第25話 独りの休日
お昼時、冷凍食品をレンジで温めていると、スマホが振動した。真由ちゃんからメッセージが届いたようだ。
『今、実家へ向かっています。お母さんが居たのできちんとしたお礼が言えずにすみませんでした。先週、一人で過ごしていたときは本当に寂しいし不安だったんです。なんて言えば良いのかわからないのですけれど、ありがとうございました。あと、冷蔵庫におやつのくだものゼリーを残してきてしまったので食べちゃって下さい』
スマホを置いて冷蔵庫を開けると、みかんゼリーが1つ入っていた。1つということは、真由ちゃんが勉強の合間に食べていたものだろうか。その姿を想像すると、微笑ましい気分になってきた。
「まっ、俺は社会人だし、仕事の方をがんばるか」
ちゃぶ台に置いたままになっていた水羊羹を冷蔵庫に入れると、スマホで真由ちゃんに返信することにした。料理のお礼と受験勉強の応援などを簡単にまとめて送信する。ここ一週間で色んな出来事があって様々なことを思ったりしたのだが、文字にするのは難しい。
俺も彼女のように「ありがとう」でメッセージを締めくくることにした。
「ふう、寂しいが元の生活に戻るだけだ。せっかく仕事が休みなんだから、思う存分だらけてやるぞ」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと、俺はレンジから温めおわっていた冷凍食品を取り出す。それはメッセージのやりとりをしているうちに冷めかけていたが、気にせず口に放り込むことにした。
夕方、俺はスーパーの袋をさげてアパートの階段を登っていた。ふと気づけば、冷蔵庫の中身が少なくなってきていたのだ。昨日までは真由ちゃんの料理を食べていたから、食料のストックがどのくらいあるかなんて忘れていたのである。自室に戻る際、お隣の成瀬家のドアを見たがしっかりと閉まっていた。
一週間前に成瀬家のドアが開いているを見つけてから、真由ちゃんとの生活が始まったのである。あれから、一週間しか経っていないことにあらためて驚いてしまう。感覚的には、もっと長い間続いていたような気がするのだ。
エアコンの効いた室内に戻ると、袋から発泡酒を取り出して口に運ぶ。アルコールを嗜むには少し早い時間だと思うが、そこは独り暮らしの特権というやつである。
しゅわしゅわとした液体がのどを通り過ぎていく。真由ちゃんとご飯を食べるときは、彼女に遠慮して飲まなかったから久々のアルコールである。飲まない期間があったからか、いつもより効く気がした。まだ半分ほどなのに、ふわふわとした酩酊感が忍び寄ってきている。
ふと、頬に風を感じたので見上げると、エアコンが勤勉に冷気を送り続けていた。よくよく考えると、この一週間で一番活躍したのはコイツではないだろうか。俺は、発泡酒の缶をエアコンに掲げてみせると、残りを一気に喉に流し込んだ。
まぶしい朝日に目を覚ますと、見慣れない光景が飛び込んできた。慌てて起きたが、いつも生活している6畳の和室である。ここしばらくは真由ちゃんが居たので、廊下で寝るようにしていたから戸惑ってしまったのだ。寝直そうかと思ったが、独り暮らしに戻った瞬間にだらけるのも情けない気がしたので、さっさと起きることにした。
ちゃぶ台の上に残ったままのスーパーの惣菜容器を片付け、洗濯や掃除をする。普段なら時間がかかるところなのだが、あっさり終わってしまってしまった。今まで気づかなかったが、俺が会社に行っている間に真由ちゃんが掃除をしてくれていたようだ。台所だけでなく、廊下やお風呂までがピカピカになっていた。ゴミも分別されて、きっちりまとめられている。ありがたいのは確かなのだが、することがなくなってしまった。
畳の上に寝転んでごろごろしていたが、そうやって過ごすには日曜日というのは長すぎるし、貴重でもある。ふと、真由ちゃんがここの近所に美味しい店がある、と言っていたことを思い出した。この機会に、近場の名店を開拓するというのもいいかもしれない。
「しまった。店の場所を聞いていなかったな」
