第15話 火曜日のエアコン調査ミッション
火曜日の朝、俺は廊下に敷いたロールマットの上で目を覚ました。スマホで時刻を確認すると、普段より少し早いぐらいの時間だ。とはいえ、今日は有り難い休暇だから出勤する必要はない。もうちょっと寝たくなるが、真由ちゃんにだらだらしているところを見られたくはない。思い切って身体を起こして、寝床を片付けることにした。
「おはようございます。早起きなんですね。……せっかくの休みなんですから、ゆっくりしてもいいんじゃないですか。ええと、わたしはたっぷり寝ましたから、こちらの部屋で」
和室の扉が開いて真由ちゃんが顔を出した。寝癖などはなく、しゃきっとした様子である。
「いや、せっかくの休みだからこそ、だらだらしているのがもったいなく感じてね。早起きした方が、休みの時間が増える気がするし」
「ふふ、そうですね。うっかり寝過ぎると、損をしたような気になってしまいます。あっ、朝ごはんの準備をしましょうか」
「うん、お願いするよ。……じゃなくて、俺も手伝うから一緒にやろう」
俺は、まだわずかに残っていた眠気を振り払うと、一気に寝床を片付けることにした。この生活を続けていると、どんどん健康になりそうである。
朝食は、真由ちゃんおすすめのツナトーストと野菜サラダだった。俺は食器を適当に用意したりしているうちに、彼女が手早く作ってくれたのである。
「おお、昨日に引き続いて美味しそうだなあ」
「ありあわせのものですから、お口に合うかどうか」
座布団の上にちょこんと座った真由ちゃんは、難しい顔をしながら料理を眺めている。なんだか、報告書を上司に提出する前に、もう一度見返しているかのようだ。俺の場合、何故か提出してから不備に気づいてしまうのだが。
仕事の事を頭から振り払い、きつね色のトーストを手に取った。
「いただきます。……おっ、これいいね。ツナとマヨネーズがほどよい塩気で、そこに玉ねぎの甘みがマッチしてる。これは、美味しいよ」
「喜んでいただけて良かったです。これ、わたしのお気に入りなんですよ」
真由ちゃんは、ほっとしたような笑顔を浮かべると小さな口でトーストをかじった。自分のお気に入りを、他の人にも受け入れられるというのは嬉しい、ということだろうか。
「前から思っていたけれど、真由ちゃんって料理が得意なんだね。おかげで、この数日間の食事のクオリティが大幅にアップしている気がするよ」
「大げさですよ。今日のサラダだって、昨日の食材の残りですから」
「いやいや、そういうありあわせのものを使って、パッと作れるのって料理が上手い証拠だと思うよ。俺もたまには料理をするけど、余った食材をうまく活用するのは苦手で、ある分を全部使っちゃったりするし」
「そのあたりは慣れですよ。でも、確かに一人だとあまり凝った料理を作ろうとは思えなかったりしますよね」
真由ちゃんは、普段から家族の料理を作っているのだろうか。何にせよ、しっかりした子であることは間違いないようだ。何とか助けになってあげたいが。俺はコーヒーを飲みながら、今日の予定について頭を働かせた。
食後、俺は真由ちゃんと共に隣室である成瀬家へとお邪魔していた。今回は、彼女と一緒なので居心地の悪い思いをすることはない。それに加え、調子が悪くなったエアコンを確認するという大義名分があるので堂々と行動できる。他の住人に見られても困ることはないだろう。
真由ちゃんを先頭に、エアコンの設置されている居間に入る。
「ふう、すでに結構暑い気がするなあ」
「午前中は、まだましですよ。このぐらいならなんとか……ちょっと、つらいですね。ええと、ひとまず窓を開けます」
ムッと肌にまとわりつくような熱気に真由ちゃんは、わずかに顔をしかめた。開かれた窓から風が入ってきて、一瞬だけ心地よく感じたが、入ってくるのも熱風である。
俺は以前と同じように、エアコンのリモコンを取り上げるとスイッチを入れてみた。本体の電源ランプは点灯するものの、動作しているような気配はない。オレンジっぽいランプが一定間隔で点滅を繰り返しているだけである。
「真由ちゃん、このエアコンのマニュアルってどこかにあるの? この前は、勝手に触ったら悪いと思って探さなかったんだけど」
