第7話 おやすみの時間

 寝る場所をめぐって押し問答しているうちに、結構な時間になってしまった。俺はともかくとして、昼間に倒れてしまった真由ちゃんは早めに休んだ方が良いだろう。それに、だらだらと時間を過ごしていると、さらなる面倒ごとが発生するかもしれない。


「ちょっと早いけれど、もう休もうか。俺も今日は早起きしたから、ちょうどいいし」

「はい、そうさせていただけると助かります。あっ、その前にお風呂に入らなきゃ」


 真由ちゃんは思い出したかのように言うと、制服姿の身体を見下ろした。

 一方の俺は、お風呂という単語に動揺してしまう。お風呂? この可愛らしい女の子が俺の部屋で? 一瞬、本当に一瞬だけ、けしからん想像が頭をかすめたが、立派な社会人である俺は、すぐさまそれを頭から蹴り出す。


「お風呂というか、暑いからシャワーでもいいかもね。俺は……」

「あっ、そうだっ」


 俺が何かを言いかけたところで真由ちゃんが、ぽんと手を叩いた。


「自分の部屋に戻ってシャワーを浴びてきますね。着替えなきゃいけないし、ええと、涼しくなっていないかもう一度確認してみます」

「そ、そうだね。そう言おうとしてたんだ。……真由ちゃんが戻っている間に俺もシャワーを浴びちゃうね」

「では、一旦失礼させていただきますね」


 そう言うと真由ちゃんは、ぺこりと頭を下げると部屋をすっと出ていった。そうだった、別に彼女が俺の部屋でシャワーを浴びる必要はないのである。無駄にドキドキしてしまった。

 

 一人残された俺は、しばらくぼんやりとしていた。いかん、いい年なんだからしっかりしないといけない。もうちょっとで、よくわからないことを口走るところだった。どうやら、シャワーを冷たくして頭を冷やしたほうが良さそうだ。




