第12話 いつもとは違う月曜日
目覚ましがなる前に目がさめた。普段なら少し憂鬱な月曜日の朝である。だが、今朝は違う。
俺は廊下に敷いたロールマットから身体を起こした。これで寝るのは二度目だが、慣れると意外と快適である。がさがさと寝床を片付けていると、奥の扉が静かに開いた。
「おはようございます」
「うん、おはよう。起こしちゃったかな」
「いえ、今の季節は外がすぐに明るくなりますから、早くに目が覚めてしまうんです」
ジャージ姿の真由ちゃんは、早朝からシャキッとした様子である。俺は朝に強い方ではないが、ダラダラしたところは見せられない。いつもならギリギリまで寝るところだが、二度寝の誘惑をすっぱりと断ち切る。
「よし、今日も仕事をがんばるか」
「はい、わたしも受験勉強をがんばります」
二人して笑い合う。こんな月曜の朝もあるんだな、と俺は新鮮に感じた。
朝食を済ませた俺は、真由ちゃんに見送られながら部屋を出た。
自然と足取りが軽くなっているのが自分でも愉快だったが、階段を降りると強烈な日差しにひるんでしまう。階段の隣では、芳江おばさんが諦めたような顔つきで駐車場を見ていた。
「芳江さん、おはようございます」
「ああ、遠山君、おはようさね。若い人は元気だねえ。あたしは、この熱くなってきた地面を見るだけで嫌気がさしちまってね」
「若くても、この暑さはたまりませんよ。外の仕事じゃなくてデスクワークなのが救いです」
芳江さんは、思い直したかのように部屋の前に水を撒き始めた。黒く濡れた地面はいっときだけ涼しくなったような気がするが、すぐに暑さに上書きされていく。彼女はため息をつくと、ふと駐車場を見つめた。視線の方向には、俺の車がある。
「あっ、うちの会社は車通勤ができないんですよ。中途半端に駅の近くにあるせいで、駐車場が小さくて来客専用なんです。駐車場を借りようにも、駅の近くだから高くて」
「あらあら、そりゃあ難儀なことだねえ。それよりさ、あんたの隣は成瀬さんの駐車場所だろう。ここんところ、ずっと空いているみたいなんだがねえ」
ううむ、ここは事情は知らないことにしておいた方が良いだろうか。下手なことを言うと、ややこしい展開になりそうな気がする。
「お盆には早いですし、なんでしょうね。車を使って出張でしょうか」
「それがね、旦那さんだけじゃなくて奥さんも最近は姿を見ていないんだよ。だけど、娘の真由ちゃんは学校に行ったりしてるみたいなんさね」
「ああ、そういえば俺も見ましたよ。あれは、土曜日だったかな。コロナウイルスのせいか、学生も大変だなって」
「それがね……」
芳江さんは、ふと声を小さくした。
「昨日の夕方なんだけどさ、真由ちゃんが大きな買い物袋をさげて機嫌良く歩いてたんだよ。あたしは、てっきり旦那さんか奥さんが帰ってくるのかと思ったんだけど、このとおり駐車場は空のままなのさ。一体、どうなってるのかねえ」
昨日、真由ちゃんは夕食の材料を自分の部屋から持ってきたと言っていたが、そうではなかったようだ。よく考えれば、彼女の両親はしばらく不在にしているのに、冷蔵庫に都合よくお肉やら新鮮な野菜が入っているわけがない。
「じ、事情はよくわかりませんけど、しっかりした感じの子だから大丈夫なんじゃないですか。ええと、受験生らしいですから高校3年生でしょう?」
「でもねえ、娘一人を置いて長時間留守にするっていうのはねえ。ちゃんと食べているか、このばあさんは心配なのさ。ふん、うちでご飯を食べさせようにも、むすっとした旦那が居るしねえ」
「旦那さんってそんな気難しい人でしたっけ。どことなく、威厳のある感じですけど」
芳江さんの旦那は、どこかの団体職員をしていたと聞いている。このアパートで出会ったことがあるが、口数が少なく真面目そうな印象だった。
「ふん、あれに威厳なんてあるものさね。旦那はどうこう言わないだろうけど、真由ちゃんが気詰まりじゃないかって思うんだよ。爺さんと婆さんに囲まれて、漬物や煮物なんて出されても困るだろうさ。ただでさえ、周囲に気を使う子だから」
