第11話 ほろ苦いデザート

 真由ちゃんが作ってくれた夕食は結構なボリュームがあったが、ぺろりとたいらげてしまった。ちゃぶ台の上の皿がきれいになったところで、俺は買ってきたプリンのことを思い出す。


「プリンはどうしようか。俺は、結構お腹がいっぱいになっちゃった感じだなあ」

「えっ? あう、そのう……」


 真由ちゃんは、一瞬だけ残念そうな表情になって口ごもった。なかなか面白い、というか可愛い反応である。


「じゃあ、片付けをして少しお腹のスペースを空けてから食べようか。……ごちそうさま。とっても美味しかったよ」

「あっ、はい。……そ、その、お粗末様でした」


 正直な感想を言うと、真由ちゃんは照れながら空の食器を集め始めた。少しずつ打ち解けてきたのか、今日の彼女は色々な表情を見せてくれる。

 俺も、満腹になった身体をを起こし後片付けに取り掛かることにした。



 真由ちゃんのさりげない視線を感じつつ、俺はお店のロゴの入った箱からプリン取り出した。

 瓶に入ったプリンは抹茶味とミルク味が2つずつで、計4つである。


「わあ、可愛い瓶ですね。スタンダードなミルクプリンも美味しそうですけれど、抹茶もいいですね。遠山さんは、どちらにするのですか?」

「そうだなあ、買うときは抹茶の気分だったけれど、ミルクプリンにするよ。甘みを十分に味わいたい気分なんだ」

「ああ、お仕事でお疲れですものね。うーん、抹茶……ミルクプリン……」


 真由ちゃんは、プリンの瓶を真剣な表情で見つめた。どうやら決めかねているようだ。


「両方食べればいいんじゃない?」

「ひゃいっ……そ、それは駄目ですよ。厚かましいですし、カロリー的にも問題があります」


 変な声をだした真由ちゃんは、慌てて否定して、チラリと自分のお腹に目を向けた。俺からすると、カロリーを気にするような体型ではないと思うのだが、そこは色々と譲れないものがあるのかもしれない。


「……どっちがいいかな。うーん……」

「そんなに悩まなくても、選ばなかった方はまた明日にでも食べればいいと思うけど」

「あっ、明日……」


 何気なく口にした言葉だったが、部屋の中になんともいえない空気が広がった。考えてみれば、明日どころか今晩さえ、どうするのか決めていない。良い機会だから、今後について話し合っておいたほうが良いだろう。

 俺は、座り直して背筋を伸ばした。


「コホン……立ち入った話になるんだけど、実家の方は何か進展はあったのかな。ええと、問題があれば言わなくてもいいけれど」


 真由ちゃんは、プリンに伸ばしかけた手を引っ込めて真面目な表情になった。


「遠山さんにはお世話になっていますから、きちんとお話しますね。……ですが、まだ今後どうなるのかよくわからないみたいなんです」

「お祖母さん、そんなに具合が悪いの?」

「まだ、治療中みたいなんですけれど、前みたいに一人暮らしは無理じゃないかって言われてるみたいです。ええと、市役所に相談したりしないといけないんですけれど、今日は休日でしたから明日以降みたいです。……すいません」

「いや、真由ちゃんが謝ることはないよ。コロナウイルスの流行もあって入院手続きとかだって大変だと思うし、面会も多分できないから詳しい様子なんかも把握できないだろうし。うーん、市役所かあ……」


 自分がその状況に置かれたとして想像してみたが、どこの窓口でどんな手続をするのか全くわからない。しかも、準備なしにいきなりである。

 真由ちゃんは、さきほどまで楽しそうにしていたのが嘘のように沈んだ表情になっていた。彼女は、大変な両親に心配をかけまいと一人でがんばっているのだ。


「ところで、真由ちゃんは明日からは何か予定はあるの? ええと、学校とかに行くのかなって意味だけど。時期的には夏休みだけど、コロナウイルスで春に休校とかあったみたいだから、今も授業があるのだっけ」


 俺は雰囲気を変えようと、明るい口調で質問してみる。


「いえ、わたしは三年生ですから授業はないです。先生に質問に行ったり、受験対策講座に参加したりするぐらいですね。これは毎日じゃなくて、決められた日だけですけれど」

「じゃあさ、学校に行かない日はこの部屋で涼んでいたらいいんじゃない? 快適な方が勉強もはかどると思うし」

「えっ、で、でも、それでは遠山さんの迷惑になってしまいます」

「いや、明日から俺は会社だから問題ないよ。日中は居ないんだから、有効活用すればいいんじゃない」


 全く事情も知らない人ならともかく、色々と難題を抱えているお隣さんに使ってもらうことに抵抗はない。わざわざエアコンが故障した暑い部屋で我慢する必要はないだろう。


「で、でも……不用心だと思いますし、ええと、エアコンの電気代だってかかりますよ」


 一瞬、ぽかんとした表情になった真由ちゃんだったが、すぐに表情を引き締めて反論した。


「不用心って言っても貴重品はないし、お隣さんだから何かあってもすぐに確認できるからね。あっ、もちろん真由ちゃんのことは信頼してるよ。あと電気代だけど、さっきの晩ごはんの方が絶対にお金がかかってるよ。むしろ手間を考えたら、俺の方がお礼をしなくちゃいけないぐらいだね」

