第28話 思わぬ再会
一足先に盆休みがやってきた。いや、やってきてしまったと言うべきか。せっかくの休みなのだから有意義に過ごさないともったいない、という謎のプレッシャーがかかってしまう。しかし、新型コロナウイルスが流行し、世間も自粛ムードとくればやれることはあまりない。こういうときに独り暮らしの人間は、何をすればいいのだろう。嫁を探せ、という兄の言葉が頭に蘇ったがそんな気分にはなれない。
休みにもかかわらず、仕事のある日と同じように起きてしまった。まずは洗濯と掃除に取り掛かり、それが終わるとパソコンの前に座って休みの過ごし方を検討する。
「なんだか仕事で企画を考えているみたいだな」
俺はパソコンの前でため息をついた。今までなら、こんなことで悩むことはなかったはずだ。貴重な休みだからこそ、だらだらと無為に過ごす、とか言って適当に楽しくやっていたのである。だが、真由ちゃんと過ごした一週間で、こんなことでいいのだろうか、と思うようになったのだ。
ふと、スマホを確認するが、誰からも連絡はない。彼女は実感で元気にやっているのだろうか。気にはなるが、メッセージを送ってまで聞いてみるのは、善良なお隣さんを逸脱しているような気がした。
「いやいや、これじゃあ未練がましい男そのものだぞ」
真由ちゃんと同居したのは、彼女の部屋のエアコンの調子が悪いからという、やむを得ない事情があったからである。だいたい、受験生である彼女に社会人である俺が迷惑をかけてはいけない。
「よし、こうなったら気合を入れて休みを有意義に過ごす方法を考えるぞ」
俺は頭に浮かびかけた様々な雑念を振り払って、価値ある休暇プランに考えをめぐらせたのだった。
午後、俺は汗だくになりながらスーパーの袋をさげてアパートの階段を登っていた。
あれこれ考えているうちに昼になっていたのだが、冷蔵庫に食料がなかったのである。今日は仕事のはずだったから、失念していたのだ。おかげで、暑い時間帯に出かける羽目になってしまったのである。
一刻も早くエアコンで涼もうと、アパート2階の廊下を進んでいたのだが、妙なことに気がついた。お隣の成瀬家のドアが少し開いているのだ。
俺は持っていたビニール袋をそっと床に置くと、音を立てないように1階へ続く階段に向かった。途中まで降りて駐車場を確認したが、成瀬家のスペースに車はない。お隣さんは全員が実家に戻っているはずである。
まさか、空き巣だろうか。太陽の眩しい日中だが、それがかえって盲点なのかもしれない。一足先に帰省した留守宅を狙っているのだとすれば、見逃すわけにはいかないだろう。
俺はつばを飲み込むと、静かに成瀬家のドアを開けた。ムッと熱気がこもる部屋の奥から、かすかに聞き覚えのある声が聞こえてくる。ほっと胸を撫で下ろすと、奥へと進んだ。
「……えいっ、あれ……どうして動かないの? あうう、暑いよう。お母さんが使ってたときは普通に動いてたのに……えいっ」
居間では、女の子がリモコンを両手で持って、ぶんぶんとエアコンに向けてふっていた。
「真由ちゃん?」
「ひゃい? ふええっ……あっ、あうう」
驚かさないように静かに声をかけたつもりなのだが、真由ちゃんは悪戯がバレた猫のように飛び上がった。申し訳ないことをしたが、コミカルなリアクションである。
「あっ、あっ……と、遠山さん……どうしてここに?」
「勝手に入ってごめんね。買い物から帰ったらドアが開いていたから、どうしたのかなって思ってのぞいてみたんだ。ほら、みんな実家に戻ってるはずだし」
「そうだったんですか。……でも、足音を立てずに入ってくることないじゃないですか。うう、すごくびっくりして、変な声が出ちゃいました」
真由ちゃんは、顔を真っ赤にして抗議してきた。かなり驚いたのか、目が少し潤んでいる。
「ごめん。駐車場に車が無かったから、空き巣かと思って警戒してたんだ。あれ、真由ちゃん、どうやって戻ってきたの?」
「遠山さんこそ、どうして居るんですか? 確か、お盆休みはもうちょっと先だって言ってませんでしたか」
俺と真由ちゃんは、互いに質問をして見つめ合った。なんだか、頬が熱くなってきたような気がする。……暑いのだ。
「この部屋は暑すぎるから、俺の部屋で話そうか」
「そうですね。すみません、またお世話になります」
