第29話 再び始まる共同生活

 予定よりも盆休みが早くなって、予定外に真由ちゃんが実家から帰ってきた。エアコンの調子が悪いという彼女に、俺は以前と同じような提案をしていた。


「えっ、いいんですか? じゃくて、その、遠山さんの予定とか都合があるでしょう。……あれ? 今日ってお休みなんですか。以前に聞いた予定と違うような、それに盆休みは留守にするとか言っていませんでしたか」


 どうやら、今度は俺が説明する番のようだ。ちゃぶ台の上の麦茶を一口飲みながら考えをまとめる。


「仕事の都合で夏季休暇が早くなったんだ。新型コロナウイルスの影響で本社とか取引先が休みになったから、こちらもお休みにしましようってとこかな。決してクビになったとか不祥事で停職中とかじゃないから」

「そ、そんなこと思いませんよ。でも、休みだったら何か予定があったんじゃないですか」


 俺の冗談に真由ちゃんは真面目に反応した。信頼してくれているようだから、変なことを言ってからかうのはやめた方が良いだろう。


「休みはねえ、俺一人だからこっそり実家に帰省しようと思ってたんだ。でも、実家近くで感染のクラスターが発生したみたいで、帰れなくなったんだよ。だから、この休暇をどうやって一人で過ごそうか困ってたんだ」

「そうだったんですね。あのう、ご家族は?」

「家族は大丈夫。市役所に勤める兄貴は大変みたいだけど」

「お兄さんがいらっしゃったんですね。市役所勤務だと、自分も感染しないように気をつけないといけないから気を使いそう」

「まあ、そんなわけで休みを持て余していたところだったから、この部屋を勉強に使ってくれてかまわないよ。このエアコンだって、だらだらしている男より受験生を冷やしたいだろうし」


 俺は、部屋をもくもくと冷却しつづけるエアコンを見上げて言った。真由ちゃんは、つられたようにエアコンを見上げたが、慌てて視線をこちらに戻す。


「とてもありがたい提案なんですけれど、わたしがここでずっと勉強していたら遠山さんが困るんじゃないですか? せっかくのお休みなのに、お部屋でくつろげないなんて」

「ふうむ」


 真由ちゃんの言う事は一理あった。彼女が勉強している同じ部屋で、動画を見たりごろごろしたりはできない。俺も落ち着かないが、彼女だって必死に勉強しているそばで遊んでいる人間が居るのは嫌だろう。


「ちょっと待ってね」


 俺は立ち上がると、押入れを開けた。使っていない品物をどけ、奥から新品同様の参考書を取り出す。


「何ですか、それ?」

「パソコンに関する資格の本だよ。会社で推奨されてて、取得するとちょっとだけ給料がプラスされるんだ。前に本は買ったんだけど、やる気が出なくて放置してたんだよ。ちょうどいい機会だから、俺もこれを勉強しようかなって」

「すごいですね。……でも、会社員になっても勉強ってしないといけないんですね」


 感心したような声を出した真由ちゃんだったが、俺の参考書を見ているうちにだんだん目から光が失われていく。実は、受験勉強で結構ストレスが溜まっているのかもしれない。


「まあ、受験勉強と社会人の勉強は別だから。とにかく、真由ちゃんさえよければ、うちで涼みながら勉強したらどうかな。俺も一緒に勉強する人が居た方がサボれない……いや、がんばれるし。エアコン完備でネットも使い放題だよ」

「ネットは、隣から電波が届くので大丈夫ですよ」

「そうなんだ。……あっ、じゃあ、ここで勉強する気になったってこと?」


 真由ちゃんは少し恥ずかしそうにしていたが、やがてコクリとうなずいた。




 部屋の模様替えが始まった。6畳の和室で二人が勉強をするわけだから、それなりに効率の良い配置にしないといけない。俺はちゃぶ台やらパソコンを動かし、真由ちゃんは隣の部屋からあれこれと必要な物を運び込んでいた。


「よし、意外と早く出来たな。じゃあ、がんばるか。あっ、真由ちゃんは移動で疲れてるだろうから、俺のことは気にしないで自分のペースでやってね」

「大丈夫です。ここしばらくは、あまり勉強できなかったから、がんばらないと。……あっ、あの、ありがとうございます。また、お世話になります」

「いや、こっちこそ独りで休みを持て余していたから助かったよ。あらためて、よろしく」


 俺たちは、お互いに頭を下げあって、顔を見合わせて笑いあった。

 午前中は予定のない夏季休暇に困惑していたが、今は楽しい気分になっている。俺は浮かれる気分を抑えつつ、パソコンに向かったのだった。




 資格の本を開くと、びっしりと書き込まれた文字に身体が拒絶反応を示した。何も休みの日にこんなことをしなくてもいいんじゃないか、というささやき声がどこからか聞こえる気がする。だが、少し離れたところで真由ちゃんが真剣な表情で過去問に挑んでいるのだ。俺も少しはがんばらないといけない。

 なかなか集中できなかったが、本を開きパソコンで作業しているうちに段々と慣れてくる。やる気がなくとも、手や頭を動かしていると、意外とその気になってくるものなのだ。独りならやめてしまったかもしれないが、女の子と一緒に勉強しているという状況が程よいプレッシャーになっている。


 勉強中、さりげなく真由ちゃんの様子をうかがってみたが、なかなか興味深い。彼女は黙って問題を解いているのだが、ときおり首をかしげたりピタッと身体が硬直したりしている。かと思うと、どこか勝ち誇った表情でシャープペンシルを走らせるといった具合で、わりとリアクションが豊富だ。

 とはいえ、勉強する女子高生を観察する社会人というのは危険人物以外の何者でもないので、俺は自分の作業に集中する。もしかすると、こっちだって観察されている可能性もあるのだから、真面目にしなくてはならない。

 ちょっとした緊張感の中、予定のなかった休日は勉強の時間となったのだった。




 気がつくと、窓から差し込んでくる光が弱くなっていた。集中していて気づかなかったが、結構な時間である。


「ふう、真由ちゃん、そろそろ休憩しようか。……っていうか、夕飯の時間だな」

「えっ、もうこんな時間になっているんですか」


 真由ちゃんは、驚いたように窓の外を見てから手をとめた。ずいぶんと熱心にやっていたようだ。俺が学生の頃は、こんな風に真面目に勉強していただろうか。


「じゃあ、夕食の準備をしますね」

「いや、それは……」

「これは譲れませんよ」


 俺が何かを言う前に、真由ちゃんは素早く立ち上がった。彼女は機先を制するかのように、すっと扉の前へと移動する。


「お世話になってばかりですから、これぐらいはお返しさせて下さい」

「じゃあ、遠慮せずにお願いしようかな。……実は結構楽しみにしてたんだ」

「えへへ、良かったです。ええと、ちょっとお買い物に行ってきますね」


 真由ちゃんは、勉強で疲れた様子もなく上機嫌である。ここは、俺も手伝った方が良いだろうか。


「じゃあ、俺も一緒に……行ったらまずいか」

「油断はダメですよ。遠山さんの社会的地位がピンチになりますからね。大丈夫です、気をつけて行ってきますから」


 俺は、腰を上げかけて再び下ろすことになった。その様子を見た真由ちゃんは、くすくすと笑って出て行った。

 味気ない休日が急に楽しくなってきたが、以前と同じように気をつけないといけない。俺たちにとっては慣れた生活になったが、世間から見れば大変なことなのだから。

 俺は気を引き締め直して、6畳の部屋を夕食用に配置換えすることにした。

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