第32話 モチベーションアップ計画

 翌朝、俺は真由ちゃんが買ってきてくれた焼きたてパンを前に、話を切り出してみた。


「今日、ちょっと出かけてみない? もちろん、勉強に集中するんだったら別にかまわないんだけど」

「良いですよ。ええと、どんな用事なんですか」


 サクサクのクロワッサンを手にした真由ちゃんは、不思議そうに首をかしげた。


「いや、用事じゃないんだよ。大学を見学に行こうかなって思いついたんだ。昨日、真由ちゃんが言ってた志望校で、車で行けそうなところがあったからさ」

「でも、そこのオープンキャンパスは中止になっていて、見学などもできなかったはずですけど」


 真由ちゃんは、更に首をかしげる。


「そういうオフィシャルのじゃなくて、外から見るだけだよ。ええと、実際の建物とか環境を見ることによってモチベーションが上がるとか、大学周辺の雰囲気を味わうことによってイメージが明確になるというか……」

 

 説明していて、だんだんと自信が無くなってきた。ううむ、貴重な勉強時間を使ってやるようなことなのだろうか。


「あっ、いいですね。志望校といっても試験内容とか学部を見て、漠然とそう思っていただけですから、実物を見られるのなら行ってみたいです。……実は、ちょっと気分転換に外出したい、というのもありますけれど」

「じゃあ、行ってみようか。電車で行くには不便な所だけど、車ならそんなにかからないから」


 思いのほか真由ちゃんは乗り気な様子である。勉強の妨げになるかも、と思ったが杞憂だったようだ。


「ふふっ、楽しみです。……あっ、遠山さんこそ良いんですか? せっかくの休みで、資格の勉強をされていたのに」

「いいよ、いいよ。資格の勉強に飽き……じゃなくて、ドライブしたい気分なんだ。仕事でも、適度な息抜きが良い仕事につながるんだよ」

「わたしも息抜きしちゃいます。机に向かってばかりだと、暗記している日本の歴史が頭からあふれてきそうで」


 俺たちは、朝食を食べながら今日のスケジュールについて打ち合わせをする。

 思い切って提案してよかった。真由ちゃんには大変な夏だからこそ、充実した日々を送ってほしいのだ。




 高速道路を下りると、緑豊かな林道に入った。少し雲はあるが、抜けるような青空の下を車は軽快に走っていく。


「あっ、メッセージだ」


 助手席の真由ちゃんが、何やらスマホを操作し始めた。俺はナビで道を確認しつつ彼女に話しかける。


「実家から? 何かあったら、すぐに戻れるからね」

「いえいえ、そうじゃありません。お友達からです」

「そう言えば、友達と会ったりどこかへ行ったりする予定はなかったの? なんだか、謎の合宿みたいな生活になっているけど」

「……そのう、お友達とも会いたかったんですけれど予定が合わなかったんです。お盆に新型ウイルスのこともあって、なかなかうまくいきませんね。今、メッセージをくれた子も、塾の夏期講習で缶詰状態らしいです。区切られたスペースでひらすら勉強しているとか」


 真由ちゃんの声がわずかに曇ったように感じられた。彼女ぐらいの年代の子にとっては、友達と自由に会えないというのはストレスだろう。


「前にファミリーレストランで会ったカナちゃんなんて、ずっと愚痴を言ってますよ」

「ええと、ショートカットの賑やかな子だったっけ」

「そうです。カナちゃんは『キラキラが足りない。ドキドキもない、こんな灰色の生活ヤダ』って繰り返し言ってますよ」

「なかなかユニークな表現だけど、わかる気もするかな。おっと、そろそろ見えてくるかな」


 坂道を登りきると一気に視界が広がった。

 眼下に見えるのは、緑に囲まれたのどかで美しい街である。一見したところ自然豊かな田舎のようだが、それに似つかわしくない大きな建物が存在している区域があった。


「あれが大学の建物でしょうか。想像していたより、ずっと大きいですね」

「確か、自治体が力を入れて誘致して、企業も協力しているとかで良い設備がそろっているらしいよ。田舎だから交通の便は悪いけど、土地を贅沢に使っているみたいだね」


 近づくにつれ、近未来的なデザインの建物が見えてくる。最先端の研究を行うための施設なのだろうが、不思議と周囲の景色とマッチしていた。


「なんだか、わくわくしてきました。ええと、あのコンクリートの建物が工学部ですよね」

「そうだね。建築学科もあるからか、凝ったデザインだなあ。このあたりをぐるっと回ってみるね」


 新型コロナウイルス流行の件があって敷地の中には入れないだろうと思ったので、大学の周囲を車で走る。外から建物を眺めるだけ、というのはどうかと思ったのだが、真由ちゃんは興味深そうに窓の外を見つめていた。

