第34話 山寺の供養会

 8月15日がやってきた。俺と真由ちゃんは、夜のイベントに備えて朝からしっかりと勉強をした。お寺での供養会だから、はしゃぐような行事ではないのだが、新型コロナウイルスの影響で催し物をが軒並み中止になっている状況とあっては楽しみである。



 夕方、芳江さんから袱紗につつまれた香典袋を受け取り、車に乗って出発した。この街は盆地にあるのだが、目的地のお寺は周りを囲む山にあるのだ。


「夕暮れどきに出かけるのって、なんだかドキドキしますね。わくわくかな、街がいつもとは違う雰囲気に感じられて不思議です」


 助手席の真由ちゃんは、以前にドライブに行ったときに着ていた青いスカート姿である。お気に入りなのだろうか。今日の彼女は、落ち着いた雰囲気の服装だった。


「そうだね。この時間に帰ってくることはあっても、出かけることはないから特別な感じがするよ」


 深い蒼色に染まった空に、大きなちぎれ雲がゆっくりと流れていく。ニュースによれば、夜遅くから天気が崩れるそうだが行事に参加する時間帯なら大丈夫そうだ。ここしばらく雨が降らず晴天続きだったから、天候が悪化すると言われてもピンとこない。


「暑さもお盆で一段落らしいけど、本当かなあ」

「どうでしょう、早く涼しくなって欲しいですけれど。それにしても、お盆って独特の雰囲気がありますね。今まで、悲しい出来事があったとかじゃないんですけれど、物悲しい気になります」

「そうだね。日本のお盆は、祖先の霊を祀る行事と8月15日の終戦記念日があわさって、それが厳粛な気持ちにさせるって話を聞いたことがあるよ。新型コロナウイルスのせいで帰省が駄目になったり多くのイベントが中止になったけど、静かに過ごすのも良いのかもしれないね」


 車は、古い日本家屋が立ち並ぶ住宅地に入った。両脇に瓦屋根の家が続く道路を、軽快に走り抜けていく。少し狭い道だが、交通量が少ないので走りやすい。ところどころにレトロな看板があって、どこか懐かしさを感じる。


「なかなか風情のある通りだね。古い家ばかりだけど、みんな清潔で手入れされている感じだ。この街にも、こんな場所があったんだ」

「わたしも、この場所は初めてです。何年も住んでましたけれど、知らない場所がたくさんあるんですね」


 真由ちゃんは、窓に顔を寄せてじっと景色を眺めているようだ。ちらりと見た彼女の横顔には、どこか憂愁の色が漂っているような気がした。少し気になったが、運転をおろそかにするわけにはいかない。

 カーブを過ぎると、直線の道路に出た。まっすぐに山の方へと向かっている。遠くに石段のようなものが見えるから、あれが目的地だろう。よく見ると、この道路とあわせて寺へ続く参道のような雰囲気がある。古くから信仰が続いてきた場所なのかもしれない。



 指定された駐車場へ車を停めた俺たちは、山中にあるという寺に向かって歩き出した。関係者だけを招待している行事というだけあって人はまばらである。当然ながら屋台などは一切なく、人々は静かに参道へ向かっていく。

 太陽は完全に沈んでしまったが、夏ということもあって空にはまだ明るさが残っている。しかし、山に入ると周囲は一気に暗くなった。かわりに参道の脇に立っている石灯籠の灯りがぼんやりと浮かび上がる。


「ちょっと怖いような、それでいて不思議な雰囲気ですね」

「うん、お寺でこういう空気を味わうのは初めてだね」


 少し開けた場所で、マスクをした僧侶が人々を案内していた。招待の葉書を確認して、それぞれ時間をずらして出発させているようだ。俺は雰囲気に若干緊張しつつ、葉書と芳江さんから預かってきたお供えを取り出す。


