第31話 アパートの夏季合宿
目を覚ますと、カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいた。まだ早い時間ではあったが、夏の太陽は力強い。
少し離れた所にある布団では、身を起こした真由ちゃんが目をしぱしぱさせていた。
「おはよう。まだ、早いからゆっくり寝ててもいいんじゃない?」
「お、おはようございます。……ふあ、十分休めましたから……ふえっ」
可愛くあくびをした真由ちゃんだったが、俺の顔を見て動きが止まった。
「か、顔を洗ってきます。わわっ、か、髪が……」
慌てた様子で立ち上がると、少し寝癖のついた髪の毛を押さえながら出ていってしまった。ううむ、乙女心というやつだろうか。
ふと、俺は自分の事が気になった。さっきは、間抜けな顔をさらしていなかっただろうか。くっ、確かにこれは気になるな。俺は、真由ちゃんが洗面所から戻ってくるのをやきもきしながら待ったのだった。
朝食を済ますと、俺たちはそれぞれの勉強を開始した。どうして、俺まで受験生の夏期講習みたいなことをしているのか不思議だったが、意外と悪くない。ひたむきに勉強に集中するなんて何年ぶりだろうか。真面目な態度で問題集に向かう真由ちゃんに負けないよう、俺も集中することにした。
昼食は俺が担当することにした。真由ちゃんが何やらそわそわしていたが、昨日の夕食に続いて彼女だけに作ってもらうわけにはいかない。俺は買い出しのために、近所のスーパーに出かけることにした。
外は今日も快晴で、夏の日差しが容赦なく降り注いでいる。だが、一時よりはマシになったような気もした。このまま少しずつ涼しくなってくれればいいのだが。
アパートの敷地を出たところで、芳江さんが掲示板の前に居ることに気づいた。彼女は、近所のお知らせやゴミ収集のスケジュールが貼られた掲示板を、渋い表情で見ている。
「こんにちは、芳江さん。何かあったんですか」
「あれ、遠山君かね。あんたも、このアパートに残っているのかい?」
「実家近くで新型コロナウイルスの集団感染が起こってしまって、帰省はとりやめました」
「そりゃあ大変だねえ。このあたりでは聞かないけれど、いつどこで起こるか分からないからね。ほら、ここの掲示板にも夏祭り中止のお知らせが出てるのよ」
そう言って芳江さんはため息をついた。俺は春に引っ越してきたばかりだから知らないのだが、地域の催し物が中止になるというのは、がっかりするのだろう。
ふと、俺は気になることを気いてみた。
「芳江さん、さっき『あんたも』って言ってましたよね。俺以外にも、誰か残ってるってことですか」
「ああ、そうそう、真由ちゃんがね、昨日だかに一人で帰ってきたんだよ。実家だと、色々騒がしくて受験勉強ができないとかで」
「ああ、彼女に会って聞きましたよ。留守のはずなのに隣から音がするなって思ったら、ちょうど帰ってきたところみたいで」
俺は疑われないように慎重に答えを返す。あとで、真由ちゃんと話をあわせておいたほうが良いだろう。
「そうかい、それなら良かったよ」
「良かった、と言いますと?」
「ほれ、このあたりで滅多なことはないと思うけれど真由ちゃん一人だからね。隣にあんたが居てくれれば、安心ってもんだよ。……婆さんのお節介だけど、気にかけてもらえると有り難いねえ」
「ああ、そういうことでしたら、気をつけておきますよ。こういうときはお互い様ですから」
芳江さんは満足そうに何度もうなずいた。どうやら俺は信頼されているようだ。実際は、気にかけるどころか一緒に生活しているのだが。
「あの子は、一人で文句も言わず健気にがんばっているからねえ。何か困ったことがあったら、うちにおいでって言ってあるんだけど、爺さんと婆さんしかいないから頼りにならないのさ」
「そんなことはないでしょう。相談できる相手がいるってだけでも、だいぶ気持ちが楽になるものですよ」
「ほほ、そう言ってくれると、この婆さんも気分が良くなるねえ。……おや、出かける途中じゃないか。引き止めて悪かったね」
「いえいえ、芳江さんも暑さに気をつけてくださいね」