 大学の敷地は広大で、車で移動しているにもかかわらず結構な時間がかかった。田舎の立地を活かしているのか、キャンパス内にも緑が豊富にある。なかなか良さそうな環境だ。こんなところで思いっきり勉強や研究に没頭することができれば、どんなに素晴らしいだろうか。自分が学生のときは大して勉強しなかったが、社会人となった今なら、ひたすら学問に打ち込むことができる環境の貴重さがわかる。

 真由ちゃんの気分転換のために来たのだが、俺は新鮮な気分を味わっていた。社会人になって4年目だが、ずいぶんと年月が経ってしまったような気がする。中学校や高校を卒業したときとは違う、なんともいえない懐かしさを感じたのだった。




 大学の敷地を一周したあと、俺たちは高台にある公園で一休みすることにした。日陰のベンチに座ると意外に涼しい。周囲の森林や田畑が熱を吸収してくれているからだろうか。あるいは、少しずつ温度が下がってきているのかもしれない。


「なんだか、遠山さんも熱心に大学を見ていましたけれど、何か思い入れがあったんですか」

「うーん、別にこの大学の出身でもないんだけど、ちょっと懐かしくなったから。それに、社会人になってから考えると大学ってすごいところだなって思ってね」

「ええと、社会人から見てすごいって、どういうことでしょうか」

「自分が大学生の時は意識しなかったけれど、やっぱり大学の教授になるような人って並外れた知識と知性の持ち主なんだ。今、話題になっている社会問題を、俺が学生のときに授業で既に指摘していた教授が居たけど、大したものだと思うよ。当時は、本当かなあって聞き流してたけど、ちゃんと聞いとけば良かったと思うんだ。……まあ、ちょっと変な先生だったけど」

「あはは……大学の先生って勉強のしすぎで変わった人が多いって聞きますけれど本当なんですね」


 真由ちゃんが可笑しそうに笑う。この公園は高い位置にあるので、大学の施設の配置などがよくわかる。


「ほら、あそこにあるコンクリートの塊みたいな建物が見える?」

「はい、あれは何でしょう。実験施設ですか」

「うん、あれは特殊な環境を人工的に作り出すためのものだね。過酷な環境の中でどういった影響があるのか、機械がきちんと動作するかなどを研究するんだ……まあ、ネットで調べたんだけどね。とにかく、社会人目線で見ると、相当にお金がかかった施設なんだ。そういった施設で未知の現象を解明すべく研究してると思うと、わくわくするんだよね。高価な設備で優秀な人材が研究をする、贅沢な話だ。会社だったら、ほんの一部の企業しかできないよ」

「大学って、高校とは全然違うんですね。うまく言えないんですけれど、わたしが全然知らない世界です。……ふふ、受験勉強へのやる気が回復してきましたよ。なんのために勉強してるんだろって思うときもあったんですけど、何かをつかめたような……」


 真由ちゃんは、そこまで言うと恥ずかしそうに目をそらした。どうしたのだろう。


「あう、何だか恥ずかしいことを語ってしまいましたよね。まずは、模擬試験の点数を安定させないといけないのに」

「いや、俺の方が何だか恥ずかしいよ。真由ちゃんにモチベーションを高めてもらおうと思ったんだけど、自分が郷愁にふけってしまって変なことを言っちゃった。……おっと、そろそろ昼ごはんを食べようか。学生向けの店なんかもあるはずだから探してみよう」

「はい、大学生向けのお店ってなんだか憧れます。楽しみですね」


 俺たちは昼食をとるべく公園を後にした。

 夏休み期間であることを差し引いても、大学へ続く通りは閑散としていた。これは新型コロナウイルスの影響だろう。真由ちゃんが大学生になる頃には、この騒ぎが収まってくれていると良いのだが。興味深そうにお店を眺める真由ちゃんと歩きながら、ふと思ったのだった。

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