第35話 告白
俺たちはお寺でのお参りを済ませ、林の中の参道を下っていた。登っているときはどこまでも続いているように感じたが、帰りだと道を覚えているので不安は感じない。ふと、石の階段の脇に砂利道があることに気づいた。砂利道きれいに掃除され、森の中に続いている。道の先は、ほのかに明るい。
「あそこって、どこに続いているんだろう。ちょっと、見てみるね」
「あっ、わたしも気になります」
好奇心を抱いた俺に、真由ちゃんもついてくる。立入禁止の表示などはないから問題はないだろう。道の両側は竹で作られた柵になっているから、何かの通路なのは間違いない。石段から離れると急速に暗くなってきたが、スマホのライトを使う前に視界がひらけた。
「わあ、すごいきれいですね」
真由ちゃんが歓声をあげた。道の先は、ちょっとした展望台のような場所になっていた。樹木や高い草が刈られていて、街の様子がよく見える。暗い展望台から見ると、街の灯りがきらきらと輝いているようだ。少し風がでてきたのか、星空をちぎれ雲が速い速度で流れていった。
「あのあたりが、俺たちの住んでいる地域かな」
「ええと、あの大きな建物がスーパーだと思いますから……あっちの方角じゃないですか」
さすがに真由ちゃんの方が、この街のことをよく知っている。アパートの方角を眺めながら、芳江さんと哲男さんのことを考えた。今、二人はテレビでも見ながらあれこれ会話しているのだろうか。
街を眺めていると、中心部を光の筋が流れていった。何だろうと疑問に思ったが、すぐに電車だと気づく。明るい光が集まっているところが駅で、その近くに勤務先があるのだ。普段はあの光のあるところで仕事をしているわけで、こうやって遠くから眺めていると不思議な気分がした。
「……きれい。……あそこが学校かな……」
真由ちゃんは、じっと街の灯りを見つめている。風が吹き抜けていって、樹木の枝と共に彼女の髪を揺らした。彼女は髪が乱れるのも気にした様子はなく、視線を街の方向へ向けている。星空の下、うっすらと見える彼女の表情は引き込まれるような魅力的があり、思わず見入ってしまいそうになったので慌てて街の方へ顔を向けた。
「うん、きれいだね。今日の行事を教えてくれた芳江さんと哲男に感謝しないと」
「はい、いつもの夏みたいに賑やかな行事ではありませんけれど、かえって心にしみる感じがしますね」
「ああ、来て良かったよ。地域の行事に参加して、こうやって街を眺めていると、自分がこの街に馴染むことができた気がして嬉しいな。春に引っ越してきたばかりだけど、すごくいい街だと思うんだ。これからもっと、この街のことを知ることができたらいいな」
「……ええ、いい街です。……わたしも、大好きです……ううっ」
真由ちゃんが急に涙声になった。慌てて彼女の顔を見ると、暗い場所にもかからわず涙が頬を伝っているのがはっきりとわかる。
「どっ、どうしたの、俺、変なことを言った?」
「いっ、いえ、違います……ひっくっ、遠山さんは何も……うっ」
真由ちゃんは涙を拭おうとしたが、途中で手を止めた。軽く頭を振ると、視線を街の方へと向ける。
「……もう、お別れなんです」
彼女の言葉の意味が理解できなかった。ただ、「お別れ」という言葉に悪い予感が急速に高まってくる。俺は、内心の動揺を抑えながら彼女に問いかけた。
「お別れって、どういうこと?」
「……わたし、この夏休みが終わったら引っ越すことになったんです」
「引っ越し、どうして? こんな急に」
思わず出た言葉だったが、動揺したせいでかすれてしまった。
「おばあちゃん、大きな後遺症も残らずに退院できそうなんですけれど、やっぱり一人で生活するのは無理みたいなんです。だから、みんなで実家に戻って一緒に暮らそうってことになりました」
「……そっか、お祖母さん倒れたんだよね。家族としたら、確かに心配だね」
