第30話 就寝場所に関する諸問題

 真由ちゃんの作った夕食を堪能したあと、二人でのんびりとくつろいでいた。特に変わった事はないのだが、勉強をがんばったおかげか、ただの休憩も特別に感じられる。彼女も、勉強を中断してゆっくりと休むようだ。

 BGM代わりにつけたテレビから、ニュースが流れてくる。


「……この暑さも、お盆にかけて次第にやわらいでいく見込みです。また、天候が不安定になりますので休暇の方はスケジュールにご注意……」


 テレビ画面の中では、気象予報士が天気図を前に説明している。


「この暑さがほんとうにマシになるのかな」


 昼間の暑さを思い出した俺は、つい懐疑的な声が出てしまう。


「朝とか夜は少しだけ涼しくなったような気がしますよ。まだまだ暑いですけれど」

「うーん、ひと頃よりはマシになったかなあ。……どれどれ」


 俺は立ち上がって窓を少しだけ開けてみたが、むっとした熱気に慌てて窓を閉めた。


「マシになったかもしれないけれど、冷房無しで過ごすには身体に悪い暑さだと思うよ。夜になっても、温度が下がらないっていうのが困るなあ。今夜もエアコンには働いてもらわないと……」

「あっ」


 真由ちゃんは急に声を出したかと思うと、座ったまま廊下へ続く扉の前へと移動した。俺は、彼女の謎の行動に困惑してしまう。


「もしかして、遠山さん。今日も廊下で寝るつもりですか?」

「えっ……まあ、そうだね」


 一瞬、なんのことだかわからなかったが、今夜の寝る場所のことだと理解する。今まで真由ちゃんと一緒に過ごしてきたときは、彼女がこの和室で俺は廊下で寝ることになっていたのだ。


「今度はわたしが廊下で寝る、と言っても納得してくれませんよね」

「むむ、そこは俺のプライドというか面子があるからね。寝心地だって、ちょっとしたサバイバル気分でそんなに悪くないし」

「じゃあ、わたしが……」

「それはダメ」

「むう……」


 真由ちゃんは通せんぼするかのように、扉の前に座った。しばらく、にらみ合いのような状況が続く。にらみ合いと言っても、頬をぷくっとさせた彼女は可愛かったが。


「そ、それならですね。この部屋で一緒に寝ればいいんじゃないですか。……ちゃぶ台を端に寄せれば二人分の布団を敷くスペースがとれますよ」

「ええっ? いや、しかし……」


 思わぬ提案に、俺は動揺してしまった。即座に否定すべきところなのに、言葉がうまく出てこない。


「ええと、けじめと言うか、引かなければならない一線であるとか……」

「遠山さんがおっしゃりたいことはわかりますし、配慮していただいていることにも感謝しています。でも、あまり意味がないんじゃないですか」

「いやいや、意味が無いってことは……」


 何故か、俺が真由ちゃんに押されている気がする。


「その、気配りに意味がないって言っているわけじゃないんですよ。わたしは、遠山さんの誠実さのあらわれなんだなって思ってます。でも、他の人から見た場合はどうでしょう? 事情を知らない人からすれば、和室と廊下で別れているといっても扉一つじゃないか、って思うんじゃないでしょうか」

「それは違……違わないか」


 考えてみれば、別の場所で寝ていることだって信じてもらえない可能性もある。だいたい、廊下とこの部屋を隔てる扉には鍵もかけられないのだ。


「結局は、俺の自己満足ってことか……」

「わわっ、わたしには伝わっていますから無意味じゃないですっ。ですから……その、無理に硬い床で寝ることはないと思うんですよ」

「いや……うーん」


 無駄に意地を張っても意味がないというのはわかる。しかし、隣室に住んでいる女子高生と一緒の部屋で寝るというのは、許されるのだろうか。いや、だからといって廊下と和室に別れたところで、世間から見れば大した違いはないのだ。


「ええと、真由ちゃんの方に抵抗がなければ」

「わたしは問題ないですよ。ただでさえエアコンを使わせていただいているのに、部屋主さんが廊下で寝なくてはならないっていうのはすごく心苦しくて」

「まあ、居心地が悪いよね。俺の都合とかこだわりを押し付けて悪かったね」

「いえいえ、そんな風には思ってないですから。とにかく、今日はこの部屋で一緒に寝ましょう。……ふえっ、へ、変な意味じゃないですよ」

「だ、大丈夫。深い意味が無いのはわかってるから」


 俺と真由ちゃんは、よく分からないままお互いにうなずきあった。この件は、深く考えない方が良いだろう。 


「よ、よし、十分休憩したからもうちょっと勉強しようかな」

「わ、わたしもがんばりますよ。こういうところで差をつけていくんです……みたいな」


 やや強引ではあったが、俺たちは再び勉強することにした。深い意味などない……ならば、浅い意味はあるのか。しょうもないことが頭をよぎったが、それを振り払うべく参考書を手に取ったのだった。




