第19話 午後のドライブ
食事を終えてファミリーレストランから出ようとしたところで、二人組の女の子が店に入ってきた。通路を譲ろうと端によけたのだが、女の子たちは驚いたように立ち止まった。
「あれ、真由……だよね」
「あっ、カナちゃんにハルちゃん……」
どうやら真由ちゃんの知り合いらしい。見たところ同級生のようだが、互いにマスクをしていたので気づくのが遅れたのだろう。ショートカットの活発そうな子がカナちゃんで、ロングヘアで大人しそうな子がハルちゃんのようだ。
「真由、今日は家族の用事があるとか言ってなかったっけ?」
「カナちゃん、それはね……あう、ええと……」
予期していなかったのか、真由ちゃんはあからさまに動揺している。友達の二人は真由ちゃんの様子に首をかしげなからも、遠慮がちに俺の方をうかがっている。友人と一緒に居る謎の男が気になっているようだ。
俺は、にこやかに見えるであろう笑顔を浮かべて口を開いた。
「どうも、はじめまして。真由ちゃんの従兄弟の敬介です。会社の都合で盆休みが早くなったから、ちょっとこっちにお邪魔してたんだ」
「あっ、従兄弟のお兄さんでしたか、あたしはてっきり……あはは」
顔をじっと見て話すと、カナちゃんは照れたように笑った。嘘をつくときは、できるだけ堂々とした態度をするのがコツだ。
「こっちにきたのはいいんだけど、全然場所とかがわからなくて真由ちゃんに案内してもらってたんだ。真由ちゃんを借りちゃって悪かったね」
「いえいえ、どうぞどうぞ。そういう理由でしたら、持っていっちゃって下さい」
「わたしは、物ではありません」
真由ちゃんがムッとしたような声を出した。普段とは違う、友達同士のやりとりが新鮮で面白い。
「はあー、びっくりしちゃった。いつも真面目で彼氏も作らない真由が、大人の男の人と居るからスキャンダルかと……」
「カナちゃん、わたし怒るよ」
「そうだよ、カナちゃんやめなよ」
ハルちゃんと呼ばれていた子が小さな声でカナちゃんをたしなめる。なかなか仲の良さそうな三人だ。
微笑ましく思っていると、店員が二人の女の子を案内にやってきた。
「じゃあねー。真由、あとでイロイロ聞かせてもらうからね」
「特に話すようなことはありませんっ」
「バイバイ、お兄さんもよろしくです」
女の子たちは楽しそうにに去っていった。
無事に切り抜けることができたようだ。俺たちは店を出て、車に戻ったところで安堵のため息をついたのだった。
ファミリーレストランからの帰り道で、車窓からいつも利用しているスーパーを通り過ぎていくのが見えた。アパートまでもう少しである。
「あっ、しまった」
「どうしたんですか」
つい声を出してしまった俺に、助手席の真由ちゃんが戸惑った様子をみせる。
「このままアパートに帰ったら、マズイよね。芳江さんに見られたら面倒なことになりそうだ」
どうしよう。暑い中、歩いていた真由ちゃんを乗せてあげたことにすればいいだろうか。いや、どこに行ったか聞かれたりするとボロがでるかもしれない。
「遠山さんは何か用事は無いのですか? 今日はせっかくのお休みなのですから、行くところがあれば優先していただければ」
「いや、特に無いんだよなあ。強いて言うなら、もうちょっと運転というかドライブしたいなってぐらいかな」
「じゃあ、ドライブに行きましょうよ」
隣から意外な答えが返ってきた。俺が返事をする前にアパートが見えてきたが、ひとまず素通りすることにする。
「えっ、いいけど、その、真由ちゃんは受験勉強とかはいいの?」
「ちょっとは息抜きしたい気分なんです。……今日のわたしは、従兄弟のお兄さんをこのあたりを案内することになってるそうですし」
「その設定を引っ張るんだ」
「遠山さんが言い出したことでしょう。それに、カナちゃんに話すときにネタがあった方がいいですから」
真由ちゃんは、しれっとした口調で言った。ふうむ、従兄弟設定が不満だったのだろうか。運転しながらだと、細かな様子がわかりにくい。
「じゃあ、ちょっと見てみたい場所があるから、そこまでドライブでいいかな」
「はい、どんな場所なんですか?」
「5月にこっちに引っ越してくるときにね、この車で来たんだけど途中で海が見えたんだ。スケジュールの都合で見ている暇はなかったから、いつか見たいと思ってたんだ」
「わあ、いいですね。わたしも昔に、お父さ……父の車に乗って海沿いの道路を走った記憶があります。……もう一度、見てみたいな」
話がまとまり、午後はドライブをして過ごすことになった。
休みの日にしか乗らない愛車ではあるが、エンジン音は快調である。都市部を抜けると高い建物が減り、道路の両側にぽつぽつと田畑があらわれ始めた。水田の稲や遠くに見える山は、真夏の太陽に照らされて濃い緑色である。
助手席の真由ちゃんは、窓の外を静かに眺めているが退屈しているわけではないようだ。ラジオから流れるニュース番組をBGMに運転をしていると、楽しいと感じられる。特に運転が趣味というわけではないが、こういう時間は悪くないと思う。
気分良くドライブを続けていたのだが、ふと不安が芽生えるのを感じた。仕事でたまにあるのだが、上手くいっていると思うときに限って、見落としや行き過ぎが発生しているのである。今、不意に感じたのは助手席の真由ちゃんのことだ。
