第33話 思わぬイベント
昼食を食べ、大学周辺の学生街を散策してから帰路についた。特に考えなしのプランだったので、真由ちゃんが喜んでくれるか不安だったが、まずますの成果だったようだ。帰りの車の中で、彼女は大学についてスマホで色々と調べていた。
一安心してアパートに帰ったのだが、うっかりして車をそのまま駐車場へ入れてしまった。彼女を別の場所に降ろして、それぞれ帰るつもりだったのに忘れていたのだ。
もう一度、車を出そうかと思ったがそれは不自然である。結局、真由ちゃんと相談してこっそりと部屋に戻ることにした。幸いなことに、芳江さんの姿は無い。
俺たちは、無言でうなずきあうと階段へと向かった。
「おや、遠山君と成瀬さんじゃないかね」
男性の声にギクリとして振り向くと、芳江さんの旦那さんが立っていた。どうやら、敷地の外から戻ってきたところだったようだ。芳江さんを警戒するあまり見落としてしまった。
「こ、こんにちは、川野さん」
俺は名字を思い出しながら挨拶する。確か、芳江さんの旦那さんの名前は哲男さんだったっけ。
「買い物に出かけてたんですけれど、暑い中、歩いている真由ちゃんを見かけたから車に乗せてあげたんですよ」
「ええ、暑かったので助かりました。ぐ、偶然に出会うことができて良かったです」
少々不自然な気もしたが、聞かれる前に事情を説明しておく。真由ちゃんが少しだけ言葉につまったが、疑われるようなことはないはずだ。
哲男さんは俺に視線を向けていたが、しばらくして口を開いた。
「そういえば、お礼を言っていなかったね。ありがとう」
「えっ? 何のことでしょう」
不意に、予想外の言葉が飛び出したので困惑してしまう。礼を言われるようなことはなかったはず。
「この間、成瀬さんが持ってきてくれた抹茶プリンだよ。元はといえば、あれは君が会社でもらってきたものなんだったね。すっかり忘れていたよ」
「いえいえ、食べきれなかったものをおすそわけしただけですから、お礼を言われるほどでは」
「そうかね。しかし、あれはなかなか美味だったよ。……ふむ、お礼になるようなものか……。ちょっと、待っていてくれるかね」
「えっ、そんなお礼なんて……あっ」
俺が引き止める前に、哲男さんはスタスタと自分の部屋に入って行ってしまった。マイペースというか強引な人である。
真由ちゃんと顔を見合わせていると、なにやら賑やかな声が扉の奥から聞こえてきた。どうやら芳江さんが、あれこれ言っているようだ。しばらくすると、二人がドアを開けて外に出てきた。
「全く、あんたは人の話ってものを聞かないから。若い人が、そんなものを渡されても困るだろうに」
「お礼に良いと思ってな。彼らに任せればいいだろう」
何やら議論しているようだ。呆れた様子の芳江さんに対し、哲男さんは全く気にした様子が無い。わりと謎の夫婦である。
「ええと、どういうことでしょう?」
困惑しつつたずねると、哲男さんは一枚の葉書を差し出してきた。芳江さんが口をはさもうとしたが、しぶしぶと言った様子であきらめる。
「これは私達の親戚がお世話になっているお寺からの知らせなんだ。この寺は、毎年8月15日に灯籠を灯して供養会を行っている。だが、今年は新型コロナウイルスの流行に鑑みて、関係者だけで執り行うことになったんだ」
「ああ、お盆の行事も軒並み中止になるか縮小していますね。しかし、それが?」
「ふむ、私の家は少しばかり寺に縁があるから行事の招待状が来たんだ。だが、私も家内もいい歳だし、感染症を考えると老人がみだりに出歩くべきではないだろう。だから、君たちが行ってきたらどうかと思ってね」
「ああ、そういうことですか」
俺が納得していると、芳江さんがこれみよがしにため息をついた。
「まったく、若い人が抹香臭い寺の行事になんて行くかね。お礼と言われても、そんな辛気臭いイベントなんて迷惑だろうに」
「ふむ、無理に行ってくれと言っているわけではないよ。今年は夏祭りも花火大会も中止になってしまったから、せめて何か風情を味わえる行事に参加できればと思ったのだが」
「お礼なら、そんなものじゃなくて……ほれ、この間のお中元でもらった……」
「……いや、あれこそ若い人たちには……」
供養会か、どんな行事なのだろう。俺が考えていると、芳江さんたちはあれこれと話し合いを始めた。主に、芳江さんが一方的に話しているのだが。
「あのっ、わたし行ってみたいです」
不意に真由ちゃんが声をあげた。みんなが注目すると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「お寺で供養会をやっていることは聞いたことがあったのですか、一度も行ったことがなかったので。でも、そのお寺って山の方で遠いですよね。ええと、その……」
「行くんだったら、俺が車を出すよ。どんな行事なのか気になるし」
「あ、ありがとうございます。……す、すいません。遠山さんの予定も聞かずに、行きたいって言ってしまって」
珍しく要望をはっきり口にした真由ちゃんだったが、だんだん勢いが小さくなっていく。普段から、あまり自分のしたいことを口にしない彼女だから、ここは希望を叶えてあげたい。
「では、俺の車で送って行くということで良いでしょうか?」
「うむ、灯籠を灯すのは夜になるから、君が同行してくれた方が安心できるだろう。二人で行ってくれるかね?」
「ええ、喜んで参加させていただきますよ」
俺が哲男さんに返事をすると、真由ちゃんはペコリと頭を下げた。それにしても、俺は思ったよりも信用されているようだ。これは、ますます気をつけないと。
「あたしは、若い人には面白くないと思ったんだけど、最近は一周回ってこういうのが流行っているのかねえ。まあ、行ってくれるんなら寺の招待も無駄にならないから、ありがたいけどね。……そうだ、あたしらの代わりに御供えを持っていってもらおうかね」
首をかしげていた芳江さんだったが、俺たちが行くと決めたので何やら算段をしているようだ。
俺たちは、出発前に芳江さんの所へよる約束をして、その場を離れたのだった。
部屋に戻った俺たちは、どちらともなくため息をついた。
「ふう、変に疑われなくて良かったよ」
「そうですね、ちょっとドキドキしました。でも、供養会へ行けることになって良かったです。あっ、遠山さんのご都合は本当に良かったのですか」
「問題ないよ。前にも言ったけど、予定のない盆休みを持て余してるところだったんだから」
帰るなり電源を入れたエアコンから、ひんやりとした冷気が流れてくる。暑さは、いくらかマシになったような気がするが、まだまだエアコンは欠かせない。
「それにしても、堂々とイベントに参加できることになって良かったよ。今回は芳江さんたちの公認みたいなものだから、こそこそしないで済むし」
「こ、公認? あう……あっ、いえ、何でもないです。ないですから」
公認、と俺が口にしたところで真由ちゃんはビクッと硬直した。慌てて言い訳すると、エアコンの方に顔を向ける。
「ふう、新型のエアコンさんはさすがですね。一気に汗がひいていきます」
「そうだね。お盆を過ぎれば少しは涼しくなるみたいだけど、まだエアコンのお世話になるなあ」
俺は真由ちゃんに合わせて、エアコンの冷気を味わうことにした。さりげなく隣をうかがうと、彼女は頬をうっすらと赤くしているような気がする。
ここは、エアコンでもう少し涼んだ方が良いようだ。俺たちは無言でエアコンを見上げたのだった。
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