第16話 抹茶プリンの活用方

 エアコンが、そよそよと涼しい風を送ってくる中、俺は真由ちゃんと向かいあって座っていた。まだ、朝だというのに外は眩しいほどに明るく今日の暑さを予感させる。


「芳江さんに、部屋のエアコンが備え付けられていたものか聞こう。確か、昔から住んでたようなことを言っていたから」

「そうですね。芳江おばさんなら、アパートの事情にもあれこれ詳しいと思います。……でも」


 真由ちゃんは名案とばかりに顔を上げたが、途中で表情をくもらせてしまう。


「芳江おばさんは、いい人だと思うんですけれど、あの……その、話が大げさになってしまうというか、大騒ぎになってしまうんじゃないかって……」

「可能性が無いとは言えないよね。正直に事情を言ったら、真由ちゃんのご両親にいきなり電話とかしそうだし」

「そ、それは困るんです。お母さ……母も父も今は大変な状態なんですよ。親戚とか市役所関係でうまくいってないみたいで……。こっちに戻って来るのは大変だと思うので、せめて心配はかけたくないんです」


 話しているうちにだんだんと真由ちゃんの声が小さくなり、表情はしぼむように暗くなっていく。


「ふむ、ということで成瀬君」

「ひゃいっ、……はい?」


 あえて明るい声で話しかけると、真由ちゃんは目を白黒させて戸惑った様子をみせる。

 俺はその結果に満足しつつ、冷蔵庫から以前に買った抹茶プリンを2つ取り出した。これは昨日の夕食時に食べようと思っていたのだが、注文したアイスが届いたので残ってしまっていたのだ。賞味期限を確認すると、ありがたいことに今日である。


「え? た、食べるのですか。美味しそうですけれど、今はそういうときではないと思うのですが」

「ちょっと、俺の話を聞いてね」


 俺は、頭の中で適当なストーリーをでっち上げる。


「月曜日、会社に出勤した俺は、取引先から瓶に入ったプリンを4ついただきました」

「は、はい?」

「ところが、一人暮らしの俺は1つ食べたところでお腹がいっぱいになってしまいました。困ったな、せっかくもらったのに余らすのはもったいないな。……そうだ、お隣の成瀬家へ持っていこう。3人家族だから、ちょうどいいだろう」

「あっ、なんとなく話が見えてきました」


 真由ちゃんは、指をあごに当てて何かを考えているようなポーズを取る。


「ところが、成瀬家では両親が所用で不在のため、娘はプリンを1つ食べたところで困ってしまいました。賞味期限は今日までです」

「……芳江おばさんのところに持っていこうと考えるわけですね。そして、エアコンの調子がちょっと悪いと言って話を聞き出すと……」

「そういうこと」


 俺が、ぐっと拳を握ってみせると、真由ちゃんも小さな手で同じようにしてみせた。察しのいい子で助かる。


「芳江さんには、ご両親は実家で親戚に用があって帰っているぐらいのことを話しておけばいいんじゃないかな。真由ちゃんは、受験勉強に専念するためこっちに一人で残っていると」

「そうですね。詳しく聞かれても、受験勉強に集中するために両親からは聞かされていないことにしましょう」


 頭の中で様子をシミュレートしているのか、真由ちゃんは首をかしげたりうなずいたりを繰り返している。見た目は年齢より幼くみえる彼女だけれど、しっかりした子だから心配はないだろう。