彼女は、本当にこの状況を楽しんでいるのだろうか。
「真由ちゃん、真面目な質問があるんだけど」
「えっ、ふえ? 何ですか」
何気ない口調で言ったつもりだったが、真由ちゃんは驚いてしまったようだ。思っていたよりも、深刻な雰囲気を醸し出してしまったみたいである。
「なんて言えばいいのか適切な言葉が見つからないんだけど、無理してないよね?」
「はい? おかげさまでリラックスさせていただいてますよ。さっきは、うとうとしてたみたいです」
「ああ、そうだったんだ。……じゃなくて、俺に無理に合わせているってことはないよね。今だって、本当は受験勉強をしたいのにドライブを断ったら悪いと思って、しぶしぶ乗っているとか」
「えっ、どうして急にこんなことを聞くのですか?」
真由ちゃんは、俺の質問に戸惑っているようである。よかった、この反応なら無理に合わせているわけではないだろう。しかし、せっかくの機会だから話しておこうか。
「先週の土曜日から今日までの一連の話なんだけど、もしかすると余計なお節介をしているんじゃないかなって不意に思ったんだよ。俺としては、良かれと思ってやってるし、その……この状況をちょっと楽しんでる部分もあるんだけど、真由ちゃんはどうかなって。もしかすると、いい気になって誠意を押し付けるようなことになってるんじゃないか、ふと考えたんだ」
「……」
助手席から何やら考え込む気配がしたが、そのまま沈黙が続く。
車は田園地帯に入った。道路が田畑の鮮やかな緑の真ん中を一直線に伸びている。青く澄みきった空には、雲ひとつ見えない。
「……遠山さんて、意外と面倒くさい性格なんですね」
「そのセリフ、真由ちゃんには言われたくないよ」
俺が即座に返事を返すと、真由ちゃんが言葉に詰まるのがわかった。しばらくして、どちらともなく笑い合う。
「ふふ、遠山さんて社会人でいつも堂々としている感じがしたんですけれど、意外と細かいことを気にしてたんですね」
「小心なお兄さんで申し訳ないね。本当はかっこよく振る舞いたかったけど、気になることは仕方がないから」
「……すみません、わたしが変な態度を取るからいけないんですよね。エアコンの件も含めて、本当に感謝しているんです。でも、迷惑をかけているようで申し訳なくて……」
「ストップ、謝るのは禁止で」
「あう……素直に感謝しています。このドライブだって楽しんでますよ」
真由ちゃんの言葉に、ほっと安堵する。情けない気もするが、一度彼女の気持ちを確認しておきたかったのだ。
「俺の独り相撲じゃなくて良かったよ。一人で良い気になってたら偽善もいいところだ」
「遠山さん『舜を学ぶは舜の徒なり』ですよ」
「うん? 何それ、ことわざかな」
俺が首をかしげると、真由ちゃんは得意げな口調で続けた。
「意味は、中国の聖人である舜の真似をすれば舜の仲間ってことですよ。善人の真似すれば、すなわち善。偽善も、善なんだってことですよ」
「おお、すごくいいこと言うね。それは、中国の故事かな?」
「残念ながら違います。……社会人の遠山さんに質問です。さっきのはある人物が著した随筆の一部ですが、その人物の名前は何でしょう? ちなみに日本人です」
真由ちゃんが、いつかの俺のような口調で問題を出してきた。ここは大人として教養のあるところを見せたいが、全く思いつかない。彼女が受験生であることを考えれば、日本史か古典だろうと思うが。
「もうちょっとヒントが欲しいな。随筆の一部と言っても、少なすぎるよ」
「そうですね。さっき言ったところの前ですけれど……『狂人のまねとて大路を走らば、すなわち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり』ですね。つまり、悪人のまねをしていれば、それは悪になるってことです。これが、さっきの善人……」
「わかった、徒然草だね。狂人がどうとかで思い出したよ」
真由ちゃんの言葉の途中で答えを言うと、彼女はちょっと不服そうな声になった。
「むう、解説の途中だったのに。あっ、問題は著者の名前ですよ」
「ふっふっふ、徒然草までわかれば大丈夫。鎌倉時代の吉田兼好さん、いや本名は卜部兼好だったかな」
「正解です。吉田は、後になって改姓した名字ですね。遠山さん、さすがです」
「狂人のまねの部分がインパクトがあって、覚えていたよ。まねと言っても、大通りを走り回ったら変な人だよね」
どうやら、社会人としての面子は保てたようである。それにしても、受験生は色々なことを覚えているんだな。
「うーん、狂人のくだりですか。わたしは、善を学ぶ人は善ってところが好きなんですけれど」
「俺はその部分を忘れてたけど、さすがに歴史に名を残す人は善いことを言うねえ」
いつしか、心の中のもやもやした部分は消えてなくなっていた。現代人が考える小さな悩みなど、大昔の人間がとっくに答えを出したあとなのかもしれない。
「あっ、見てください。海が見えますよ」
坂道を登りきると、遠くに空とは違う青い色が見え始めていた。いつの間にか、遠くにきていたようだ。
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