第5話 女子高生の居る食卓

 安アパートの和室で、俺は制服姿の女の子とホットプレートを挟んで向き合っていた。できあがったばかりの焼きうどんが、ほわほわとのんきに湯気をあげている。


「遠慮せずにどんどん食べてね。あっ、具合が悪かったら無理しなくていいけど」

「あまり食欲はなかったのですが、おうどんを見ていたら、お腹がすいてきました」


 真由ちゃんは、俺がうどんに箸をつけてから、自分の分を小皿にとった。


「あっ、とってもおいしいです。ツナを入れたものは初めてですが、合いますね」

「久しぶりに作ったから、どうかと心配してたんだけど良かったよ」

「ええと、前はよく作っていたってことですか?」

「うん。一緒に入社した同期と、アパートに集まったりしたときにね。今は転勤で、みんなばらばらになっちゃったけど」


 俺の勤めている会社では、新入社員は最初の部署から3年で転勤するという慣習がある。前の職場には10人ほどの同期がいたが、今は俺1人だけだ。男ばかりだったが、なかなか愉快な連中だった。


「同期の人ですか。同級生とは、感覚が違うのでしょうね。ライバル、みたいな感じなのですか?」

「うーん、俺たちの場合は、ちょっと違うかな。仕事の愚痴を言ったり、相談したりで競うって感じではなかったなあ。ニュアンスとしては、戦友が近いかも。社会人になりたてで、よくわからない状況を苦労しながら一緒にくぐり抜けてきたって意味でね」

「そうですか。わたしは、部活などには入っていないので、そういうのに憧れます」


 真由ちゃんは、コクコクとうなずきながら、きれいに箸を使った。ちゅるちゅると、少しずつうどんを口に運んでいく。ガツガツと流し込むように食べていた同期の連中とは、大きな違いである。さりげなく眺めていると、彼女がふと頭を上げた。


「遠山さんは、随分と慌ただしく引っ越してきましたよね。やっぱり、新型コロナウイルスの影響ですか?」

「うん。なかなか、転勤先が決まらなくて困ったよ。同期との送別会もできなかったし、決まるのが遅かったからアパートや引っ越し業者を探すのに苦労したよ。……念のために言っておくけれど、不祥事を起こして飛ばされてきたとかじゃないからね」

「えっ? あっ、す、すいません。わたし、そんなつもりじゃ」


 箸を置いた真由ちゃんは、慌てて否定した。ずいぶんと真面目な子である。


「冗談だから、気にしないで。まあ、4月になってから引っ越してきて、しばらくはテレワークがどうので、不規則な勤務だったから、変な人だと思われてないか心配だったけど」

「いえいえ、わたしだって学校が休校になったりで先が見通せない時期でしたから、色々と大変なんだろうなって思ってました」

「そっか、学生さんも大変だったよね」


 俺は、春のどたばたを思い出す。

 新型コロナウイルスの影響で転勤の話が無くなりそうだと聞いていたのだが、3月末になって急に決まったのだ。ひとまず引っ越しだけは済ませろと言われて慌てて探したが、既にめぼしい物件や引越し業者は押さえられていた。空き部屋があるということで飛びついたのが、このアパートだったのである。通勤には不便で、建物もかなりの年代物だが、唯一の利点は家賃がやたらと安いことだろうか。いや、隣室の女の子と夕食を食べることになったのも、メリットといえるかもしれない。


