第20話 海沿いにて

 海にやってきた俺は、カーナビに表示されていた海水浴場で景色を眺めるつもりだった。ところが、砂浜には「新型コロナウイルス感染予防のため、今シーズンは閉鎖します」との無情な表示がされていたのである。せっかく海にきたのに、これでは格好がつかない。俺は、慌てて地図を検索することにした。



 十数分後、俺たちは高台にあるスーパーに移動していた。幸いにも、駐車場の端に東屋があったのでそこから海を眺めることにしたのだ。


「ふう、海水浴場が閉鎖されてるって、よく考えれば予想できたよな。ここの眺めは悪くないけど、趣に欠けるというか」

「いいじゃないですか。ここからなら街も見えますし、日陰で涼しいですよ。あっ、あそこの自動販売機でジュース買ってきますね」

「あっ、じゃあお金を……」

「運転大変だったでしょう。これぐらいは、支払わせてください」


 財布に手をやろうとすると、真由ちゃんは逃げるように離れて行ってしまった。まあ、ここは素直にごちそうになろうか。

 海に視線を戻すと潮風が吹き抜けていった。少しの湿り気と潮の香りを感じるが、涼しいこともあって不快ではない。昔、海に行ったときは、この匂いや風を感じるとわくわくした記憶がある。 

 遠くに見える海では、大きな船がゆっくりと移動していった。無人の砂浜は白く輝き、海辺の街はどことなく異国情緒が漂っている。ここに住んでいる人はどんな日常を送っているのだろうか、ぼんやりと考えていると背後に人の気配を感じた。


「すみません、遅くなりました。はい、どうぞ」

「ありがとう。あれ、これって自販機で買ったの?」


 真由ちゃんが差し出したペットボトルには、何やらシールが貼ってあった。あまり見たことのない商品である。


「せっかくスーパーが近くにあるんだから、そこで買ってきました。自動販売機より安いですから」

「おお、しっかり者だねえ」


 俺は、感心しながらペットボトルのふたを開けた。乾いた身体に、スポーツドリンクがしみ込んでいく。


「ふう、美味いな。あっ、先に飲んじゃった」

「ふふ、わたしもいただいてますよ。意外と細かいことを気にするんですね」

「そこは、社会人としての礼儀だからさ」


 二人で海を眺めながら、並んでシュースを味わった。東屋が日陰になっているので、外側の景色がまばゆく見える。海が近いせいか暑さはそれほど感じない。


「こういうのって……うまく言えませんが、良いですね」

「うん、楽しんでくれているみたいで良かったよ。砂浜が閉鎖されてるのを見たときは、がっかりしたけど」

「ふふ、遠山さん、あ然とした顔をしてましたからね。ちょっと、おかしかったです」

「えっ? そんな顔してたかなあ」


 横を向くと、真由ちゃんがくすくすと笑っている。俺が何か言いかけたとき、潮風が吹き抜けていった。

 肩までの髪を手で押さえた彼女は、普段よりも大人びて見える。年齢の割に幼く見える彼女だが、このときは綺麗さと可愛らしさが混じって……そう、とても魅力的に感じた。


「……ん? どうしたんですか」

「いやあ、社会人の俺は砂浜から海が見れないぐらいでがっかりしない、と強く主張したくなっただけさ」

「もう、そんなことを口にするのは、がっかりしている証拠ですよ。あっ、遠山さんは引っ越しの途中でこのあたりを通ったんですよね。どの方角ですか」


 真由ちゃんは、笑いながら海岸沿いの道路を指さした。いつもの彼女の雰囲気に戻っている。俺は、変なことを考えかけた頭を切り替えた。


「東の方からだね。湾に沿って大きな道路があるから、ずっと海のそばを走ってきたんだ。ただ、コロナ関係でスケジュールがバタバタで景色を楽しむ余裕なんてなかったけど」

「そうだったんですね。あっ、東の方角に大きな工場みたいな建物がありますね。あれは……クレーンでしょうか」

「あれは、大手グループの造船所と鉄工所だよ。造船で大量の鉄が必要になるから、効率を重視して近くに建設してるんだ」

「そうなんですか、物知りなんですね。わたし、そんなこと全然知りませんでした」


 何気なく言ったのだが、真由ちゃんは大いに感心してくれたようだ。俺の顔を見てうなずいたあと、彼女は再び海に視線を向けた。


「わたし、両親から大学へ進学するように言われているんです。そうした方が将来的に有利になるからって。……でも、わたしは特にしたいことなんて思いつかないんです。こんなことで、大学を出て就職なんてできるのかなって……」

