入れてはいけない。触った後は手を洗うようにと、そうヴェリニヘルムが話していたと言うの。スズランの実を食べてはいけない。スズランを挿した花瓶の水を飲んではいけない。毒が水に溶けているから、命を失うと……。ふふっ、おかしいわよね。だってあの人死んでいないんだもの。アラモンドが間違えたんだわ。アラモンドは思い込みで話をするんだもの。役立たずだわ」
「……この件に関しては、聞かなかったことにします。わたしの胸にしまいます。ですから! 王妃様の父親は、いつどこでどのような方法で殿下を殺すつもりなのか、知っていることを全部お話しくださいっ!!」
ヴェリニヘルムを助けたい! 時間が惜しい!!
だがわたしの焦りとは反対に、王妃はゆったりとした手つきでスズランを触りながら、質問とは違うことを話し続ける。
「アラモンドは駄目ね。肝心なことを間違えた。少しの量で効き目があると言った。だから私は少しだけ、あの人のビールにスズラン水を混ぜた。でも……駄目だった。殺せなかった。私はこれからも、ここにいるしかない……」
アラモンドは話を誇張する癖があるように思う。そのアラモンドが「少しの量で効き目がある」と言うのは不自然な感じがする。
アラモンドは多分、間違えていない。ヴェリニヘルムが「少しでいいんだ。たくさん飲むのは逆効果だ。少しの量で効き目がある」と言ったのではないかと推測する。
わたしは青空を見上げ、同じ空の下にいるヴェリニヘルムに想いを馳せる。
馬車の中でヴェリニヘルムは「過去を振り払うことができず、彼女も救われる道を探してしまう」と話していた。
わたしはそれをヴェリニヘルムの母親だと勘違いした。
抜け落ちた言葉を足してみる。
——幼少期の地獄から救ってくれた父との過去を振り払うことができず、不幸なリンデル王妃も救われる道を探してしまう。
ノルール国王の悪意からわたしを守るために、ヴェリニヘルムは毒を使った計画を思いついたのだろう。けれど決心が固まらなかった。だが、わたしの来る日が刻一刻と迫っている。
ヴェリニヘルムは、リンデル王妃の殺意を利用することを思いついた。スズランの毒が水に溶けることを、アラモンドに話した。
けれど哀れな王妃に夫殺しの罪を着せることに良心が痛み、中途半端な嘘をついたのだろう。
ヴェリニヘルムは自分の弱さを嘆き、そして国王を亡きものにするのではなく、わたしを冷たくあしらうことで国王の憐れみを引き出す作戦に変更したのだ。
わたしは腰を下ろすと、リンデル王妃の指を掴んだ。
「なにをするのっ!」
「スズランに触らないでください。まさかこの後、その指を舐めるつもりではないですよね?」
王妃は息を呑み、それから小さな目に涙を浮かばせた。
「王妃様は父親を裏切りたくないのですね? けれど殿下が殺されてしまうのは心が痛む。そうではありませんか? 王妃様も殿下も中途半端です。悪になりきれず、だからといって過酷な状況が清らかでいることを許さない。わたしは、優しい人たちが傷つき、苦しみ、死んでいくのを黙って見ている気はありません。王妃様の苦しみをわたしにも分けてください」
「分ける?」
「だってわたしたち、友達でしょう? 王妃様の方から、いいお友達になれるって言ってくださったんですよ」
「そ、そんなの嫌味で言っただけよっ!」
「でもわたしは間に受けました。リンデル様と仲良くなりたいです。一緒にお洒落をして、パーティーを開いて、飲んで、踊って、楽しいおしゃべりをしたいです」
「ヴェリニヘルムの暗殺計画を知りたいから、友達になりたいだなんて言っているだけでしょう!! 騙されないっ!!」
「嘘ではありません。城の人たちがストアディア人を白い目で見る中、リンデル様だけが普通に接してくださった。そのことがなによりも嬉しかった。差別をしない、偏見を持たないというのは、とても難しいことです。美しい心を持ったリンデル様と友達になりたいと願うのは、わたしの我儘でしょうか?」
「いいえっ! いいえ……とても嬉しいわ! 寂しかった……。私、ずっと友達が欲しかったの!!」
溜めていたものが一気に吹きだしたのだろう。王妃は泣き崩れた。
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