「はい、わたしもおばあちゃんを一人で生活させるなんて、できないです。おばあちゃん、昔はふくよかでとても優しかったのに、病院で面会したときは……痩せて……うっ……すごく弱々しくなってて……」
嗚咽で真由ちゃんの言葉が途切れた、俺は何か声をかけてやりたかったが、うまい言葉が思い浮かばなかった。何より、激しく動揺する自分を保つので精一杯にもなっていたからだ。
「わかってはいるんです。こうなった以上、家族みんなで暮らすのがいいんだって。お父さんも……その、色々あったみたいんなんですけれど、頼み込んで親戚の会社で働くことにしたみたいなんです」
以前、芳江さんが言っていた、真由ちゃんの父は親戚と何かあったらしいと。それで、こちらに引っ越してきて働きだしたわけだから、今回の件で大きな決断をしたのだろう。
「だから、わたしがわがままを言っちゃいけないんです。お父さんもお母さんも、我慢して覚悟をしてやっているんです。おばあちゃんも、退院するためにリハビリを……すごく大変そうなのにがんばっているんです。だから、わたしもみんなに協力しなくちゃいけないのに……悲しくて、悲しくなっちゃって」
真由ちゃんは、声を絞り出すようにして思いの内を吐露する。彼女の悲痛な声が、俺の内面にも突き刺さる。
「……だから、家族には一人で気持ちを整理したいって言って、こっちに戻ってきたんです」
「そういう事情があったのか。ごめん、気が付かなかった」
俺は何とか当たり障りのない言葉を返したが、内心は激しく揺れ動いていた。暗いので足元がよく見えないのだが、平衡感覚が失われたかのようにグラグラと揺れている気がする。
だが、辛い思いをしているのは真由ちゃんなのだ。俺は、ありったけの意思の力を動員して平静を装う。
「いいんです。本当はずっと黙っているつもりだったんです。……こっちに一人で戻ってきたけれど、お友達はお盆や塾で全然予定が合わずに落ち込んでいました。そこに遠山さんが居てくれて、本当に嬉しかったんです。……だから、お別れするときまでは楽しくしていようと……思っていたのに」
風が強く吹き、落ち葉が舞い上がって飛んでいった。いつしか、星空の半分ほどが雲に覆われている。真由ちゃんは、声を出さずに静かに泣いていた。
「つらかったんだね。ずっと我慢して」
「いいえ、そんなことは……」
「無理に我慢していると、余計に苦しくなっちゃうよ。こういうときは、正直に自分の気持ちを吐き出してしまった方がいい」
「ううん、わたし、我慢なんて……うっ……あ……うあああああ」
真由ちゃんは幼い子のように大声で泣き出した。風でざわざわと樹々が揺れるなか、彼女の声が夜に吸い込まれていく。
俺は、彼女が倒れていたときのことを思い出す。暑い土曜日の午後、動かないエアコンの前でぐったりと力なく横たわっていた小さな身体を。家庭のことを考えて、ずっと我慢して我慢して、ついに限界を迎えてしまったのだろう。
今も、隣で彼女は小さな身体を震わせながら嗚咽している。
俺は彼女を抱きしめようとして……思いとどまった。なぜだか、自分でもわからなかった。いや、俺は社会人であり彼女は女子高生である。隣室に住んでいて、ちょっとした出来事から親しくなったけれど、彼女はもう引っ越してしまうのだ。ここは、大人として一歩引いた態度で見守るべきではないのか。
だが、強く反論する声が自分の中に渦巻いていた。一方で大人って何だ。あれこれ理屈をつけて言い訳をしているだけではないのか、本当の自分の気持ちはどうなのか、と。
俺は相反する感情を抑え、社会人あるいは大人の仮面をかぶってやりすごすことにした。ふらつきそうな足を無理やり引き締め、真由ちゃんの側に寄り添うことを選択する。
彼女が泣き止むまで、隣でじっと待ち続けた。
見上げた空は雲に覆われつつあり、街の灯りがなんだか目にしみるような気がした。
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