「本日は、ようこそお越しくださいました。感染予防のため、順番にお入りいただいておりますのでしばらくお待ちくださいませ」


 受付の僧侶は、美しい所作で頭を下げた。マスクで表情がわかりにくいのも相まって、まさに修行者という感じである。俺と真由ちゃんは、できるだけ丁寧に見えるようにお辞儀して待合所に移動したのだった。



 順番になったので、俺と真由ちゃんは石段をお寺に向かって登り始めた。周囲の林はまったくの闇で、石灯籠の灯りだけが参道を浮かび上がらせている。他の人とは結構間隔があいているので、見える範囲では二人だけだ。虫の鳴き声が、俺たちを包み込むように聞こえてくる。


「なんか思ったより本格的だね。夏祭り的なものをイメージしてたんだけど、かなり厳粛というか儀式っぽいかな」

「わたしもちょっと驚きました。でも、本来はこうやって静かにお参りするものだったのかもしれないですよ」

「そうだね。今日の行事は祖先の供養と病気平癒を祈願するものだったそうだから、これでいいのかもしれない」

「病気平癒ですか。普段なら何も思わないんですけれど、今みたいに新型コロナウイルスが流行していると切実ですね。昔の人は、仏さまの加護があると信じて真剣に祈ったのでしょうか」


 参道は緩やかにカーブしているので先を見通すことができない。同じような景色が続くと、ずっと道が続いているような気がしてきてしまう。


「昔の人にとって、病気は切実な問題だっただろうね。医療技術が急速に発展したのって、20世紀になってからだったから、民間療法とか信仰に頼る期間っていうのは長かったと思うよ。とはいえ、21世紀になっても、病気を完全に克服できないでいるけど」

「ええ、世界的に新型コロナウイルスが流行して、自分たちの生活がこんなに変わるなんて思ってもみませんでした」


 真由ちゃんは、ゆっくりと歩きながら神妙な顔でうなずく。これから世界はどうなっていくのだろう。未だ先は予想できないが、がんばっている彼女のためにも明るい未来が待っていれば良いのだが。

 思いにふけりながら歩いていると、参道の先にお寺の本堂らしき建物が見えてきた。



 お寺の本堂で手を合わせ、多くの灯籠で照らされている庭へと出た。石灯籠の他にも、地面で灯籠が淡い光を放っている。日本的な風景のはずなのだが、どこか不思議な世界へ紛れ込んでしまったような心地がした。

 案内役の僧侶から小さな灯籠が渡され、庭の池に浮かべることになった。池は夜の闇をうつして、真っ黒な鏡のようである。その静かな水面に、いくつかの灯籠が儚げな光を放ちながら浮いていた。


「じゃあ、一緒にやろうか」

「はい」


 二人で灯籠をそっと浮かべると、池の奥へとゆっくりと流れていく。周囲は暗い森なので、池がどこまでも続いているような錯覚におちいってしまう。俺たちの浮かべた灯籠は、ゆらゆらと揺れながら、先に浮いていた他の灯籠と合流した。心なしか、じんわりと明るくなったような気がする。


「真由ちゃんは、何をお祈りする?」

「病気平癒ですね。新型コロナウイルスのこともありますけれど、おばあちゃんのこともあって健康の大事さを実感しましたから。……大切な人がずっと健康で居てくれるって、とても貴重なことなんですね」


 ぼんやりとした灯りに照らされた真由ちゃんの表情は、はっとするほど真剣だった。この行事に行きたいと言った彼女は、何か思うところがあったのだろう。


「ああ、そうだよね。俺も、みんなの健康と幸せを祈ろうかな。……少しでも願いが届けばいいな」


 俺と真由ちゃんは互いにうなずくと、目を閉じて手を合わせた。

 どれだけ祈ったとしても、それが現実の事象に影響をおよぼすことはないだろう。俺は無神論者というほどではないが、そう考えている。だが、今は祈りが通じることを願って手を合わせたかった。自分の心境を意外に思いつつも、手を合わせ続けたのだった。

 しばらくして目を開けたが、真由ちゃんはまだ目を閉じて祈り続けていた。

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