「将来やりたいことがはっきり決まっている人なんて、そうそう居ないんじゃんないかな。俺も、確固たる意思があって今の会社で働いているわけじゃないよ。ただ、仕事でも勉強でもやっているうちに目標とかやりがいが見つかることもあるし、焦らなくていいんじゃないかな」

「ふふ、そう言われると少し気が楽になった気がします。でも、意外ですね、遠山さんって真面目に会社で働いていると思っていましたから。あっ、不真面目だという意味じゃないですよ」


 真由ちゃんは、こちらを向くと少し首を傾けた。


「恥ずかしい話なんだけど、大学生の頃はあまり深く物事を考えてなかったからね。社会人の自覚みたいなものが芽生えたのは、働き始めてからかな。同期とか先輩と仕事をしているうちに、自然と今みたいになった感じだね」

「そうなんですか。……はあ、わたし、ちゃんと働けるかな」

「大丈夫じゃないかな。仕事って大変ではあるけど、ある意味で誰にでもできるものじゃないと会社が成り立たないから。才能がある人なんて一握りだけど、才能が無い大半の人だってなんだかんだ言って普通に働いているよ」

「そっか、そうですよね」


 柄にもない事を語ってしまったが、真由ちゃんはコクコクとうなずいてくれた。なんだか少し恥ずかしくなる。俺など社会人4年目で、いまにだ学ぶことの多いひよっこなのだから。


「まあ、難しく考えすぎない方が良いよ。会社勤めって、過酷なところもあるし覚悟が要る場合もある。でも、意外と適当だったりいい加減だったりすることもあるからさ。……俺の知り合いなんて、彼女にフラれたショックで会社を休んだことがあるよ」

「そ、そんな理由で会社を休んでいいんですか?」

「表向きは体調不良だったかな。ただ、会社の人は薄々察していたみたいだね。まあ、組織と言っても多少の情けはあるし、ボロボロの状態で仕事をされてもってのがあるから。……念のために言っておくけど、知り合いの話であって、俺の実体験じゃないからね。本当だよ」

 

 慌てて否定すると、真由ちゃんはおかしそうに笑った。つられて俺も笑ってしまう。

 世の中、あまり深刻に考えすぎず、ある程度は気楽に構えておいた方が良いのかもしれない。今まで俺自身が真由ちゃんの件で、社会人としてみっともない真似はできないと意識しすぎていたのかもしれない。



 海を眺めながら他愛のない話をしていると、いつの間にかペットボトルは空になっていた。どうやら、結構な時間が過ぎていたようだ。


「そろそろ帰ろうか」

「そうですね。うん、たっぷりリフレッシュできた気がします」

「それは良かった。ええと、帰りはアパート近くに下ろすから、そこから別々に行動にしよう」

「はい。……あのう、その前になんですが」


 真由ちゃんは、ちらりと後ろのスーパーに目をやった。海を眺めるためだけに駐車場を利用させてもらっているのだが、何かあるのだろうか。


「どうしたの?」

「ここで買い物をしていきませんか。普段利用したことのない系列のお店ですから、品揃えが気になります。海が近いから、お魚が豊富かもしれませんし」

「おっ、それはいいね。俺はスーパーのお惣菜コーナーとか結構好きだし」

「うーん、夕食はわたしが作る予定なんですけれど。まあ、ここなら人目を気にしなくていいですから一緒に買物をして決めましょう……ふえっ」


 ご機嫌な様子の真由ちゃんだったが、急に変な声をあげた。


「ど、どうしたの。もしかして、知り合いが居たとか?」

「ち、違います。あの、人目を気にしなくていい、とか変な意味はありませんから。ありま……せんからね」

「う、うん」

「じゃあ、行きましょう」


 俺は真由ちゃんに押されるようにして、スーパーへ向かう。

 何だか変なことになったなと思いつつも、それを愉快に感じているのも確かだった。

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