 浴室で頭を冷やし、寝床の準備をしていると、玄関の扉が遠慮がちに開いた。


「こ、こんばんは。お、お邪魔します」


 ちょっと緊張気味にやってきた真由ちゃんは、髪をまとめてジャージ姿になっていた。彼女は高校三年生だったはずだが、この格好だと幼く見える。


「どうも。今、布団を用意したところだから、遠慮しないでくつろいでね。うん、なんだか部活の合宿みたいな感じだね」

「あっ、そうですね。わたしは部活には入ってなかったんですけれど、ちょっと面白い気がします」


 きょろきょろと室内を見回している真由ちゃんを見ていると、本当に合宿の晩のような気がしてきた。これなら変に意識せずに済みそうだ。


「あのう、わたしは本当にここで寝てもいいのでしょうか?」

「はは、そんなの気にしなくていいから。それより、これを見てよ」


 俺は、押入れから発掘したロールマットを掲げてみせた。昔、アウトドア用品店で買ったものである。


「あっ、それは登山部の人が大きなリュックにつけているのを見たことがあります」

「そうそう、キャンプで寝るときに寝袋の下に敷いたり、屋外で遊ぶときに使うんだよね。くるくると丸めておけば場所をとらないし結構便利なんだ」

「へえ、そうなんですね。あっ、もしかして、それを廊下に……」

「うん、ちょっとしたキャンプ気分ってわけさ。最近使ってなかったから、ちょうどいいかなって」


 真由ちゃんは、俺が伸ばしたアルミのマットを見ながら複雑そうな表情になった。


「あの、その本当に……」

「気にしなくていいって。これが、オフィスの床に敷いて泊まり込みだったら嫌だけどね」

「その、すみませ……ありがとうございます」


 すみません、と言いかけた真由ちゃんは、丁寧に頭を下げた。




 廊下に出て、冷蔵庫の横に寝床を設置していると、和室に続く扉が開いた。


「ここの扉は開けておいた方がいいですよね。エアコンの風がちゃんと届くように」

「いや、閉めた状態でも十分涼しいから閉めておこう」

「えっ? でも、部屋主の遠山さんを締め出してしまうようなことはできませんよ」


 真由ちゃんは、戸惑ったように首をかしげた。礼儀正しい、というか真面目な子である。


「気密性的には問題があるのかもしれないけれど、涼しいのは本当だから大丈夫だよ」

「そうですか。でも、開けた方が確実に冷気が届くと思いますよ」

「いや、そこは礼儀というかけじめの問題かな」

「はい?」


 真由ちゃんは、しばらく不思議そうな表情をしていたが、急に頬が赤くなった。おそらく、1Kのアパートに男女が一緒に泊まるという状況に思い至ったのだろう。


「ふ、ふえっ……コホン、わたしは、その、き、気にしてませんよ。あっ、気にしていないというのは、意識していないとか、そういう意味ではなくて、ですね。あの、その……」

「ちょっと落ち着いて。……とにかく、夜の間は緊急事態でも起こらない限り、そこの扉は開けないから安心してね」

「い、いえっ、心配なんて。あの、ええと……」

「まあ、身の危険を感じないわけにはいかないだろうけど、何かあったら俺の方が社会的に死ぬから大丈夫だよ」


 自分で口にしておきながら、なんとも格好の悪い話だと思ったが、これは事実である。それに、昼間に倒れて困っていた女の子に手を出すなど、モラル的にも死を迎えそうだ。武士だったら切腹だろうか。いや、切腹は名誉を守るための死に方だから、この場合は打首だろう。

 しかし、もうちょっと格好の良い言い方をしたかったものである。そんなことを考えていると、真由ちゃんが真っ赤になって口を開いた。


「あのっ、大丈夫ですから。と、とにかく、大丈夫なんです」

「ま、まあ、わかってもらえればそれでいいんだけど」

「はい、大丈夫ですっ」


 真由ちゃんの気迫に若干押されながらも、俺はうなずいてみせた。冷静に考えると、何が大丈夫なのかよくわからないが、この場が収まればひとまずOKだろう。

 しばらく無言の間が続き、お互いに落ち着いてくると、今度は何だかおかしな気分になってきた。


「ふう、俺たちは一体何の会話をしているんだろうな」 

「そうですね。……あの、すみません。遠山さんが、色々と気を使ってくださったのに面倒なことばかり言ってしまって」

「いや、いいんだよ。真由ちゃんの方だって、俺に迷惑をかけないように考えてくれてたみたいだし」

「ですが、結局ご迷惑をかけてばかりで、すみま……」

「今日は、すみませんは禁止で」


 俺が、すみません禁止を言い渡すと、真由ちゃんは戸惑ったようにきょろきょろと視線をさまよわせる。ややあって、彼女は俺のを目をしっかり見て口を開いた。


「今日は、本当にありがとうございました。実は色々と困っていたんです。助けていただいて、とても嬉しかったです」

「うん、大変だったよね。……おやすみ」

「おやすみなさい」


 真由ちゃんは、深々と頭を下げた。心のこもった丁寧なお辞儀だと感じた。




 照明を消して、廊下に敷いたロールマットに横たわると冷蔵庫がやたらと大きく感じた。ブーン、と冷蔵庫が稼働する低周波音が聞こえてくる。うっすらと見える天井は、普段より高い気がする。背中にあたる感触は硬いが、キャンプにやってきたと思えば悪くない。

 隣の部屋からは、物音一つ聞こえない。真由ちゃんは、もう寝たのだろうか。しっかりした感じの彼女がすやすやと寝息を立てているところを想像すると、微笑ましい気持ちになった。しかし、彼女の部屋のエアコンもだが、体調を崩したという祖母のことも心配だ。俺が心配したところで、どうなるわけではないが今晩はゆっくり休んでくれると良いのだが。


 俺はタオルケットをかぶると、目を閉じた。何も予定のない土曜日をだらだら過ごすはずが、思わぬ展開になった。色々とバタバタしてしまったが、悪い気はしない。むしろ、何か新鮮な感じだ

 明日は、日曜日。さて、どうなることやら。

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