「ええと……家電の説明書はファイルにまとめてあったはずですから……探してきますね」
真由ちゃんは、額の汗をぬぐうと隣の部屋へと移動していった。ついていこうかとも思ったが、他人の家にみだりに踏み込むのは良くないと自重する。
一人になり、静かになったがエアコンの動作音は聞こえてこない。居間は掃除が行き届いていて清潔だが、家具などはあまりなく質素な感じだ。そういう主義なだけなのかもしれないが、経済的に裕福ではないのかもしれない。いや。余計な詮索はやめておこう。
点滅を繰り返すランプを眺めていると、真由ちゃんがファイルを抱えて戻ってきた。
「この中に入っていました。ええと、これですね」
「ありがと、ちょっと見せてもらうね」
黄ばんだ取扱説明書を開き、故障対応のページを探す。じわじわと暑くなってきたので、汗で指の跡が残りそうだ。
「えっと、エアコンが動作せず運転ランプが一定間隔で点滅する場合……販売店または、メーカーにお問い合わせ下さいか。やはり素人がその場でなんとかできるものじゃないみたいだね」
「あう、やっぱりダメですか」
真由ちゃんは期待してくれていのか、しょんぼりとした様子を見せた。だが、俺としてはこのぐらいは想定済みである。次に打つべき手は。
「ひとまず俺の部屋に戻ろうか、涼しいところで話そう」
「は、はい」
俺たちは、早くも撤退を余儀なくされたのだった。
最新の薄型エアコンが、さわやかな冷風を俺たちに送ってきていた。これこそが自然な風で、外の環境こそが何か間違っているのかとさえ思える。真由ちゃんは、あらためて尊敬するような眼差しをエアコンに送っていた。
「さて、その場でなんとか直すのが無理ってわかったところで……問題は誰に修理してもらうかだよね」
「ど、どういうことですか? 業者さんですよね」
真由ちゃんは、きょとんとした様子で首をかしげた。
「ええとね、あのエアコンが大家さんが設置したものなら、大家さんが修理することになるんだ。変な使い方で壊したってわけじゃなかったら、費用も負担してくれるはず」
「わあ、そうだったんですか。それなら一気に解決できますね」
俺があれこれ調べた情報に、真由ちゃんは目を輝かせる。
「でも、それは大家さんがアパートの設備として設置してた場合なんだよね。もし、あのエアコンが誰か入居者が設置したものなら、大家さんはやってくれない。入居者がやらなくちゃいけないんだ」
「あう、そんなにうまくはいかないんですね」
真由ちゃんは、軽くため息をついてしゅんとなった。いつの間にか、彼女は感情をわかりやすく表に出すようになってきたようだ。基本的に真面目で礼儀正しい子なのだが、少しは打ち解けてくれたのだろうか。
「確認したいんだけど、あのエアコンって真由ちゃんの家族が取り付けたものなのかな?」
「いえ、最初からあったと思います。……ええと、引っ越ししてきたときにはありました。これは確かです」
「あっ、ずっと住んでいたわけじゃなかったんだ」
「はい。わたしが小学生のときに実家……からこちらに来ました」
真由ちゃんは、実家と口にしたときに言い淀んだ。入院中の祖母のことを思い出したのだろうか。俺は、そこには触れないことにして話を続ける。
「うーん、前の入居者が設置した可能性もあるのか。この部屋は何もなかったんだよね。でも、この部屋は単身用で特別みたいだから事情が違うかもしれないしなあ」
「このアパートって、1階と2階の端の部屋だけが単身用の小さい部屋なんですよね。聞いたことがあります。昔は、管理人さんが住み込むためだとか物入れとして使ってたのを改装したとか」
「詳しいんだね。えっと、誰に聞いたの」
「1階の芳江おばあ……おばさんです。遠山さんが春に引っ越してきたときに、話していたと思います」
真由ちゃんは、おばあさんと言いかけて慌てて訂正した。あの人は俺だけでなく、いろんな人におばさんと呼ばせているらしい。自分では、このアパートと同じ年寄りだと言っているのに。
「そうだ、芳江さんだ」
俺は、次の手を頭の中で練り始めたのだった。
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