俺は、芳江さんと別れてスーパーへ向かったが内心は複雑な気持ちだった。思っていた以上に信頼してくれているのは嬉しい。だが、真由ちゃんと一緒に生活している身としては後ろめたいのである。別にやましいことはない……はずなのだが、芳江さんに知られたらどういう反応をされるだろうか。
とにかく、バレないように気をつけようと気を引き締め直したのだった。
昼食は、何にしようか迷ったあげくに焼きそばになった。以前に、焼きうどん作るに使ったホットプレートをちゃぶ台の上に設置して調理することにする。
「わっ、焼きそばですか。こういうのって、何だか楽しいですね」
「それは良かった。いいメニューが浮かばなかったんだけど、合宿ぽいかなって思ったんだ。部活とかだと、大量の食材を買ってきてワイワイしながら作ってるイメージがあったから」
「言われてみればそうですね。なら、わたしも手伝いますよ。先輩におまかせってわけにはいきませんから」
腕まくりをした真由ちゃんが、菜箸を手に取った。俺が焼こうと思っていたのだが、料理の腕的には俺の方が後輩なので素直に任せることにする。肉と野菜のどっちが先か、麺をほぐすコツなどについてあれこれ言いながら作るのは楽しかった。
焼きそばが完成したところで、デザートに買っておいたカットスイカを冷蔵庫から取り出した。合宿というか、海の家のような雰囲気である。
ホットプレートを前に二人で手を合わせた。
「いただきます。……うん、美味しいね。焼きそばの調理だと、俺の方が後輩だよ」
「焼きそばの作り方に先輩後輩なんてありませんよ。みんなで作るから楽しいし美味しいんだと思います」
焼きそばを口に運びながら、俺は昔を思い出してみた。高校3年生の夏休みはどうやって過ごしただろうか。受験勉強はあったが、それなりにイベントを楽しんでいた気もする。
「真由ちゃんは、この夏にどこかへ行ったりしたの?」
「……どこへも行っていませんね。受験生ですし、祖母のことがありましたらから」
「そっか、大変だったね」
「いえ、皆さんに助けていただきましたから。それに、新型コロナウイルスの影響で、お友達もみんな似たような感じですよ。志望校のオープンキャンパスに行くって言っていた子も、中止になってがっかりしてました」
「あー、それはモチベーションの面でつらいよね」
真由ちゃんだけでなく、同年代の子はみんな苦労しているのだ。全ての人間が感染症せいで多かれ少なかれ影響を受けているのだろうが、受験生というプレッシャーのかかる時期にこれというのは可哀想な気がする。
「仕方ないですよ。みなさんが大変な時期なんですから。……せめて、わたしは自分のできることをがんばらないと」
ふと、真由ちゃんの表情が暗くなったような気がした。真面目な子だから、家庭事情もあって思い詰めているのかもしれない。何か、俺にしてあげられることがあれば良いのだが。
「あっ、そういえば真由ちゃんの志望校ってどこなの?」
「ええとですね。行きたいところっていうか、学力とか通学……コホン、色々な条件的に……」
真由ちゃんがあげた候補は、なかなかの大学である。そのうちの一つは県内だ。俺が考えを巡らせていると、彼女がため息をついた。
「ふう……もうちょっと、数学で点数が安定して取れればいいんですけど」
「くっ、数学では力になれないかも。いや、勉強すれば多少はできるか」
「ああっ、そういう意味で言ったわけじゃないですよ。遠山さんは、ご自分の資格の勉強をして下さい。わからないところは、お盆明けにまとめて学校の先生に聞きますから」
フォローされたような形になったが、微妙な気分である。人生において最も勉強するかもしれない時期の受験生に、学力でサポートするのは難しい。違う方向で役に立てないだろうか。
いつの間にか、ホットプレートの焼きそばはきれいに無くなっていた。
「スイカ、食べようか」
「はい、スイカを食べると夏って感じで良いですね」
俺は、シャクシャクとスイカを食べながら、より良い夏休みについて考えるのだった。
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