昨日、その会話をしようとしたときに彼女の母親から電話がかかってきたのだった。スマホのメッセージアプリで聞いてみようか。ちょうどいいから、この機会に彼女の様子をたずねてみるのもいいかもしれない。そう思ってスマホを手に取ったのだが、考え直して充電器に戻すことにした。
なんだか未練がましい男のようだ、という考えが頭をよぎったのである。
ここ一週間の彼女の部屋のエアコンをめぐる件は、無事に解決したのだ。彼女の母親には伝えたし、エアコンも一応は動くらしい。だとすれば、成り行きで関わっただけの隣室の男が馴れ馴れしくメッセージを送るのは良くないのではないか。彼女は、祖母と面会に行くらしいし受験勉強だってしなくてはならないのだ。実家の件で彼女の両親が忙しくしている中、立派な社会人である俺が「美味しい店の場所を教えて」なんてのんきなメッセージを送るのは情けない気がする。
それに、美味しい店に行っても、独りで食べるのなら楽しくないのではないか、と思い当たってしまったのだ。
しばらく寝っ転がっていたが、思い切って立ち上がることにした。このまま、ごろごろしているのは世間的にも精神衛生上良くない気がしたのである。これでは、昔の職場で聞いた「彼女にふられて、やる気が出ずに会社を休む男」のことを笑えない。
いや、俺の場合は違うぞ、と心の中で慌てて打ち消した。俺はふられたとかではなくて、エアコンが故障して困っていた隣室の女の子を助けただけなのである。同居していたのはやむを得ない措置であって、なんだか気分が乗らないのは急に独り暮らしに戻ったから、寂しさを感じているに過ぎないのだ。
とにかく外に出よう。独り身の男が、部屋でごろごろしていたって何も生まれないのだ。そうだ、あてもなくドライブでもしよう。休みの日にただ車を走らせるだけ、理由や目的がない行為こそ贅沢ではないだろうか。
俺は思いつきを実行すべく、さっさと着替えることにした。
午前中ではあったが、外の日差しは容赦なく照りつけていた。押し寄せる熱気に回れ右したくなったが、部屋のドアを閉めて退路を断つ。カンカンと金属音が響く階段を降りていくと、1階で芳江さんが立ちすくんでいた。
「おはようございます、芳江さん。どうかしたのですか」
「ああ、おはよう、遠山君。ちょっとねえ……」
芳江さんは、珍しく元気のない様子で答えた。何だろう、いつもなら世間話やらアパートの出来事なんかを、聞かなくても語り始めるというのに。ふと、彼女の手に買い物鞄があることに気づいた。
「あっ、もしかして買い物に行く途中ですか」
「そうなのよ。朝早くに行って、さっと済ませるはずが、あれやこれやですっかり遅くなってしまってねえ。婆さんに、この暑さは酷ってもんよ。旦那が行くとか言い出したけど、アレに任せたら値段も見ずに欲しい物を欲しいだけ買うからねえ」
「はは、それは困りますよね」
元気が無いと思っていた芳江さんだったが、旦那さんの愚痴を言っているうちに普段の調子を取り戻してきたようだ。ふん、と息を吐いて気合を入れると日差しの中に足を踏み出していく。
「芳江さん、よかったら車に乗っていきませんか?」
「えっ、いいのかい」
俺の提案に、芳江さんは素早い動きで日陰に戻った。遠慮がちな口調とは裏腹に、表情には期待が満ちあふれている。
「これからドライブに行こうと思っていたんです。お店まで送りますよ」
「これは、これは、ありがたいねえ……でもねえ、行き先とか予定があるんじゃないかね」
「いえ、久々に車を動かそうと思っただけですから、行くのはどこでもいいんですよ。車のエンジンって、定期的に回さないと調子が悪くなりますから」
「へえ、機械なのに人間みたいなんだねえ。なら、車の散歩に婆さんも乗せてもらおうか。こっちは、暑い中を歩いてるとガタがきちまうからね」
「いやあ、誰でもこの暑さではまいってしまいますよ。……あっ、車を冷やしてきますね。この日差しだと車内が相当に温まってるでしょうから」
「すまないねえ」
俺はポケットからキーを取り出して車に向かった。思わぬことになったが、あてもなくドライブするよりも芳江さんを乗せた方がガソリンを消費するにしても有意義だろう。
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