 いつになく勉強に集中していると、遅い時間になっていた。こんなに集中して勉強したのは社会人になってから初めてかもしれない。


「そろそろ寝る準備をしようかな」

「あっ、わたしはシャワーを浴びてきます。……自分の部屋で」


 パタンと問題集を閉じた真由ちゃんは「自分の部屋」をやけに強調して言った。一緒に生活していたときは、いつもそうしていたから気にするところではない、と思うのだが黙ってうなずいておく。


「じゃあ、俺もシャワーを浴びて準備しとくね。……ちゃぶ台とかを端に寄せたり」


 くっ、俺もなんだか変な言い方になってしまった。いかん、俺はもう立派な社会人4年目だというのに。落ち着いているところを見せねば。


「こんな時間だけど、出入りには気をつけてね。2階の部屋で出入りする人はあまり居ないと思うのだけど」

「わかりました。目撃されないように警戒しながら行ってきますね。階段と廊下の音を確認してから、ドアを開けますから」


 真由ちゃんは、神妙な顔でうなずくと静かに出ていった。



 温度が低めのシャワーを浴びた俺は、部屋のセッティングにとりかかった。不要な物を端に寄せて、布団2つがなるべく距離がとれ、かつ不自然でないように配置する。押し入れを活用して物を収納すると、なんとかそれらしい配置にすることができた。

 布団の位置を微修正したり電気スタンドの配置を考えたりしていると、玄関のドアが静かに開く音がした。


「お邪魔しまーす。あっ、もう準備ができているんですね。髪の毛を乾かすのに時間がかかってしまって」


 ジャージ姿でさっぱりした様子の真由ちゃんが遠慮がちに入ってきた。不思議そうに部屋の中を見回している。


「どうしたの?」

「ええと……親戚のお家にお泊りに来たみたいというか……あっ、合宿ってこんな感じかなって。わたし、合宿とか行ったことがないんですけれど」


 合宿か、ジャージ姿の真由ちゃんを見ていると、そんな気がしてくる。そうだ、合宿みたいなものだと考えればいいのだ。


「我が遠山塾、夏合宿へようこそ」

「何なんですか、それ。……でも、塾の合宿とか興味があったからちょっと面白いです。実際に参加しているお友達は、つらいとか毎日が灰色とか言ってますけれど」

「あー、それは大変そうだよね。うちの合宿は、のんびりほのぼのだから安心して。講師はへっぽこだけどエアコンは使い放題だよ」

「いえいえ、先生には大変お世話になっております。また、数学の問題を教えて下さい」


 真由ちゃんも意外とノリがいい。なんだか俺も楽しい気分になってきた。


「す、数学はちょっと……いや、今日は遅いからもう休もう。睡眠を十分にとった方が学習効率も上がるだろうから」

「はーい」

「そういえば、真由ちゃんは、実家から移動してきて疲れてるんじゃない? ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます。……あの、その……ありがとうございます」


 真由ちゃんは、恥ずかしそうに言うと隠れるように布団に入ってしまった。俺も部屋の照明を消して、布団にもぐり込むことにした。



 暗い部屋の中、タイマーを設定したエアコンが稼働する音が聞こえてくる。静音設計のエアコンだが、他に音が無いと意外にはっきりと聞こえるものだ。だが、不快な音ではない、むしろ落ち着く気がする。エアコンの冷気でカーテンが揺れると、外の弱い光がゆらゆらと入ってきた。    


 おかしなことになったな、とあらためて思う。退屈な盆休みを持て余していたのが、隣室の女の子と同じ部屋で寝ることになってしまったのだ。もちろん、立派な社会人である俺は、中学生や高校生のようにドキドキしたりはしない。しないはずである。

 隣の布団に意識を集中すると、すやすやと穏やかな寝息が聞こえてくる。今日の真由ちゃんは、普段よりはしゃいで見えたが、移動もあって疲れていたのだろう。それに、実家でのあれこれも心労になっているのかもしれない。せめて、エアコンが効いた部屋でゆっくりと休んで欲しいものだ。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、だんだんと眠気が忍び寄ってくる気配がある。彼女を意識して眠れない、なんてことにならなくなって良かった。


 眠りに落ちる前、なぜだか真由ちゃんの母親との会話が頭に浮かんだ。隣室のエアコンは、暑すぎると動きが悪くなると言っていた記憶がある。現に母親が帰ったときは、きちんと稼働していたらしい。では、夜になっていくらか涼しくなったこの時間なら動くのではないだろうか。真由ちゃんは、このことに思い至らなかったのだろうか。


 まあ、深く考えなくても良いだろう。それに、まあ、俺から指摘する必要もないだろう。なぜなら……ああ、もう眠い……。

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