第4話 彼女の事情

 母親が実家に帰っている、真由ちゃんの口からでてきたのは衝撃的な言葉だった。

 俺は、和室に移動して詳しい話を聞くことにした。布団は、既にたたまれていたので、ちゃぶ台を部屋の中央へ設置する。一人だと十分な部屋だったが、二人になると急に手狭さを感じた。


「どういうことなの? いや、余計なことを詮索するつもりはないんだけど。あっ、お父さんはこっちに居るのかな」

「父も、母と一緒に実家に……事情があって帰っているんです。……あっ、あの、違うんですよ。夫婦の危機とかそういうのじゃないです」

 

 俺が考えていたことを察したのか、真由ちゃんは慌てた様子で言った。


「そうなんだ、よかったよ。で、でも、どういうことなの? お盆には早いと思うんだけど。しかも、娘を一人だけ残しておいて」

「それは……その、ええと」


 真由ちゃんは言いにくそうにすると、黙ってしまった。立ち入ったことを聞きすぎただろうか。だが、今の状況では聞かないわけにはいかないのだが。

 俺が葛藤していると、彼女は顔を上げて薄い座布団に座り直した。


「そのう、お世話になったわけですし、きちんと説明するのが礼儀ですよね。お話します」

「うん、言い難いことは無理に言わなくてもいいからね」

「すみません。余計に気を使わせてしまいましたね。実は、おばあ……祖母が倒れてしまったんです。それで、看病とかいろいろな手続のために、父と母は実家に帰っているんです」

「おばあちゃんは、具合が悪いの? いや、両親が帰っているわけだから、軽いものではないのだろうけど」

「おばあちゃ……祖母は」


 おばあちゃん、と言いかけた真由ちゃんは、悲しそうに目を伏せた。きっと、仲が良かったのだろう。


「数日前なんですけれど、脳梗塞……ええと、脳溢血だかで倒れて病院に運ばれたんです。それで、おばあちゃんは一人暮らしなので、お父さんとお母さんが看病とかのために行くことになって」

「おばあちゃんは、大丈夫なの?」

「命に別状はないそうです。ただ、後遺症が残るかもしれないって、お医者さんが言っているみたいで……」


 思ったよりも状況を深刻そうである。最悪の事態は免れたと言っても、今度は介護の問題が発生してくるだろう。たとえ、後遺症が残らなかったとしても、一度倒れたおばあさんを一人暮らしのままにはしておけないのではないだろうか。


「それは、大変だったね。俺の会社の人でも、田舎の両親が病気になって、色々と悩んでいる人がいたよ。おばあちゃん、心配だね」

「あっ、はい……えと、お気遣いありがとうございます。そんなわけですから、両親はしばらく帰ってこれないんです」

「なるほど、そういう理由だったんだ」


 納得はできたが、エアコンの故障という問題が解決したわけではない。むしろ、厄介な事態になったのでは。


「エアコンのことなんだけど、俺がみた感じだと業者を呼ばないと駄目だと思う。そういう事情なら、ご両親に電話で相談してみたらどうかな」

「あの……それは、その」

「どしたの? なんなら俺が説明してもいいけど」

「い、いえ、そういうことではなくてですね。えと……」


 俺としては、まっとうなことを言ったつもりだったが、真由ちゃんは困ったような表情を見せた。


「その、うまく説明できないのですけれど。今はその、お母さんに心配をかけたくないんです」

「えっ? でも、真由ちゃんが暑さで苦しんでたら、もっと心配すると思うよ」

「あの、お母さんとは電話で何度か話しているのですけれど、本当に大変みたいなんです。病院での色々も大変だし、実家の片付けなんかもしないといけないみたいで。おばあちゃん、倒れる前から具合が悪かったみたいで、お家がずいぶんと荒れていたみたいです。お父さんも、役所に相談に行ったり、近所のなんとか委員さんと話し合ったりで余裕がないって言ってました」

「ああ、そうだよね。いろいろとやらなくちゃいけないことがあるよね。さっき話した会社の人も、親が倒れたことがショックだし、介護とか施設の手続きなんかもどうやったらいいかわからなくて、パニックになったって言ってたな。……実際のところ、俺もいざというときにちゃんと動けるか自信がないよ。お父さん、お母さん、本当に大変な状況なんだね」


 俺が同情を示すと、真由ちゃんは何か言いかけて、無言でこくりとうなずいた。おそらく、彼女も両親に心配をかけまいと色々と我慢していたのだろう。


「しかし、どうしたもんかな。ご両親が忙しくて、新たな問題を相談するのは気が引けるっているのは、わかる。でも、それだと真由ちゃんが」

「あっ、あのっ、わたしはもう大丈夫ですから。休ませていただいたおかげで回復しましたし、夜になれば暑さも少しはましになると思いますから。そろそろ……」


 真由ちゃんは立ち上がろうとして、軽くよろけた。彼女は、とっさになんでもないように取り繕ったが、まだ完全に調子が戻ったわけではないのだろう。


「そうだ。晩ごはんを食べていかない? えーと、賞味期限が近い食材が結構あるから助けてくれないかな、なんて」


 俺は昨晩の暑さを思い出して、とっさに彼女を夕食に誘っていた。ごはんを食べているうちに、何か良い考えが浮かぶかもしれない。


「えっ、あ、あのう。こ、これ以上、お世話になるわけには……」


 彼女は困惑した表情を浮かべたが、嫌がっている様子ではない。俺に迷惑をかけてはいけない、と考えているのだろう。


「エアコンに免じて、というか、エアコンのお礼にご飯に付き合ってくれないかなって。変な意味はないんだけど、ほら、最近は新型コロナウイルスのせいで一人で食べることが多いから、たまには誰かと一緒にご飯を食べたいと思って」

「そういうことでしたら。ええと、その、ありがとうございます」


 真由ちゃんは、すんなり承諾すると、ぺこりと頭を下げた。なんとなく、この子の扱い方がわかってきたような気がする。




 ちゃぶ台の上に、ホットプレートを設置して適当な野菜を投入した。真由ちゃんには食材が余っていると言ったが、単なる言い訳だったので、それらしいものを作ろうと努力しているところだ。


「あのう、何かあればお手伝いしますけれど」

「大丈夫。真由ちゃんは、本調子じゃないんだから楽にしていてよ」


 手を出したそうにうずうずしている彼女を制しながら、野菜を炒めていく。火が通ってきたところで、レトルトパウチに入ったツナを投入した。


「へえ、ツナを入れるんですか。わたし、初めて見ました」

「あんまりメジャーじゃないのかな。でも、これが結構合うんだ。ツナは保存がきくし美味しいから便利だし」

「そうですね。わたしは、食パンの上に、きざんだ玉ねぎと一緒にのせて焼くのが大好きですね」

「あっ、それ美味しそうだねえ。今度やってみようかな」


 俺は、解凍したうどんを混ぜ合わせて、粉末のだしを振りかける。普段なら適当に味付けするのだが、女の子に食べさせるとなると緊張してしまった。しかも、彼女は料理ができるタイプのような気がする。


「いやあ、男一人暮らしだと、どうしても味が濃い目になっちゃうんだよなあ」


 言い訳しながら醤油をかけて、焼きうどんが出来上がった。

 彼女が気に入ってくれるかどうかはともかく、見た目はまずまずである。


「わあ、とっても美味しそうですね」


 真由ちゃんは、邪気のない笑顔を浮かべた。

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