「そうだ。昨日、出勤するときに芳江さんにあって話をしたんだけど、真由ちゃんのことを心配してたよ。あと、日曜日に買い物に行く姿も見てたらしい」

「えっ? 知らなかったです。あう、あのときはこっそりと出かけたはずなのに」


 ううむ、芳江さんおそるべし。階段脇の部屋だから、音でわかるのだろうか。このアパートは古いから、階段で結構な音がするのだ。


「よ、よーし、気をつけて行ってきますね。……大丈夫、遠山さんの社会的地位が損なわれないようにしますから」

「まあ、あんまり意識しすぎない方がいいかもしれないよ。それに、いざとなったらエアコンの調子を見るために互いの部屋を行き来してるだけって言い訳もできるし」

「あっ、言われてみればそうですね」

「……ただ、夜の過ごし方というか、こっちの部屋で泊まっているということさえバレなければ問題ないから」

「ふえっ、よ、夜の過ごし方……」


 真由ちゃんは、変な声を出すと顔を赤くして固まってしまった。変な言い方だったのだろうか、とにかくエアコンの件は彼女を信じて任せるしかないだろう。




 30分ほど経って、芳江さんの所に行った真由ちゃんが戻ってきた。表情を見たところ、結果は期待できなさそうである。


「お待たせしました。芳江おばさんの話が長くてなかなか本題に入れなくて」

「まあ、悪い人じゃないんだけど話は長いよね。どうだった?」

「エアコンはやっぱり最初はついていなかったそうです。昔は今ほど暑くなかったから、当時の人はそんなに必要性を感じなかったそうですよ」

「あらら、なかば予想してたけどやっぱりそうだったか」


 ふう、と真由ちゃんは力のないため息をついた。


「ところで、例の件は大丈夫だった?」

「何とか切り抜けました。両親は実家で、わたしは受験勉強のためにここに残っている、という説明で納得してくれたみたいです」

「よかった。まあ、芳江さんもむやみに他人の家庭事情を詮索したりはしないよね」

「うーん、聞きたそうな雰囲気はあったのですけれど、旦那さんに止められてました」


 旦那さん、ナイスプレイである。


「あっ、抹茶プリンは喜んでいただけましたよ。賞味期限が今日だから、ここで一緒に食べようってことになって、お茶を飲んで来たんです」

「どう? 美味しかった」

「いえ、プリンはお二人で食べて、わたしは羊羹をいただきました。旦那さんは乗り気じゃないみたいだったんですけれど、芳江おばさんに勧められて食べたらお口にあったみたいです。……美味しそうでした」


 未練がありそうな口ぶりからすると、真由ちゃんも食べたかったのだろうか。彼女には残念だったのかもしれないが、本来の目的を果たすことはできた。

 エアコンは、おそらく前の住人が設置したものだったのだろう。ならば、修理は入居者がやらねばならない。


「真由ちゃん、今日はこれから何か予定ある?」

「いえ、特に今日しなくてはならないことはなくて、お勉強ぐらいです」

「ああ、勉強は大事だよね。うーん、たぶん駄目だとは思うんだけど、エアコンが修理できないか電気屋に行ってみようかなって考えていたんだ。もし、安く修理できるんなら、もうけものだから」

「そうですね。こうなったら、試せることは全部やってみたい気分です、行きましょう」


 再び元気を取り戻した真由ちゃんは、力強く言った。可能性は低くても、やれることはやっておきたい、というのは俺も同じ気持ちである。はっきりとした結論が出ればすっきりするだろう。仕事でも、駄目だということがわかるのは、ある種の成果である。

 気を取り直して外を見ると、見事な快晴だった。今日も気温はぐんぐんと上がるだろう。いや、さっきの時点ですでに暑かった。


「暑いから俺の車で行こうか。そこそこ距離もあるし」

「あっ、いいんですか。正直なところ助かります」

「うん、俺だってこの暑さのところをわざわざ歩きたくないし。じゃあ、下の駐車場で……ちょっと待てよ」


 俺は想像する。平日の朝、会社員の男性が隣室に住む女子高生を車に乗せてどこかへ行く。怪しいシチュエーションではないか。しかも、真由ちゃんが芳江さんに会いにいったばかりだ。見られたら、おばさんの疑念が一気に膨らむだろう。


「コホン、下の駐車場はまずいな。ちょっと考えよう」


 立ち上がりかけた俺たちは、再び座って考え込んだのだった。

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