「ん? どうかしたんですか」


 気づかないうちに、真由ちゃんのことを見ていたようだ。彼女は、かわいらしく首をかしげた。


「えっと、今日は土曜だったけど制服を着てどこに行ってたのかなって。さっき、部活には入っていないって言ってたよね。あれ、図書館だっけ?」


 見ていたことをごまかすために言ったのだが、もっともな疑問である。春に休校になった分、夏休みに授業があるとかなのだろうか。


「学校はお休みなんですけれど、先生に質問に行っていたんですよ。その帰りに、図書館で勉強しようと思って寄ったんです」

「ああ、そういうことか。夏休みなのに、勉強熱心なんだね」

「いえ、受験生なので当然ですよ」


 真由ちゃんは、当たり前のように言って姿勢を正した。前髪の猫のヘアクリップが、かすかに揺れる。俺は、しばらく箸が止まってしまった。


「受験生ってことは、3年生だよね。ええと、高校の……」

「むう、いくらなんでも中学生には見えないと思いますが」

「あっ、ごめん。高校2年生ぐらいかと思っていたから」

「いいんですよ。友達からも、よく童顔だってからかわれるんです。……同級生の中でも、しっかりしている方のはずなのに」


 不服そうに言った真由ちゃんは、ぷくっと頬をふくらませた。礼儀正しく振る舞っていた彼女だが、こういう仕草もするようだ。ちょっと子供っぽい反応だと思ったが、口には出さないでおく。


「とにかく、今は大事な時期ってわけなんだね。塾の講習なんかにも通っているの?」

「いえ、独学でやっています。……両親に負担はかけられませんから」

「そっか、頑張っているんだね。新型コロナウイルスのこともあるし、今年の受験は大変な状況だよね」

「はい、今が頑張りどきなんです」


 真由ちゃんは、自分に言い聞かすように言った。少し張りつめたような表情だった。

 このアパートは、街の中心から離れている上にかなり古い物件だ。入居しているのは、昔から住んでいるお年寄りがほとんどで、家賃は安い。もしかすると、彼女の家庭は経済的に豊かではないのかもしれない。

 いや、これは余計な詮索か。気持ちを切り替えようとホットプレートに手を伸ばすと、うどんはほとんどなくなっていた。

 

「あっ、すいません。食べすぎてしまったでしょうか」

「いや、片付けのことを考えて食べきってしまおうと思っただけだから。ええと、真由ちゃんの方こそ、ちゃんと食べられたかな?」 

「はい。あまり食欲はなかったのですけれど、美味しかったのでたくさん食べてしまいました。ツナが焼きうどんに合うってわかって、すごい発見です。ええと、ありがとうございました」


 彼女はペコリと頭を下げた。こんなに丁寧にお礼を言われると、こちらが恐縮してしまう。しかし、自分が作った料理を美味しく食べてもらうというのは嬉しいものだ。俺は、空になったホットプレートを眺めながら満足感に浸った。


「後片付けは、きちんとお手伝いしますね」

「うーん、ありがたいけど、ゆっくり休んでいた方がいいんじゃないの?」

「いえいえ、ご馳走になってばかりというわけにはいきませんから。せめて、洗い物ぐらいは手伝わせて下さい」

「じゃあ、一緒に片付けようか」


 おそらく、真由ちゃんは俺がいいと言っても強引に手伝おうとするだろう。ここは素直に厚意を受け入れることにした。




 真由ちゃんは家事に慣れているようで、後片付けは手際よく終わった。いつもは面倒に感じるのだが、2人で一緒に作業すると不思議に楽しく感じられる。普段はほどほどに済ませておくホットプレートも、ピカピカに仕上げてしまった。


「これで最後ですね。どうも、ありがとうございました」


 彼女は、お皿を布巾で拭いて棚に戻すと、ペコリと頭を下げた。


「ええと、そろそろおいとましますね。本当に助かりました。あまり長居すると迷惑ですので」

「迷惑ってことはないけれど……」


 片付けが終了した以上、真由ちゃんを引きとめておく理由はない。しかし、エアコンの壊れた部屋に戻って大丈夫だろうか。俺の懸念を察したのか、彼女はにっこりと微笑んでみせた。


「大丈夫ですよ。夜になれば、いくらか暑さは和らいでいるはずです」

「うーん。だといいんだけど……」


 もう少しこの部屋で涼んでいけば良いと思うのだが、若い女の子には抵抗があるのかもしれない。だとすると、俺の方からとどまるようには言いにくい。


「まあ、外がどのぐらいの暑さか確認してみようか。ひどいようだったら、もう少しゆっくりしていけばいいから」

「ふふ、遠山さんは心配性なんですね。もう、日は落ちていますから大丈夫ですよ。お昼のようなことはないはずです」


 うーん、心配しすぎなのだろうか。俺は真由ちゃんと共に、玄関のドアを開けた。

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