以前とは違い、真由ちゃんは素直に同意してくれた。
部屋に戻ると、エアコンをパワフル運転モードにした。新型のエアコンから、避暑地の高原のようなさわやかな冷気が流れてくる。
「わあ、すごいですね。すぐに涼しくなります」
真由ちゃんは、エアコンを見上げて感心したような声を出した。どこか尊敬するような眼差しを、エアコンに送っているように見える。
俺は冷蔵庫の中をのぞき、麦茶と水羊羹取り出して、ちゃぶ台の上に置いた。羊羹は彼女の母親にもらったものだが、こんな状況で食べることになるとは思わなかった。
「あっ、すいません。いえ、ありがとうございます」
「遠慮はしなくていいんだけど……それより、どういったわけなの? 車は無かったと思うけど」
俺は気になっていたことを質問した。真由ちゃんは、ジーンズにシンプルなシャツ、それに大きめにリュックを持っている。
視線に気づいたのか、彼女は慌てた様子で口を開いた。
「家出じゃないですよ。ちゃんと家族に話して来ていますから。ええと、実家の近くの駅まで送ってもらって電車で帰ってきたんです」
「ああ、そういうことか。お祖母さんとは面会できたの」
「はい、モニター越しでしたけど。……おばあちゃん、やつれていてショックだったんですけれど、話すのはしっかりしてました。まだ入院は必要なんですけど、少しずつ回復しているそうで……本当に良かったなって思ったんです」
面会したときのことを思い出したのか、真由ちゃんが少し鼻声になった。親しい人や身内が弱っている姿を見るのはつらいものだ。
「大変だっただろうけど、快方に向かっているっていうのは良かったよね。……お祖母さんは良かったんだけど、真由ちゃんは実家の落ち着いた環境で勉強するんじゃなかったの?」
「そっ、それなんですよ」
しんみりした様子の真由ちゃんだったが、急に顔をあげた。
「全然、落ち着いて勉強できないんですよ。おばあちゃんが退院したときに備えて、家を改装しようってことになったんですけど、親戚の人たちがあれこれ歩きまわったり、話し合いを始めたりするんです。気が散って集中できないんですよ」
「うーん、勉強には向かない環境だね。親戚の人だし、大事な話し合いでもあるから、静かにしてもらうわけにもいかないし」
「そうなんですよっ。皆さん、おばあちゃんのためにあれこれして下さっているのだから、我慢しないといけないんですけど……うう、わたしも勉強できないと困るんです」
真由ちゃんは、小さなこぶしを握って力説した。色々と思うところがあったのか、彼女はさらに言葉を続ける。
「しかも、ネット環境がダメだから、調べものとか学校の先生に質問を送るとかができないんですよ。解説動画も見れない……」
「お祖母さんは高齢だから、ネットは使ってなかったのかな」
「昔にお父さんが手続きをして一応は使えるですけれど、速度がすごく遅いんです。しかも、みんなが役所の手続きだとかを調べるのに使っているから、わたしが使うと更に遅くなっちゃうし。うう、スマホはもう速度制限になっちゃった」
ため息をつく真由ちゃんに、俺は麦茶を勧めた。こんなに勢いよく話す彼女は、初めて見た気がする。
「大変だったんだね。誰が悪いってわけじゃないし、皆がそれぞれやらなくちゃならないことをやっているわけだから、文句も言いにくいよね。自分にだって、やらなくちゃいけないことはあるんだけど、それを口にしたらわがままを言ってるみたいになってしまう感じで」
「うう、まさにそんな感じだったんです。勉強には集中できないし、何か手伝おうとしても、わたしにはできることはない。おばあちゃんのお見舞いにもいけないから、結局、何してるんだろうって……それに……」
何かを言いかけた真由ちゃんは、ハッとした表情になって口を閉じた。俺の顔をチラッと見ると、誤魔化すよう麦茶を飲む。気にはなったが、家庭の立ち入った問題かもしれないので聞くのはやめておいた。
「……それに、無理を言ってこっちに戻ってきたらエアコンが動かないなんて。この前、お母さんが使ったときは動いたのに」
「じゃあ、この部屋で勉強する?」
俺は特に意識せず口にしていた。あまりに自然に口から出たので、俺自身が驚いたくらいだった。
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