「いえいえ、さっきのご飯なんて大したものじゃないんです。お金とか以上にお世話になりましたから」

「いやいや、いくらお金を払っても手作りの晩ごはんなんて食べられないから。こっちだって、お金以上にお世話になってるよ」


 俺の言葉に、真由ちゃんは何か言おうとして口ごもった。彼女の扱い方がだんだんとわかってきた俺は、次の手を打つ。


「じゃあ、エアコンと部屋の使用料代わりに晩ごはんを用意してもらうかな」

「そ、それなら、がんばって作ります。ええと、栄養バランスもしっかり考えますね」


 真由ちゃんは、両手のこぶしを可愛らしく握った。彼女の性格を考えると、お世話になりっぱなしというのは抵抗があるだろうと考えて提案したのだが、うまくいったようだ。

 しかし、エアコンの利用と引き換えに手作りの夕食を要求する社会人というのは、どうなのだろう。ううむ、このぐらいはセーフ、だと思いたい。


「よしっ、ややこしい話はここまでにしてプリンを食べよう。俺はミルクプリンね」

「あっ、わたしもそれにします」


 俺がプリンの瓶を手に取ると、真由ちゃんは少し照れながら手を伸ばしてきた。




 エアコンがそよそよと風を送ってくる中、俺たちプリンを楽しんだ。濃厚な甘みが素晴らしいが、不思議と後味はさっぱりしている。真由ちゃんは、少しずつ大事そうにスプーンを口に運んでいたが、急に顔をあげた。


「あの、いろいろとすみませんでした。気を使ってくださったのに、わたしが面倒なことを言ってしまって……」

「はは、なんだか昨日と同じようなことを言っているなあ。今日は、これ以上のすみませんは禁止で」

「す、すいま……ありがとうございます。で、でも、昨日からせっかくのお休みなのにご迷惑だったのでは」

「そんなことはないよ。うーん、お隣さんだから助け合うのは当然だし、俺にとっても人助けをするっていうのは……」


 俺はプリンの甘みを堪能しつつ、うまい言葉がないか頭をめぐらせる。


「昔の人が言っていた言葉なんだけど、人間には三つの楽しみがあるらしいよ。健康で過ごすこと、長生きすること、最後の一つは善を楽しむこと、だったかな。だから、俺はこの状況を負担に思ってるとかはなくて、人の役に立てて嬉しいというか……」


 言ってはみたものの、なんだか恥ずかしくなってきた。善を楽しむ、などというと自分が不遜な人間に思えてしまう。

 一方で、真由ちゃんは不思議そうに俺を見つめている。くっ、これは恥ずかしい。


「受験生の成瀬君、問題です」

「ふえ、は、はいっ」


 急に名字で呼ばれた真由ちゃんは、ビクッとして背筋を伸ばした。何をやっているのかわからないが、こうなれば勢いである。


「さきほどの言葉は、江戸時代の儒学者の言葉です。この人物は『養生訓』を著したことでも有名で……」

「か、貝原益軒です」


 養生訓、と言ったところで真由ちゃんが素早く口を開いた。


「正解。さすがは、受験生だね。よく勉強しているなあ」

「いえ、養生訓といえば貝原益軒って名前を覚えているだけです。内容は全然知らなかったんですけれど、遠山さんって物知りなんですね」

「いや、昔の日本史の授業で先生が言っていたような気がするだけだから。多分、内容については試験に出ないだろうし、間違っているかもしれないけどね」

「そうなんですか。でも、不思議というか新鮮な考え方ですね。善行を積む、ていうと大変なイメージがありますけど、楽しむっていう考えもあるんですね」


 真由ちゃんは、何度もうなずきながら素直に感心してくれているようだ。


「まあ、偉い儒学者の先生と俺では、言葉の重みが違うだろうけど」

「そ、そんなことないですよ」


 いつの間にか、6畳間の雰囲気が明るくなっていた。

 彼女を取り巻く環境が厳しいのは変わらないだろうが、この場ぐらいは楽しく過ごしてくれれば良いな。俺は残りのプリンをスプーンですくいながら、ぼんやりと思った。

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