「そうですね。遠慮してしまうタイプに見えますね」
そうなのだ。芳江さんに事情を話して真由ちゃんを預かってもらったらとも考えたのだが、彼女は絶対に遠慮してしまうだろう。芳江さんは良い人だが、親戚でもないお年寄りの部屋で過ごすのは居心地が悪い気がする。それに、彼女の性格だと気を使って、暑い中でも無理に外出してしまうかもしれない。
だが、成り行きとはいえ、独身男性の部屋で居るというのも良くない気がする。俺が葛藤していると、芳江さんが2階を見上げながら口を開いた。
「ふん、昨日は元気そうだったから、もうちょっと様子をみるかねえ。旦那に、余所の家庭に首を突っ込むなって言われてるからね。まあ、遠山君も隣の部屋ってことでちょっと気にかけてあげてくれないかねえ」
「ええ、それはもちろんです。……あっ、すみません、そろそろ行かないと」
「ああ、ばあさんの長話ですまなかったね。暑いから、あんたも気をつけるんだよ」
俺は、芳江さんに見送られながら駅へと急いだ。
小走りで歩きながら、色々なことを考える。真由ちゃんとは、きちんと打ち合わせをしておいた方が良いかもしれない。俺にやましいところは無いつもりだが、誤解されると大変なことになる可能性がある。今の生活を、どこか楽しく思っていた俺は、あらためて気を引き締めたのだった。
仕事が始まってすぐ、俺は水村主任と一緒に遠藤課長のデスクへと向かった。休日出勤の件である。
「……ですから、不具合の原因は旧システムに施していた暫定的な措置が……」
水村主任が淀みなく説明し、俺は横でタブレットやら紙の資料を用意する係である。課長は黙って主任の話を聞き終えると、おもむろに口をひらいた。
「事情はおおよそ把握できた。システムを抜本的に見直すべき、という話は会議でよくあがっている。だが、動作しているのなら問題ないといつも流されているからな。そのツケか」
遠藤課長は、小太りな水村主任とは対称的に痩せて枯れた風貌だが言動に重みが感じられる。
「そうですね。かつての仕様を正確に理解している人がどのくらい居るのか怪しいものです。ここらあたりで、思い切って……」
「その話は、今はおいておこう」
早口で話す水村主任を、遠藤課長は手で制した。課長が俺の方へ手を伸ばしてきたので、慌てて資料を渡す。
「今回の不具合は完全に解消できたのか? 今後、同様のケースが起こる可能性は?」
「原因は突き止めましたから、問題は無いと考えています。念のため、いくつかテストをすればはっきりするでしょう」
水村主任は、ズバッと自信ありげに言った。この堂々とした態度はすごいな、と思う。もちろん、実力が伴っているからなのだろうが、俺には無理である。
「よし、わかった。慌てる必要はないから、念には念を入れて確認作業をしてくれ。……ふむ、遠山は今週に急ぎの仕事はあるのか」
「い、いえ、ありません。強いていえば、このシステム改修の件ですが」
課長が、不意に俺に質問してきたので緊張してしまう。何だろう、別件の業務だろうか。厄介な話でなければ良いのだが。
「そうか。なら、明日は休暇を取ったらどうだ」
「えっ? 休暇ですか」
思わぬ言葉に、間の抜けた返事をしてしまった。仕事を覚悟していたのに、まさか休みとは。
「ああ、いきなり休日に呼び出されたんだからな。遠山の立場では断れんだろう。だから、気にせず休めばいい」
「あのう、私は……」
「水村は、システムが安定してからだな。何かあれば対処してもらわねばならん。あと、休日出勤ほどほどにな。人事部が、ワークライフバランスだのうるさいんだ。……さて、私は休日出勤の件で人事部にかけあってくる。私の指示だったことにして給与が出るようにしてやりたいが、どうなるやら」
立ち上がった遠藤課長に、俺たちは一礼して席へと戻った。
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